わたしの政策談義 

9.防衛について-1

 わたしは市議会議員として本議会で何度も大分市の「消防力強化」について論議してきましたし、消防局を所管する総務常任委員会でも常に消防力強化のための方法論を提案したり、紹介してきました。わたしの言う消防力の強化とは「消防局員の定員確保」「最新鋭、最強の装備品を持つこと」です。さらに「消防局員が日頃から徹底した訓練をしつつ、実出動がないままに定年を迎えること」と「はしご車や化学消防車などの最新鋭、最強の装備品を一度も出動させることなく廃車にできること」が「大分市民にとってのもっとも幸せなことだ」と付け加えることも忘れたことはありません。

 究極の防災は「災害を起こさないこと」です。しかしながら、火災は不断の努力によってある程度防げるとは言うものの、自然災害によって引き起こされる火災は防ぎようもありませんし、その自然災害は地震にせよ台風にせよ未然察知することはともかく、発生そのものを予防する方法はありません。同様に究極の防衛とは「攻撃することも攻撃されることもない状態、つまり平和を維持すること」です。そのことを忘れたかのように「台湾有事」「中露の脅威」「日米韓軍事同盟」などという言葉だけが飛び交っていること自体が空恐ろしいことではないでしょうか。ましてや元首相がわざわざ台湾に行って「日本の戦う覚悟」などと公言するに至っては、日本はついに戦争をする国家へと突き進むようになったのではないかと考える思うのはわたしひとりでしょうか。

 勿論、災害のない郷土が、それを願っているだけで得られるものではないのと同じように、平和もまた祈るだけでは守ることはできません。まして、歴史や文化、国民性、国内事情のどれ一つをとっても違う国々との関係において、少なくとも戦争をしないという状況を維持することは、ひと時の気の緩みも許されないほどの緊張感と知恵とが求められます。

防衛という場合、仮想敵国、つまり日本に攻めてきそうな国を想定することになります。現在、日本の周辺に日本を領土的な野心を持っている国は、わたしはないと考えていますが例外が1国だけあります。もちろんそれは中国でもロシアでも北朝鮮でもありません。それは米国です。そのことをわたしたちはこれまで知らないふりをしてきました。日本が無条件降伏によって占領下にあったのは1945年から1951年まで間でした。占領していたのは連合国ですが、実質的には米国でした。1951年に日本は曲がりなりにもサンフランシスコ講和条約によって独立を果たしましたが、その時、米国と交わした日米安保条約によって、日本は新たな形で米国の、少なくとも米軍の、植民地同様の国になり、70年以上過ぎた今日でも米軍に治外法権を許しているわけです。日本に領土的な野心持っている国ということになれば、未だにこの国を実質的に占領し続けている米国だけだと考えているのはわたしだけではないはずです。

 もう一つ意外なことを言うようですが、米国が未だに日本をその統治下(少なくとも管理下)においていることを、内心最も望んでいるのは他でもない中国だと、わたしは考えています。中国にとって日本は歴史的には朝貢して来ていた周辺国の一つであり、中華圏の外にあって、中華を四囲する東夷、北狄、西戎、南蛮の一部を成す所謂「化外の民」でした。同じ東夷であっても朝鮮半島は早くから中華に対する小中華と自らを卑下して分家を自任することで、中国の歴代政権から「化外の民」というよりは「遠い親戚」という扱いを受けることで、安全を保障されてきました。「白村江の戦」の時の唐、秀吉の入寇の際の明の対応を考えれば、それが単に地理的な遠近ではないことが分かります。

 もともと「夷=野蛮人」ですから「華=文明国」側から見れば何を考え何をするのか判りません。ごく少ない例外的な平和的な邂逅(古代の朝貢や遣唐使)を除いて、中国側にとっては時の政権を永く悩まし続けた倭寇、秀吉による朝鮮半島への侵略(文禄・慶長の入寇)、昭和初年の旧日本軍による侵攻などの経験から、日本は何をしかけてくるか中国側の論理では到底予測不可能なのです。その化け物のような夷の住む隣国が、さらに困ったことに一時は(明治維新から太平洋戦争まで)は中国を凌駕する勢いだったのです。

 その点、米国はその時々の自身の国内事情もあったとはいえ、欧州列強や日本が中国の混乱に乗じて侵略をしかけてきた時も、常に紳士的であり続けましたし、所謂大人の付き合いのできる国であり続けました。あの自国以外は全て国名に、ことさらに卑しい漢字を当てはめてきた中国が、米国だけは「美国」と呼んできたことにもそれが現れています。

 これは勿論、わたしの考えではありますが、少なくとも冷戦下、及びその後の経済成長期の中国にしてみれば「いつ自分たちには考えも及ばない理由で食いついてくるかもしれない野蛮な日本は、武装ほう起したまま、少なくとも紳士的な話し合いが出来る米国に縛られている」方がいいのです。日本国内で米軍基地の存在に反感が嵩じてくると常に、中国は尖閣をはじめとする日本近海で示威行為を強めて、米軍の日本国内でのプレゼンス(つまり日本の拡大志向を封じ込めるための軛)の確保のために米軍への援護射撃ともとれる行為をしてきました。いつ食いついてくるかもしれない危険な山犬は、米国の鎖(軛)につながれていてくれた方が安心と考えているというのは穿ち過ぎた見方でしょうか。

 「野蛮なのはどっちか」などという論議は無意味です。中国には中国の4千年の歴史を通して培ってきた論理しかありません。そしてそれは今日の日本の常識とは全く違うものです。中国の論理で中国国内の矛盾や国民の不満を外に逸らせる対象として日本は格好な国ですし、どんなにいじめようが貶めようが、米国が日本を自国の占領地同様に抑えている以上、日本が中国に歯向かうことはないと、中華人民共和国の歴代の指導者は考えているとわたしは考えています。なぜそんなことを言い出したかというと、防衛、国防の本質がそこにあると考えるからです。

 しかし近年、中国が驚異的な経済成長を遂げたことによって、状況は変わりました。中国の米国に対する現実主義としての好意的な外交スタンスは大きく変わったのです。特に戦争を経験したことのない習近平政権になって特に、その変わりようは激しくなってきました。

 激しい血みどろの内戦を戦って中華人民共和国を建国した毛沢東は、彼の存命中、ベトナム戦争、中越戦争、対カンボジア戦争をやりながら、1969年には中ソ国境となっていたウスリー川の珍宝島を発端として発生した中ソ衝突によって中ソ双方に戦死者を出す戦闘をしてしまいました。その頃の自国の国力とソ連のそれを比較して、毛沢東は国境線の向こう側に配備されたソ連軍の戦車が今にも押し寄せてくるのではないかという恐怖にさいなまれ続けていたそうです。

 それに比べて、ソ連の崩壊後、さらにはプーチンが繰り返し外交的、軍事的な判断ミスをしてくれたお陰で、今や立場が逆転しました。中露の国力の圧倒的な差を背景としているのが戦争を知らない世代である習近平なのです。その習近平にとって自国を脅かす強国は今や米国しかなくなりました。戦争の怖さをよく知っている毛沢東の時代は米ソ双方への両面作戦は考えることさえ不可能でした。冷戦期から米中国交正常化までの間、米国もまた自国の経済進出の目論見から中国の期待に応えていました。しかし、今や世界第2位の経済大国として米国に肩を並べる中国の指導者は、自国の仮想敵国を米国一国に絞っているようです。

 そうなった今日、日本はどうなるのか。中国にとって在日米軍は謂わば自国ののど元に突き付けられた匕首の存在であり、仮想敵国の言いなりなるしかない日本は、歴史的な厄介者の倭国というだけでなく米国の脅威を助長する一部ということになります。現にベトナム戦争時代、当時の北ベトナムに爆弾の雨を降らしたB52爆撃機は沖縄から飛び立っているのです。

 ロシアによるウクライナ侵攻以来、台湾有事が現実味を帯びてきたと騒がれています。元首相が台湾で「戦う意志」について言及したというのも、その話の一環なのです。政権与党はこの機に乗じて防衛強化の必要性と言いながら、「日米韓軍事協力体制の強化」「自衛隊の戦力増強」「殺傷能力ある武器の輸出解禁」などなど、日本がもう一度戦争のできる国なることを目指しているとしかわたしには思えません。しかも、その実態はアメリカ追随型の軍事力増強であり、中国の側から見れば、のど元の匕首の強大化なのです。

 では米国はいざという時、自国民を危険にさらしても日本を防衛してくれるのかというと、日米安保条約とその付則である日米地位協定を読み解く限り、米国はそんな約束はしていません。米国にそんな義務も義理もないというのが真実です。米国にとって今日的な日本の価値は単に基地を置くことができる国であるということです。貿易関係にしても日本は米国の相手国としてなら、とっくの昔に中国に抜かれているのですから。(続く)

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