コメは国防の要
米価をめぐる騒動は小泉新農相の登場でメディアは大はしゃぎだし、自民党は参議員選挙を前にして人気回復となると期待しているようだ。「令和の米騒動」というが、本質的には「昭和のトイレットペーパー騒動」と変わらない。米価など食管法がなくなった今日、市場経済に任せておけばいいことである。不作になったからといって、生活を守るために、いつもより一袋多く買った消費者の心情は許されるとしても、まだ売っていなかった生産者の出し渋り、全農始め流通の各段階での思惑買いやコメ隠し、ましてや買い占め他業者などに「濡れ手に粟」の儲けは許してはならないのだが、それさえも政府が愚図々々している間に高値のまま売り抜けるかも知れない。
ペテン師ジュニアの「コメの小売価格は5キロ、2000円」という選挙を意識した派手な事前運動キャンペーンにも腹が立つが、自民党農林族のドン森山幹事長の発言には呆れてしまう。曰く「生産者がいてはじめて米ができることを忘れてはいけない。安ければ良いというものではない。再生産していける価格こそ自民党の目指す方向性だ」というのは、一見まともなことを言っているように聞こえるが、いくら党の県連での気炎だったとしても、まるで他人事のような物言いに腹が立てなくてはならないのは当の生産者ではないだろうか。
消費者もメディアも米価にばかり気を取られているが、米作、ひいては日本の農政の問題の本質はそこにはない。日本の農家の内、大規模農業をやっている事業体は農業者全体の20%もいないのに、その大規模農業者の米生産量は逆に全生産量の8割近くに上っている。自民党が票田にしているのは残りの零細農家であり、霞が関の農林官僚が天下る先は農協と全農、農林金庫である。今回の米価高騰にしても、昨夏の天候不順を幸いとして、政府が意図的に誘導した結果だと考えている。現に日米関税交渉の既にコメの輸入拡大というカードを切っているという。現政権は農業者重視と口にしながら、実際はこれまでと同じく農業者を裏切って、場合によっては日本の農業にとどめを刺してもいいと考えているようだ。。
繰り返すが、森山幹事長の発言はとても責任政党の幹事長の、それも農林族のドンの発言とは思えない。これまであらゆる局面で農政をほったらかしにしてきたどころか、改革や刷新のチャンスのたびに農林族と農協はタッグを組んで、結果として農地を潰し農家を流亡させてきたのはどの政党だったのか。とはいえ、その政党を岩盤支持層として支えてきたのも当の農業者なのだから、話しは単純ではない。
米の生産と流通は単なる食糧自給という農業問題に留まらない。それどころか国家安全保障の問題として捉えなくてはならない課題である。わたしがこれまで何度も言ってきたことだが、国の安全保障は、国民の生命財産を守り、次世代の将来へ夢をつなぐことにあり、そのために平和を維持することにある。だからこそ食糧の自給、国土の強靭化、環境の保全の三要素こそが、安全保障の根幹であると、わたしは考え、それを常に発言してきた。徒に武器を増強し、兵力を増やすことはかえって国民を戦争の惨禍に引き込む道筋でしかない。軍事力による平和の維持などというのは悪魔のロジックであり、現政権のように財源配分の最優先項目に軍事・国防予算を置いている状態を続ければ、やがて昭和初年のようにポイント・オブ・ノーリタ―ンを通過して、わたし達の子や孫を地獄に落としてしまう。
今、最も優先すべき安全保障の根幹は農業である。農業は食糧だけでなく農業の持つ治山治水の一面を通して国土保全の根幹である。さらには食糧を野放図に輸入することは環境破壊と、保健衛生面での侵害に通じているのである。それを単に自党の票田としてのみ考え、農協を通してアメとムチで生産者を縛り、世論を操作し、輸出産業の生産活動を守るために国民を騙し続けてきたのは誰なのか、もう一度わたしたちは考えなくてはならない。さあて、この国の有権者は今夏の参議院選挙でその考えをどう形にするだろうか。
―続く―