仙人の涙

  太郎は小学校三年生、いつもはおかあさんと二人だけで暮らしている。でも時々はトンネル工事に働きに行っているおとうさんがお土産をいっぱい持って帰ってくるし、近くの田舎から、おじいちゃん、おばあちゃんも来てくれるので寂しいとは思わない。

 太郎は山に行って遊ぶことが好きだった。金比羅山というのは特に気に入っているところだけど、家から少し遠かったので、学校から帰ってきてから出かけると日暮れまでには少ししか遊べなかった。だから日曜日に、お弁当を作ってもらって朝から出かけていくのがうれしくてしょうがなかった。金比羅山は小さな山だ。麓にきれいな桜の木のいっぱいある中学校があって、そこの運動場のすぐ裏から百段ほどの石段を登る。そこから頂上まではさらに細道を十分くらい歩かなくてはならない。頂上には金比羅様の小さな祠があって、そこからは海がよく見えた。中腹にはアカマツ林やクヌギ林になっている所と、笹や竹の藪になっている所があって、遊ぶところはたくさんあった。笹や竹は切出して竹とんぼや杉鉄砲や水鉄砲や、ほかの色んな遊び道具を作ることができたんだ。男の子はみんな「肥後の守」という小さいけれどよく切れる小刀をもっていて、おもちゃを自分で作るんだ。林には季節々々にキノコが生えたり、フキが生えたり、日当たりのいいところにはツクシも出たし、春には春の花、秋には秋の花がたくさん咲いていた。ただ頂上から後ろの奥のほうは深い谷があったり高圧の送電線が通っていたりで危ないらしい。それに昼間も薄暗い杉林になっていて、その向こうにはお墓がいっぱいあるというので、気味が悪くて奥へ入っていくのは恐かった。

 その頃、別府の街の子供たちに仙人と呼ばれている不思議な男の人がいた。古くてよれよれのだけど、ちゃんときれいに洗ってある服を着ていて、話しかける言葉はとても優しい。しかし何となく気味が悪かったし、だあれもその人が住んでいるところを知らなかった。そんなわけで仙人と誰からともなく呼ばれるようになった。

 この町の母親たちは子供が何か悪いことをすると、叱りながら

「仙人に連れていってもらうよ」

なんていうのだった。

実際、太郎が戸口で叱れていると、どこからともなく必ず仙人が現れて、ニコニコした顔で

「奥さんどうしました」

なんていうものだから、太郎は恐くて恐くて声が出なかったくらいだ。

 また別の日には太郎が大きなヒキガエルを捕まえてきて、近所の子供らと一緒に棒で突いたりして遊んでいるところへ仙人が通りかかった。

「やあ、これはうまそうなヒキガエルだなあ。おじさんにくれよ」

といつものニコニコ顔で仙人がいうものだから、太郎たちは気味が悪くてヒキガエルを放り出して逃げてしまった。

 少したって町角で見かけて、こわごわヒキガエルのことを聞いてみると、

「おう、美味しかったよ。これからも見つけたら、おじさんにくれよな」」なんて平気な顔をしていう。本当に気味が悪かった。

 ある日、太郎は金比羅山でちょうど同じ年だという男の子と出会った。男の子の名前は正一といった。

 約束した日に金比羅山に行くと、正一は必ず祠に腰をかけて待っていたし、祠まで行って大声で名前を呼ぶと藪の中からひょっこりと出てきてびっくりさせられることもあった。いつもニコニコしてうれしそうだった。

 正一は本当になんでも知っていた。草や花の名前、どれが食べられて、どれが何の薬になり、いつの季節にはどこで何が取れるか、カブトムシやクワガタのいる樹、セミの幼虫の土から出てくるところを見られる場所、それこそ太郎の知りたいことは何でも知っていたんだ。

 その上ノイチゴを取りに行っても、グミやムクの実を採りに樹に登っても、キノコやツワやタケノコの時でも、いつも正一の方がたくさん採って、そして採ったものをきちんと半分づつにしてくれる。それでいて別れる時はいつもニコニコうれしそうに

「楽しかったなあ。ありがとう」

っていってくれる。

 それにもっとすごいこともいっぱい知っていた。例えば太陽には黒点というところがあって、正一は「父ちゃん」の天体望遠鏡で紙に映して見せてもらうという。今度「父ちゃん」が望遠鏡を組立てたら、太郎にも見せてくれると約束してくれたんだ。

 一年たった秋の始めのことだった。正一に誘われて、太陽の黒点を見せてもらいに正一の家にいった。正一の家はあの高圧線の通っている金比羅山の裏にあった。そこは色んな材料で自分でこさえたような小さな家で、電気も引いていないようだった。そのうえ正一が

「父ちゃん」

と呼ぶと、出てきたのはなんとあの怖い怖い仙人だったんだ。

 この家は仙人の家で、正一は仙人の子供だった。太郎はびっくりしたし恐くもなったんだが、正一は平気な顔をしている。仙人が手に持っている望遠鏡も見せてもらいたかった。

 結局、太郎はその日一日正一といっしょに遊んだ。太郎は思い切って

「正一のおといさんは本当にヒキガエルを食べるの」と聞いてみた。とても信じられないことのように思えたからだ。

 そうしたら正一が

「父ちゃんはそんなもの食べるもんか」

と怒ったように答えた。

「父ちゃんはヒキガエルは悪い虫も食べてくれるし、第一人間に何にも悪いことをしないのに、姿が醜いからといっていじめられる。本当にかわいそうな動物だよ。といつもいっているんだ。街の中とか車の通る道とかで見つけたら、飯盒に入れてもって帰って家の回りに放すんだ。母ちゃんは、女だから気味が悪いっていうけど、家にはヒキガエルをいじめたりする奴はだあれもいないからな」

 太郎はヒキガエルをいじめたことがあるので恥ずかしかった。二度といじめたりしないよと正一に約束した。仙人は黙ってうれしそうな顔をしながら聞いていた。

 そのうち女の人と小さな子供たちが洗濯物をいっぱい持って帰ってきた。正一の母親と弟、妹達だった。母親はびっくりした様子だったけれど、正一からいつも太郎の話を聞いているらしく、すぐに笑顔になって子供たちみんなに、ふかし芋をくれた。太郎は兄弟のいっぱいいる正一がうらやましかったけど、小さな子供たちはすぐに太郎と仲良しになってくれた。

 そして帰るときになって仙人から正一が学校にいっていないこと、仙人たちは日本人ではないので学校には入れてもらえないこと、そして、正一たちがここに住んでいることを誰にもいって欲しくないことなどを聞いた。太郎はよくは解からなかったけど、とにかく正一が好きだったし、仙人も恐い人ではなかったので、誰にもいわないと約束した。

 秋の深まった日のことだった。金比羅山の藪の中に太郎は正一と二人でキノコを探しに入った。キノコを探して夢中で歩いていた時だった。太郎は突然、右足に火が点いたような痛みを感じた。見るとヘビがいた。右の足のくるぶしのすぐ下を咬まれたのだけれど、咬まれたところだけでなく右足全体が火が点いたように痛い。マムシだと思った。マムシの毒で死ぬ人もいることは、子供でも知っている。痛いのと怖いのとで、太郎は正一を呼びながら泣き出してしまった。正一は叫び声を聞いて飛んでくると、まずマムシを見つけて殺した。

「マムシだったけど心配するな。痛いだろうけど頑張るんだ」

などといいながら、自分のしていたベルトを外して太郎の足に緩く巻き付けた。それに短い木の棒を差し込んでクルクルと廻して太郎の右膝の下のところを締め上げたんだ。それから太郎にその棒をしっかり握って、ちょっとのあいだ目を閉じるようにいった。

 正一は太郎の持っていた肥後の守で咬み傷を切ってひろげたんだ。そうしておいてその傷口から自分の口で毒を吸っては吐き、吸っては吐きした。

「父ちゃんを呼んでくるから、ちょっとの間我慢していろよ」

そういってどこかヘ消えた。どのくらい時間がたったろう。心細くなった頃、正一の呼ぶ声がして仙人をつれて戻ってきた。仙人は太郎の様子を見、足の様子を調べ、死んでいるマムシを手にとってよく見た。

「正一よくやったぞ。ヘビは間違いなくマムシだが、心配はいらない。おまえのお陰でこの子はちゃんと助かるぞ。早くこの子の家へ知らせてやれ。父ちゃんはこの子を病院へ連れて行くからな」

そういいながら太郎をおぶってくれた。

 病院では、お医者さんが感心しながら

「この子の応急処置をされたのはあなたですか。適切な処置をしてくれましたので、とても軽くてすみそうです。この子は二三日で歩けるようになりますよ」

と仙人にいった。

 太郎は足の痛いのを忘れて

「僕を助けてくれたのは僕の友達です。仙人の、いえこのおじさんの子どもです」

と代りに答えた。

 仙人はびっくりしたような顔になって、太郎を見つめた。お医者さんは仙人の説明を聞いて驚いていたが、そこに当の正一が太郎の母親と駆けつけた。お医者さんは正一の頭を撫ぜながら

「君は偉いね。君の友達は君のお陰で助かったんだよ。誰にこんなことを教えてもらったんだ」

と聞いた。

 正一は

「父ちゃん」

とはずかしそうに小さな声で答えた。

「そうか、お父さんか。それにしても急なときにちゃんと思い出してその通りにできるなんて、大人でも難しいことだよ。君はきっと学校の勉強も良くできるのだろうね」

 お医者さんはもう一度正一の頭を撫でながらそういったが、その時、正一が悲しそうな顔をしたのを太郎は見逃さなかった。

 仙人は太郎をおぶって、家まで送ってくれた。そして

「正一良かったな。太郎君はおまえを友達といってくれたぞ」

といった。

 しきりに助けて貰った礼をいう太郎の母親にも

「お宅の坊ちゃんがうちの子を友達と呼んでくれました。ありがとうございました」

と礼をいった。変なことをいうなと思って見上げると仙人は涙を流していた。仙人がなぜ泣いているのか太郎には解からなかった。

 今でも太郎はあのときの仙人の涙を思い出して、そのわけを考えているのだそうだ。

カテゴリー: 童話集 パーマリンク