わたしの政策談義 10.防衛について(2)

 繰り返しますが、究極の防衛とは攻撃することも攻撃されることもない状態を保つことです。それこそが平和を維持するということだとわたしは考えます。だからこそ平和を維持するということは、並大抵の努力ではできません。しかも一度平和の状態が破綻、つまり戦争が始まってしまえば殺戮が殺戮を呼び、非人間的な憎しみと果てしない殺し合いが続くことになることを、わたしたちはウクライナでの出来事によって、改めて目の当たりにしているのです。

 どんな国の人々であれ、国民、市民、一般人と呼ばれる人々は、朝起きて、その日一日生ていることに喜びと誇りを感じる仕事や役目に就き、一日の終わりには心地よい疲労感と共に愛する家族との団欒を過ごし、心安らかに眠りに就くという日々の繰り返しだけを望んでいます。ところが、その日常の連続の中で、忘れがちなほんの少しの注意を怠ると、どんな政治体制も為政者の下でもすぐには気が付かないほど目に見えない政治的な失敗や混乱によって、日々の暮らし向きが徐々に徐々に悪くなっていきます。そのことに気が付かなかったり、あるいは気が付いても声を上げたり、具体的な行動をとることをためらったりしている隙に、その失策や混乱を作り出した権力者は自分の地位や力を守るために、その失敗を糊塗し自らの失敗によって生じる混乱の分だけ権力強化を図ろうとします。その目に見えないほどの変化が嵩じて、やがて権力者は自らに絶大な力を集中させなくてはならなくなり、その力を維持するために平穏な日々を希求しているはずの国民、市民を統制するようになります。その行きつく果てが戦争なのです。権力者は自分の権力への内からの攻撃を外へと逸らすために外に敵を作ります。そして権力者自身も自分の作った敵の存在に引きずられて、結局は戦争という政治の最も愚かしい一形態を選択することになるのです。

 戦争は平和で安定した生活から、突然生まれるものではありません。わたしたちが安定した安穏な生活を持続させるために、多くの矛盾や疑問を無視したり、気が付かないふりをしている間に、権力者たちによって戦争への道へと導かれ、気が付いた時には抗うこともできずに、自分や自分の大切な子どもたちを戦場に送ることになるかも知れないのです。権力者と言いましたが少なくとも民主主義の国においては、わたしたちはわたしたちの代表としての為政者を選ぶことが出来ます。逆に言えば、権力者はわたしたちが作り出しているのです。だからと言って油断が出来ません。ヒトラーはワイマール憲法という当時としては最も進んだ民主主義を具現化していた憲法を持つドイツで、最初は曲がりなりにも民主的な手続きを踏んで生まれました。ウクライナに侵攻したプーチンにしても、彼もまた選挙によって選ばれて大統領になったのです。

 プーチンは反ナチズムを標榜してウクライナに攻め込んだのですが、ロシア国内でさえ、21世紀の今日、ナチはどこにいる。ヒトラーは誰なのかと問われれば、多くの人がプーチンを思い浮かべることでしょう。もちろん今のロシアでそれを口にすることは、命に係わるほど危険なことです。その危険性こそがロシアが専制国家であるということの証左に他ならないのです。

 もっともその国の軍隊が自国民に銃口を向けるということは、めずらしいことではありません。仏教と微笑の国ミャンマーは勿論、しょっちゅう内戦が起こっているアフリカ諸国でもそうです。本来軍備は自国防衛のためのはずですが、軍隊が暴力組織である以上本末転倒してしまう宿命にあるのです。

 さて、国の防衛を考える時日本の場合、自衛隊を抜きに語ることは出来ません。自衛隊は1950年、つまり日本がまだ占領下にあった年に占領軍である連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の政令によって、準軍事組織として設置された警察予備隊を起源としています。その警察予備隊は日本が独立を果たした1951年の翌年1952年に保安隊という名の組織に改編され、さらに2年後の1954年に陸上自衛隊となりました。同時に保安隊と同時に編成されていた警備隊が海上自衛隊になりました。

 ではGHQがなぜ占領下の日本に準軍事組織を編成したのでしょう。それは朝鮮戦争の勃発によって、日本の治安維持のためということで日本人が暴動を起こさないよう見張っていた米国の治安部隊を朝鮮半島に送ったため、日本の治安が心配になったためなのです。日本人が暴動を起こさないよう見張るために置いていた軍隊の代わりに、それを日本人にさせようとしたのが警察予備隊なのです。つまり、初めから外からの攻撃に備える防衛のためではなく、日本国内に暴動などが起こった場合には日本人によって日本人を鎮圧するためだったのです。いざとなれば日本人に向けるためにM1ガーランド小銃と特車と呼び名を変えた戦車が支給されました。

 わたしたちは巨大災害などの時の自衛隊の真摯で献身的な活動を見ています。だからこそわたしたちは日本国民のための自衛隊であると信じていますし実際そうでしょう。しかし、自衛隊はその生まれた時から、実はいつでも日本国民に銃口を向けるためという宿命を背負って生まれているのです。しかも、朝鮮戦争下に急いで準軍事組織を編成するために、旧軍の将校、下士官を多く採用しています。旧軍の生まれ変わりではないまでも、その影を引きずっていること変わりはありません。

 長々と書いてきましたが、だからこそ、国の防衛とは何か。わたしたちの平和な暮らしを守るということは何かと言えば、まず、わたしたちが自分の国の為政者、権力者から目を離さないことです。日々の暮らしのその先に、少しでもきな臭さを漂わせる政治に対して「ノー」を突き付けることなのです。以下の日本なら沿う言葉を発することに勇気はいりません。必要なのは自分と自分の愛する人々のほんの少し未来を見据える目と、自分のその目を信じて行動することだけなのです。

 そんなことを言っても「隣国が攻め込んできたらどうするのか」と思うかもしれません。北朝鮮がミサイルを打ってきたら黙って打たれるままでいいのかと声高に言う人もいます。そのためにこそ、わたしたちは有能で信頼のおける政治家を選び、支えなくてはなりません。世界中を見渡すと、戦争を引き起こさないために必死の思いで外交という政治の大切な機能を果たそうとした政治家はたくさんいます。日本にそういう政治家がいないはずはないのです。もう一度言いますが、戦争は始まってしまえば、取り返しのつかない悲惨な状況が果てしなく続くことになります。しかも、戦争は政治・外交の一形態でしかありません。つまり常に戦争以外の政治と外交を選択することは不可能ではないのです。

 この国を戦争のできる国にしてはなりません。戦争のできる国であると、戦争をしたがる勢力は権力者以外にも必ず出現します。太平洋戦争を引き起こしたのは、決して日本だけの責任ではなかったことは分かっています。しかし、真珠湾攻撃の成功に喜んだのは、立案者である山本五十六や日本国民だけではありません。むしろ、日本国民以上に小躍りするほど喜んだのは当時のアメリカ大統領ルーズベルトであり、ヨーロッパ戦線で苦境に立たされていたイギリスの首相チャーチルだったことも、今では常識となっています。真珠湾攻撃やイギリス海軍の戦艦撃沈の結果として、その後の4年間に日本はどんな道を歩むことになった忘れてはなりません。そしてだからこそ、どんな状況下にあっても戦争を選択しない国であることこそが、究極無比の防衛手段だとわたしは信じているのです。

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