10.朝鮮半島のディアスポラ(ユダヤ人以後のディアスポラ-2)
今でこそ朝鮮半島出身者は世界中に住んでいるが、日本の古墳時代以前は距離的な束縛があり移動できる先は限られていたことだろう。一方で釜山と博多は直線距離で200㎞しかないし、途中には対馬や壹岐という中継地もある。古来より半島と日本のつながりが緊密であったことは容易に想像できる。事実、古代より朝鮮半島から多くの人々が、あるいは逃げ出し、あるいは招かれて日本に来ていた。
繰り返しになるがディアスポラは流民、難民とは違う。少なくとも移住した先に文化的、技術的、経済的に、革新的な進歩を促しうるだけの水準を携えていた人々である。自国内での何らかの圧力によって移住を志向したか、せざるを得なかった人々である。悲しいかな19世紀の後半から1945年までの日韓・日朝の不幸な軋轢と、日本からの一方的な加害によって、日本列島と朝鮮半島はそれ以前の長い長い歴史を紐帯に結ばれて共有していたことを忘れているのかもしれないのだが。
その前にまず文言の整理をしておかなくてはなるまい。わたしは広く使われている朝鮮半島という名称を使うことにしているが、韓国では韓半島と呼んでいる。また朝鮮半島の三国時代とは特に断らない限り百済、新羅、高句麗の三国のことであるが、それより前には馬韓、弁韓、辰韓という三つの国があった。韓国の韓とは古代にあったこの三つの国の名に由来している。
朝鮮という呼称はずっと降って14世紀、統一王朝を樹立した李氏朝鮮に由来している。李氏朝鮮が成立した時、宗主国であった中国(当時は明)が古来自分たちを指して呼ぶ時の呼称「鮮」に、中国大陸の東側で朝が先に来ることから朝という字をつけて国名としたようだ。
また英語表記のKoreaの起源は2説ある。一つは高句麗(Kokuri)、それを継承した高麗(Korai)の名称からと、もう一つは古代半島の南にあった加羅(Kara)国から来ているということらしい。
滋賀県近江八幡市から少し山側に入って行ったところに石塔寺と言う古刹がある。何故か、いしどうじと訓音混交で読む。その昔、聖徳太子が建立し、その後一時期途絶えたが延暦寺の末寺として今日に至っている。長い石段を息を切らしながら登ると、そこに他所では見ることのできない様式の大きな石塔が立っている。その石塔はまるで朝鮮の老人のような佇まいの異国情緒をただよわせている。
聞けば古代、滋賀県南部には朝鮮半島からやってきた多くの帰化人たちがこの地を与えられて住んでいたそうだ。石塔寺が帰化人たちの心の拠り所ではなかったか。わたしはそう考えるようになり、朝鮮半島と日本の共通するルーツについて関心が高まった。何せDNAを調べれば、わたしを含めて日本人のほとんどが朝鮮半島由来の遺伝子を持っているのだ。
高校の日本史の授業でも、古代の日本(その頃は倭国)と朝鮮半島の特に南部は密接なつながりがあったことを教えている。また古代のある時期(おおよそ古墳時代の前期)、北九州から中国地方と朝鮮半島南部に、一つの国というレベルまでは行かないが、穏やかなつながりを持った金海国(かなうみこく)というネットワークが存在していたという学者もいる。古代の日本が有名な白村江の戦いだけでなく、何度も伽耶や任那そして百済救援のために出兵しているのは、言ってみれば彼の地の人々が同根の親戚、それも本家筋だったと考えれば腑に落ちる。
日本と密接な関係にあった任那の前の伽耶(もしくは加羅)国が砂鉄の採取とたたら法による製鉄技術によって発展し、やがて製鉄に必要な木炭の供給源である松材の枯渇によって衰亡したということも、よく知られている。任那はその後、百済や新羅に吸収され、さらに高句麗と新羅の連合軍に敗退した百済から、一時的に大挙して渡来人がやってきた。その渡来人を大和朝廷は厚く庇護し、土地を与えて定住させていった。今も旧国名の山城、近江、武蔵、下野などに渡来人集団がいた痕跡が多く残っている。国難によってディアスポラとなったとはいえ、渡来人たちは当時の日本人より高度に進んだ技術を持った人々であった。そのことは歴史の教科書にも載っている。
半島で培われた製鉄技術は半島の針葉樹(特に松)が枯渇したことから、常緑広葉樹に覆われて豊富な木炭材料に恵まれている中国地方に伝わり、因幡の白兎や八岐の大蛇伝説となって今日まで伝わっている。山城(現在の京都)から近江辺りに移り住んだ渡来人たちは、今日の陶磁器の原型となる須恵器を伝え、それまでの日本の土器を飛躍的に向上させた。酒の醸造法、種々の原料からの製糸や織物の技術、染色の技術、さらには琵琶湖請願の穴太衆の石材の加工技術などなど、朝鮮半島起源のディアスボラによって、日本は技術開発を躍進させていったのだ。
ユダヤ人の故地である中東は海と沙漠に挟まれた地峡であるために権力の通り道となり、ディアスポラの源となったのだが、朝鮮半島は半島であるために他国からの侵略を受けやすく、そのためにディアスポラの源となったと言えるかもしれない。そう考えるとわずか200㎞とはいえ、海を隔てている東海の小島に住むわたしたちが、如何に幸福な民族かということに思い至らずを得ない。