私的安倍晋三論

私的安倍晋三論(Ⅰ)

「一地方議員から見た安倍晋三と彼の政治・政策-1」

 安倍晋三元首相の「国葬」を目前に控えた正にその時に、エリザベス女王の国葬が重厚、華麗にして、敬虔でしめやかに営まれた。各国の元首がお悔やみに駆け付け、日本からは天皇皇后両陛下が参列された。女王陛下の統治下の英国の歴史がどうであったか、ダイアナ妃の悲劇を持ち出すまでもなく、王室内部の人間模様がどうであったかについては、いづれ取りざたされていくのであろうが、敬虔な気持ちで死者の冥福を祈ることは、万人の変わらぬ心情であろう。まして7年にわたってわが国の首相を務めたにもかかわらず、理不尽な暴力によって命を奪われた死者に鞭打つようなことは出来ようはずもない。安倍晋三の命を奪った犯人が安倍晋三の権力構造を裏で支えていたカルト教団に、どれだけ辛い目にあわされ、家庭を崩壊されたことでその後いかなる人生を送ってきたにせよ、それに同情し、情状酌量してはなるまい。罪一等を免れるようなことがあってはならないことは論を待たないことだ。

 しかし、不慮の死をとげたからと言って、公人である安倍晋三という人と、彼の政治に対する評価までしないですますというわけにもいくまい。彼が不慮の死をとげたとたん、若者を中心に彼を英雄視する風潮さえ見られ、それが日本人特有の同調圧力によってネットに拡散している。先の敗戦について未だに正確な評価がないどころか、英雄譚ばかりが語られている始末である。それもまた「死者を辱めることなかれ」という日本人の信条が、過去を正確に清算することを回避し、ひたすら忘れてしまおうとする風潮を生み、その間隙にあの戦争の肯定論さえ浸透させようという輩さえ出ている。

 同時代に生きているわたしたちがきちんと自分なりの評価を書き残しておくことは、わたしたちの未来への義務ではないかと考える。そこで「一地方議員の目から見た安倍晋三なる政治家と彼の政治」について、わたしなりに書きたいと思う。

 安倍晋三ほど毀誉褒貶を二分した政治家も少ない。毀誉褒貶とは功罪に対する評価のことであり、誉と褒が功、毀と貶が罪についてということになろう。そのうち彼の誉と褒については、わたしは列挙するだけの資料を持ち合わせていない。

 それでも彼の功績として、まあ評価できる点を3つ挙げよう。

①長期政権であったこと。

 彼の死に際して多くの外国要人たちが一斉に弔意を示した。それだけ彼の存在感が国際社会に存在していたということであり、それは長期政権を維持した者だけが得ることのできる特権でもある。

 ただ、外国から見た彼の評価は一口で言うならば「金持ちの気前のいいボンボン」ということである。わたし自身、すでに高齢者の年齢に達していた彼をイメージする時、どうしても紺色の半ズボンをはき、白い開襟シャツを着たひ弱なお坊ちゃんという風にしか見えていなかった。

②「潰瘍性大腸炎」という難病指定の患者であったこと。

 このことを決しておちゃらけや皮肉で言っていることではない。彼は表向きこの持病のために一度ならず退陣に追い込まれている。しかし、彼が潰瘍性大腸炎を持病としていたお陰で、多くの治療法や治療薬(新薬)が可及的速やかに承認され、また保険適用となっていて、その恩恵は彼一人のものではなく、多くの一般人の患者に及んでいる。もちろん、これも見方によっては、縁故政治・忖度行政との誹りを免れない。それでもわたしは、多くの難病患者に少しでも手が差し伸べられたことにのみ注目すれば立派な貢献だったと考える。

③円満な夫婦関係

 もう一つ、彼には褒められるに値することがあるとするならば、それは妻である安倍昭恵氏との夫婦関係だ。ラジオのMC、居酒屋の女将をやり、異色のファーストレディという好意的な評価の一方で、脳天気、KYなどと呼ばわれもしていたアッキー夫人を、彼は夫として、国会での追求からもマスメディアからの攻撃に対しても、ことあるごとにかばい、守り続けた。そのことは政治家の結果責任としての事の良し悪しはともかくとして、夫婦関係の鑑といっていいのではないか。

 もちろん、この夫婦の社会的地位を考慮しなかったらの話ではある。2人は日本の総理大臣夫妻である。森友学園事件などの追及を受けた際の彼の国会での妻をかばうための答弁の決め台詞によって、ついには自殺者まで出してしまったことを弁護することは到底できることではない。

 安倍晋三自身が祖父岸信介に溺愛されていたことは、あの東条英機が孫を可愛がっていたこととともに有名である。家族愛や夫婦愛そのものは、当事者たちの社会的な地位と切り離してみれば、微笑ましいあるいは羨ましい姿であることに変りはあるまい。

 どんな極悪非道の人間でも、ふと道端で出会ったクモの命を救うこともあるだろうし、どんなに高邁純真な人間でも、自覚の有無にかかわらず時として人を裏切ることもある。そんな思いから安倍晋三を見た時。彼の褒められるべき功罪の功として、以上の三つを挙げることにした。

 さて、毀と貶、つまり罪について評価することは枚挙にいとまがない。その中でも、彼の罪いや大罪としてわたしが筆頭にあげるのは、行政府にモラルハザードをもたらしたことである。

 戦後レジュームの中での日本の復興と高度経済成長を支えた原動力の一つに、行政機構をつかさどる官僚たちの正直さ、国に対する誠実さがあった。「あった」と過去形で言わざるを得ない状況を作り出したのが、ほかならぬ安倍晋三なのだ。国会論戦での彼の答弁に対する否定的な立場から「ご飯論法」「きな粉餅論法」「ストローマン論法」という言葉がネット上で流行し、特に「ご飯論法」という熟語は2018年、国会で当時の加藤厚生労働大臣のわざと論点をずらす誠意のない答弁を、法政大学の上西充子教授がツイッターで「朝ごはん」の例を用いて批判したことをブロガーの紙屋高雪さんが「ご飯論法」と命名し、その年の「新語・流行語大賞」に選出されている。安倍首相ではなく加藤厚労大臣(いずれも当時)の答弁が直接の命名のきっかけではあったが、実は安倍晋三自身がこの論法を最も常套的に使っていたために「ご飯論法」との批判はむしろ安倍に集中した。

 国会答弁だけではない。公文書の改竄、統計データの書き換えなどが次々に露呈したのが、安倍が政権に復帰した第2次政権からである。今や政府の統計や公式見解は嘘の代名詞になってしまった。太平洋戦争でのミッドウエー海戦の戦果を発表した「大本営発表」と同じであると考えられるようになったのも、安倍政権の残した負の遺産である。

 その安倍政権によって露骨になった政治家の「ご飯論法」が、行政府のモラルハザードを引き起こし、官僚たちの無責任体質と無気力感を生み、さらに民間企業の経営トップたちのモラルハザードへと波及してしまったことが、安倍晋三の犯した最大の罪であると言わざるをえない。

 安倍晋三の無責任体質の及ぼしたもう一つの影響が、東アジアを中心とした国際関係を悪化させていると言わざるを得ないことである。第1次安倍内閣の発足当時、彼自身が「戦後レジューム」からの脱却を掲げていながら、世界経済が20世紀型システムから21世紀型へとパラダイム・チェンジする新しい経済循環のシステムを模索し始めていたにもかかわらず、日本はそれに乗り遅れてしまった。それは日本の政治の中枢に居座り続けていた自由民主党が戦後レジュームから脱却できていなかったことの当然の帰結だったのだ。

 その結果、日本は中国だけでなく日本よりはるかに人口の少ない韓国にも経済面で後れを取ることになってしまった。そのことに対する国民のいら立ちや政府への不満をかわすため、安倍晋三は戦争責任を曖昧にする歴史修正主義をとった。それまでの河野洋平談話(1993年)、村山談話(1995年)を否定し、慰安婦問題も植民地支配の弊害も政府の統計処理のように、消しゴムで消し去ろうとし、戦争責任すらも否定し、なかったことにしようと世論をあおった。その一環として、朝日新聞記者への執拗な言論弾圧も行った。

 近隣の国々が最も憎むのは、日本の過去のふるまいそのものよりも、彼が過去の日本のふるまい、わたしたちの先祖の犯した過ちをなかったことにしてしまおうとすることにある。

 わたしたちは自分たちの国の歴史をなかったことにしてはならないことは理解している。しかし、明治期から敗戦までの歴史については未だにわだかまりがあって、違う考えのような気がする。本来、どんなに恥ずかしく愚かな行為であっても、やってしまったことをなかったことにはしてはいけないし、できることではない。できることではないからと言って、わたしたち自身の近代史を正確に検証しようというのではなく、初めからなかったものにしてしまおうというのが,安倍晋三の本音である。そして、彼のその本音を忖度する勢力によって言論弾圧が引き起こされてきた。

 「民主主義への挑戦」「民主主義を破壊しようとする理不尽な行為」などというが、民主主義は常にポピュリズムに陥りやすいし、あまつさえそれが極右的勢力と結びつくことによって全体主義国家になるということは、ヒトラーの登場と権力掌握から破滅までの道筋が物が立っている。

 安倍晋三は行政府と官僚のモラルハザード、近隣諸国からの非難と日本人への信用失墜を引き起こした。その上さらに最も深刻で、決定的な罪を犯している。それは国民が政治を見放してしまったことである。近年の国政選挙での投票率を見ると、小泉内閣の郵政解散総選挙と民主党(当時)が政権をとることになったマニフェスト選挙の時以来、下降のしっぱなしである。しかもそれが地方自治体選挙にも波及している。

 「サイレントベイビー」という言葉がある。小児科医学的にはあいまいな部分もあるが、要は泣くことによってなんらかの不満や期待を訴えても、それに答えてもらえなかった赤ちゃんが、ついには泣かなくなってしまうということである。昭和時代には常に70%以上あった国政選挙の投票率が、平成時代に入ると下降し始め、最近では50%前後、選挙によってはそれを切るところまで低くなってしまった。投票行動という意思表示し続けていたにもかかわらず、いつまでたっても応えてくれないどころか、安倍政権に至っては嘘と分かることを平然を言ってのけ、自分たちに都合の悪いことには見向きもしないという政治が続いていたのだ。国民が政治を見限り、なにも期待しなくなってしまった、謂わば政治不信が国民をして総「サイレントベイビー」にしてしまった。

 で、果たしてそれでいいのだろうか。もちろん良いはずがない。そのことは誰もが分かっているのではないだろうか。では、わたしたちは何をしなくてはならないか。そのことは、もう少し安倍政治を見つめなおしてから、考えてみたい。(続く)

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