私的安倍晋三論ー2

私的安倍晋三論(2)

「一地方議員から見た安倍晋三と彼の政治・政策-2」

 安倍晋三と彼の政権が、日本という国に拭いきれないモラルハザードを引き起こしてしまったことは前章で書いたが、では安倍政権は政策の面でどんな影響をこの国に残していったのか考えてみたい。

 まずは総論から始めよう。ただ、初めに断っておかなくてはならないが、全ての安倍政権の失策は独り安倍政権だけの、あるいは日本だけの責任とは言えない。格差社会の到来を産む直接的きっかけを作ったのは、1997年の小泉政権の「働き方改革」ならぬ「働かせ改革」にあったし、金融における量的規制緩和政策は米国のリーマンショック危機によって泥沼化したものである。さらに言えば、政治と政府の無責任体質の固定化は、第2次安倍内閣の下、2014年に「内閣人事局」が創設されてからだとされているが、政治による行政人事支配のための強権浸透圧力の始まりは、民主党政権発足直前の2009年、小沢一郎が脱官僚を掲げて霞が関人事を政治主導する方向に舵を切ったことが節目になっていると言える。

総論

①新自由主義という名のうわべだけの市場原理至上主義と自己責任論

 前々から日本国民は政治家について信用しなくなっていたし、期待もしていなかった。その政治家が霞が関人事を牛耳るようになって、行政もまたモラルハザードを起こし、それとともに機能不全に陥ってしまった。さらにその場しのぎの無責任体質は大企業にも伝染してしまい、長期的な見通しに立った戦略の構築や展開を怠るようになった。結果として日本経済の硬直化と停滞を招き、世界第2位の経済大国として国際社会に存在感を確保していたこの国が、今では先進国(OECD加盟国)中の下位にまで落ちぶれてしまった。その過程で勝ち組負け組と言われる格差社会を現出し、拡大させ、固定化してしまった。

②地方分権改革を崩壊させたこと

 明治維新以降、敗戦を経験してもなお日本は中央集権体制を維持してきた。1990年代から2010年頃まで、中央集権体制に対する疑問から、地方分権改革の必要性が政治課題の一つになっていたのだが、それを安倍政権は全否定してしまった。日本より人口の多い先進国は米国であるが、周知のごとく合衆国であり、地方分権を確立させている。人口8400万人のドイツもまたラントと呼ばれる16の地方自治体によって構成される連邦国家である。英国やフランスは県の相当する単位が基本になっており、日本の地方自治体形を似ている。しかし、日本国の人口は1億3千万人と英仏の2倍近い。しかも、南北に長い列島で構成された国土を考えると、何もかもを中央で決定するということに軋みが出来てきている。だからこそ、地方分権改革が叫ばれたのだ。

 しかし、安倍政権はそれまでの地方分権への流れを方向転換してしまった。国会もまた、安倍に率いていた絶対多数与党である自民党議員は、一票の平等性において違憲状態とされた選挙区の再編成に、自分たちの既得権を重視するばかりで、地方がなぜ人口を減らし、衰亡しているのかという本質論には踏み込もうとはしなかった。

 地方は疲弊する一方であるだけでなく、それによって医療体制などの基本的人権にかかわるハードソフト両面の地域インフラが崩壊してしまった。特に医療体制の崩壊は新型コロナ感染症パンデミックで露見したように、地方にとってはまさに存亡の危機的状態に甘んじることを余儀なくされている。

③政治と行政組織のモラルハザードを引き起こしたこと

 繰り返しになるが、モラルハザードは政治機構、行政機構内部の機能停止を生んでしまっただけではない。政権トップのゆがんだコンプレックスから来るルサンチマンによって、良識や常識をことさらに捻じ曲げ、自分を阿諛追従してくれるお友達の世界に閉じこもり、その中から宣伝コピーのような空虚なスローガンの列挙、連発して、国民を目くらましにかける政治に終始し続けた。

 日本銀行でさえ例外ではなかった。厳格に政治からの独立性を保障されてきたはずの日銀を政治の道具にしてしまい、この国の経済を金融市場至上主義という覚せい剤中毒患者にしてしまった。勤勉さに裏付けされた技術立国、工業立国であったはずの日本を、あっという間にマネーとストック(株式)が経済を席巻する国にしてしまった。結果として、国全体の活力を喪失させ、国際的な影響力を低下させ、国の真の安全保障を脅かし、この国の未来への可能性すら危うくしているのだ。

 これも繰り返しになるが、国民はこれまでも政治家を信用してこなかった。そのことは相次ぐ各級選挙のたびに投票率が大きく低下していることが、もっとも如実に物語っている。

④教育基本法改正案を強行採決で成立させたこと

 安倍晋三のポリシーに戦前回帰の傾向が潜んでいることはよく言われてきたが、それが政策面で実際に表に現れたのが、教育基本法の改正である。この改正によって本来基本法の宛名人(それぞれ法律を守ることを求められている対象。憲法や基本法の場合は国または国権)を国または国権から国民にすり替えてしまった。国の国民対する義務であるものを、国民が国に対して義務を負うという方向に切り替えようとする試みの、この改正が始まりであるといえよう。

 教育の基本精神は世界子どもの権利条約の前文にあるように、あくまで「子どもの健全な成長と未来を保障する」ことにあり、決して「国や産業界に都合の良い国民、労働者を確保する」ためではない。だからこそ、教育基本法の名宛人、つまり誰がこの法を遵守しなくてはならないかは「国」でなくてはならない。それを安倍の教育基本法改正では、改正された部分の全てにおいて、名宛人が国から国民にすり替えられている。それが何を意味し、どんな影響がこれからのわたしたちの身の上に関わってくるのか、すでに多くの専門家が語り始めているが、手遅れにならないうちにわたしたちは目を覚まさなくてはならないだろう。

各論

  • 経済政策

アベノミクスの3本の矢はつまるところ、「期限も出口もない金融緩和」「日銀による国債の無制限な買入れ」「公的年金基金を株式に投入することによる株価の維持」という3本である。彼は実質経済の成長ではなく、バブル経済の再現を目指していたのである。1980年代のバブル経済が異常であっただけでなく、それから今日に至るまでの年月で、我が国の国際競争力は喪失し、産業の空洞化を招いてしまった。彼の特異な目くらまし発言でトリクルダウンなどという言葉を連発したが、その結果として残ったのは、国の莫大な借金、大企業のこれもまた莫大な企業内留保資金、そして国民相互の経済格差である。その結果、この国は世界第2位の経済大国から、先進国の最下位にまで経済力を陥落させ、国民の、特に若い世代の未来への希望をむしり取ってしまった。

  • 国際関係・外交政策

 長期政権を維持するとそれだけで例えばG7などに出ると古参としてプレゼンスを強めることが出来る。誰でも一度も会ったことのない人よりも、一度でも言葉を交わした人に対しての方が心を開きやすい。しかし、それはあくまで顔を覚えられるということであって、相手から畏敬や尊敬の念を得られるかどうかは、また別の問題である。実はここでも、彼のコンプレックを背景とした、組みしやすい相手とのみ組むという国内政治でのやり方が悪い方に働いていたとわたしは考える。

 その一番の例がプーチンとの関係だ。「ウラジミール」「シンゾー」と親密ぶりを誇示しながら、北方領土をまるで馬の鼻先にぶら下げた人参のように使われて、日本の官民の資金をむしり取られ続けた。

 2018年9月10日に行われた日ロ首脳会談は、通算22回目となる安倍首相とプーチン大統領の会談であり、2人だけのテタテ(tête-à-tête)に加え、少人数会合、拡大会合と通常通りの組み合わせで両者の親密な関係を演出しつつ、これまで事務方が積み上げてきた、様々な経済協力プロジェクトの進捗を確認し、新たに5つのプロジェクトのロードマップに合意して、11-12月に日ロ首脳会談を開催することまで約束した。安倍政権の悲願であり、長年の懸案である北方領土問題返還交渉そのものはなんら進展はなく、まず経済協力を拡大して、その実績から領土を巡る交渉に入って平和条約の締結へと繋げるというそれまでの日本政府の方針を大きく変えることは出来なかった。

 安倍首相は2日後日ロの共催で行われた東方経済フォーラムの中の日ロ両首脳の公開討論の場で、プーチンに向かって北方領土を巡る問題が日ロ両国だけでなく極東アジア地域の障害になっていると訴え、「もう一度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうではありませんか。今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか」と問いかけ「一緒に歩んでいきましょう」と提案をした。その時は彼が総裁選に出馬してその党内地固めの最中にいたことを考えると、安倍は外交で成果を上げようという彼一流の大風呂敷にも似た目論見があったと思わざるを得ない。

 プーチンはここでも安倍の足元に付け込んでいる。彼は「今、思いついた」と前置きした上で「あらゆる前提条件をつけず、年末までに平和条約を結ぼう」「争いのある問題はそのあとで、条約をふまえて解決しようじゃないか」と突然の提案を行った。しかも「ジョークではない」とわざわざ断りを入れている。安倍はそれに即妙に反応することが出来なかった。

 この会談で日本は結局、総額3000億円規模という史上最大規模の対ロシア経済協力を約束させられ、なんの信用保証(権益保障)も担保も得られないままに、政治主導の形で日本企業のロシア進出が加速することになり、今日に至っている。

 欧米からの経済制裁に苦しむロシアに対して、積極的に経済協力を先行させて領土問題で譲歩を引き出す環境を整備するのが狙いということであったが、国民の貴重な税金がここでもただむしり取られただけであった。しかもプーチンのウクライナへの侵攻によって、その3000億円のうち、すでにロシアに渡った分は何の見返りもないまま、全て頓挫してしまったことになる。

  • 安全保障政策

安倍晋三の安全保障とは憲法9条の縛りを解くこと、軍備を拡大することに尽きる。

 敵基地に届くミサイルの配備などと声高に言っていたが、それこそ彼の思考の浅薄さを物語る。敵基地に届くミサイルを配備すれば敵はそのミサイルが届かないところから打つことのできるミサイルを持つだけのことである。軍備による国民保護を考えるなら、敵がミサイルを打っても全て撃ち落すことができる防空システムを持つことである。中・長距離弾道ミサイルの配備などは米国の軍需産業を喜ばすだけでしかない。しかし、安全保障とはそんな単純な盾と矛の論議で語られるものではあるまい。

 さらに敵とはどこの国、誰を指すのか。安倍晋三とその後継者たちはなぜ日本国憲法の前文と憲法9条の精神をなし崩し的に改変してまで軍備増大を増大して、どんな戦争に国民を巻き込もうとしているのだろうか。

 そもそも安全保障は軍事力によってのみ確立するものではない。戦争が外交の一形態である以上、外交力、政治力が最も重要ではなかろうか。また、安全保障という以上、食糧安保、情報安保、独自の産業技術開発なども考えなくてはならないのに、安倍の頭には憲法9条改編以外何もなかったのではないか。

 他にも社会保障・福祉政策、医療・保健政策、資源エネルギー政策での失敗や行き詰まりがあった。そのことは既に安倍政権の評価について多くの専門家が語り始めている。中でも教育政策はこれから何十年もこの国に負の効果を与えかねない失策である。モリ・カケ問題などは「安倍お友達コネクション」によって政治と行政がどれほど捻じ曲げられたかという事件であり、教育行政に限らず安倍晋三の政治の実態の何たるかを物語っている。わたしたちははそのことの重要性に着目して、一にも早く信頼のおける政治家を探し出し、育てていかなくてはならない。

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