わが子を喰らうサトゥヌルス「ロシアによるウクライナ侵略」

 もう8年も前のことになるが、わたしはマドリッドに行った。メインの目的は天正遣欧使節の足跡を訪ねることだったが、プラド美術館でピーテル・ブリューゲルが16世紀に書いた「死の勝利」を見ることと、ソフィア王妃芸術センターでピカソの「ゲルニカ」を見ることも忘れなかった。ゲルニカの方はその里帰りのために建てられた美術館で、ゲルニカしかなかったので、しっかりと頭に焼き付けることが出来たが、プラド美術館の方はその時間の流れを超越したかのような質と量の美の洪水に圧倒されてしまった。

 「死の勝利」についてはどこかで感想を書いたつもりだが、このゴヤの作品については、その後、わたしの記憶から抜け落ちていたつもりでいた。ところが、プーチンのウクライナ侵略戦争が始まって、何もできないでいる自分への焦燥感が高まってくると、この絵がしばしば夢に出てくるようになったのだ。

 わが子に殺されるという託宣を信じたサトゥヌルスが次々に自分の子を食べてしまうという神話に基づく地獄絵である。サトゥヌルスが飢餓や美食の挑戦のためにわが子を喰らっているわけではないことは、この絵を見れば誰にでも理解できる。しかも、彼の眼には「悲しみ」とともに「恐怖」すら宿っている。サトゥヌルスはわが子を喰らいながらも、得体のしれない恐怖に支配されているように見える。

 フランシスコ・デ・ゴヤがこの絵を描いたのは1820年代初頭だが、初めは壁画として描かれ、後にキャンバスに移されたとある。縦143センチ、横81センチ、号数で言えば70号足らずの作品だが、記憶が遠ざかるにつれて印象は大きくなるばかりだ。それにしても19世紀に神話に基づいて描かれた絵画が、20世紀の大国の横暴を象徴していることに、気付かされて、今更ながら背筋の凍る思いがしている。神話の時代からすれば何千年にもわたって、人間となんと浅はかな愚を繰り返しているのだろうと、暗澹たる思いに駆られるのだ。

 ウクライナという国の歴史は、複雑でギリシャ文明以前から繁栄していたらしいのだが、わたしたち日本人にとってはロシア革命以降、ソヴィエト連邦崩壊までに近現代に登場する国であり、なんといってもチェルノブイリの悲劇を思い出させる存在でもある。そこからプーチンのロシアに、サトゥヌルスを投影してしまい、食べられているのがウクライナと思ってしまうのである。神話はやがて大団円を迎えることになるが、それまで、サトゥヌルスは世界そのものを食べつくそうとする。結末がどうなるかは新和の続きを読んでいただければ幸いだが、プーチンの心境はこの絵の段階のサトゥヌルスであろうと、わたしには思えてならない。

 

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