ステイホームウイークスー15

15.わたしたちの未来 

5)グリーンリカバリー

 わたしたちはコロナによって改めて人類共通の問題を気付かされました。コロナ・パンデミックの真の原因が、実はこれまでも繰り返し繰り返し言われてきたのに遅々として進まない問題ではないかと、世界中の多くの人々が思い当たるようになったのです。

 感染症のパンデミックに人類は繰り返し襲われてきました。紀元前から人々が広範囲に移動することによって感染症が蔓延してきたことは歴史の証明するところです。古代エジプトでは天然痘やペストの犠牲者がミイラになっていますし、古代エジプト王朝による周辺国との攻防戦、アレキサンダー大王の東征、フン族、モンゴル族のヨーロッパへの侵入、十字軍の聖地侵攻などなど、人間の大規模な移動と共に人間はパンデミックに襲われてきたのです。

 その度に伝染病・感染症そのものは一応収束期を迎えましたが、一部の人々を除いて人間は収束期を迎えるたびに「のど元過ぎれば熱きを忘れ」てしまったようです。遠い昔のペストやコレラどころか、近い昔のスペイン風邪やもっと近くの新型インフルエンザの驚異すら忘れてしまっていたのです。そうでなければ今回の騒ぎにはならなかったのですが。

 新型コロナウイルス感染症もいずれは治療薬や対処方法が確立し、有効かつ簡便なワクチンが開発され普及することによって収束する日が来ることでしょう。しかしそれは感染症全ての終息を意味することではないことを、コロナが嫌というほど示してくれました。新型コロナウイルス感染症もまだ驚異の真只中にありますが、わたしたちはコロナを契機にして今後も繰り返し人類を襲ってくれであろう感染症パンデミックにどう準備し、どう立ち向かっていくのかを考えなくてはならないのではないでしょうか。

 さらに、一見感染症対策とは直接関係のない分野についても、おろそかにできません。医療一つをとっても、高度な医療技術の発達、医薬品の開発には、実は土壌学、動物学、植物学、地球物理学などの分野の基礎的研究の成果がなくてはならないのです。さらに公衆衛生や集団のパニック現象などを考える時に、実は哲学や論理学、思想史などと言った人文科学の分野が必須であることも忘れてはならないでしょう。

 現代社会はコロナ以前から「マネー論理」に世界的に汚染されていたことを今、わたしたちは実感として気付かされています。米中の軋轢を見るまでもなく、マネーの論理に支配された政治家たちが如何に安易に自国第一主義に走るのか、その政治家たちが、実は国と国のつながりを分断するだけでなく、自国内のコミュニティーさえ破壊しようとしていることさえ、コロナ問題というスクリーンに影絵のように投影されています。

 自由経済における市場原理とは少し次元の違うところで、マネーの論理は世界中に浸透し侵し続けてきました。悲しむべきことに、特にこの日本という国では自然科学でさえマネーの論理に席巻されていると言わなくてはなりません。基礎科学そのものはわたしたちの実生活に直接的なつながりを感じさせません。わたしたちの生活は医学、薬学はもちろん、建築工学、土木工学、気象学などの応用化学の成果によって保障されています。わたしたちは安全で快適な生活環境を全て応用科学とそこから派生する技術によって得てきたのです。その技術も応用化学も基礎科学の研究成果なしでは成り立ちません。その意味で基礎学問は科学のインフラを受け持つ分野であり、文字通り文明進歩の基礎のはずです。

 インフラのないところには都市の発展はありません。インフラの保障のないままに、無理に開発を推し進めれば、やがて地滑り的な崩壊が起るという事を、わたしたちはこれまで何度も思い知らされてきました。それを防ぐためには、実は地球の成り立ちや生命の起源にまで遡って、科学的真理を謙虚で根源的な視点で希求することが重要であるはずです。その科学や基礎的研究でさえ、マネーの論理に席巻されてしまっていました。

 短期に成果の見える研究や、薬品開発のように産業的な収益が見込まれる研究、国際的な競争に勝つためといった目標を定めることのできる技術開発には国も企業も資金提供しますが、莫大な資金が必要な割に我々の実生活には影響が見えない大学などの基礎的研究には資金が不足しているというのが現実です。基礎的研究の成果があってこそ応用科学も技術も張ってしてきたというのに、学問や科学の分野にまでマネーの論理が浸透してしまえば、科学そのものを脆弱なものにしてしまいかねません。

 コロナ後の未来社会をどの様な世界にするのかという動きは既に始まっています。本年3月26日にEU加盟国の首脳がいち早く、新型コロナウイルス感染症によって疲弊し停滞している経済を復興させるための、ロードマップや行動計画の策定を求める共同声明を発表しました。この時、復興政策の要となる基本的な考え方として「グリーントランジション」を導入することを明示しました。さらに5月27日には「今日の危機を乗り越えるための連帯を示すだけでなく、将来に向けた、世代を超える協定」として復興基金「次世代EU」を創設し、次の世代の人々が復興策の展開を通じた利益を享受できるように「欧州グリーンディール」を復興の中核的な政策のひとつに位置づけました。制度設計の詳細はこれからの交渉に委ねられていますし、既に経済的に余裕のある国とUE内でも経済的に困窮している国の間で、欧州内南北問題が取りざたされていますから予断を許しません。しかしグリーントランジションの具体的な戦略として、復興計画案の公表前というのに既にEU加盟国や欧州の産業界から様々な提案がされています。

 その中でフランスとドイツは、5千億ユーロ規模の復興基金を提唱するとともに、産業別に「グリーンリカバリー」ロードマップを策定するよう共同提案しました。「グリーントラディション」「グリーンディール」「グリーンリカバリー」というように、コロナ後を見据えた欧州での復興計画のキーワードに「グリーン」という言葉が繰り返し伝われています。中でも「グリーンリカバリー」は最も新しい言葉として、わたしたちの前に登場しました。

 グリーンリカバリー(Green Recovery)とは、直訳すれば「緑の回復」となります。本年4月にドイツがパリ協定参加国中の主要国の閣僚などを招いて開催した「ペータースベルク気候対話」と呼ばれるweb会議での中心的論議となったことで知られるようになりました。新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延によって大きなダメージを受けた世界中の経済と社会を復興させるためグリーンリカバリーの考え方のもと「脱炭素と生態系と生物多様性を保全によって、災害や感染症に強靱な社会・経済を実現」して行こうというのです。それはパリ協定のコンセプトであるSDGs(持続可能な開発目標)の延長上の考え方であるとも言えそうです。

 欧州で「グリーンリカバリー」という概念が生まれるには、それまでいくつもの伏線があったと思われますがいずれにしても、地球規模での気候変動そのものを問題視し、コロナ後の復興政策の中止に据えようとしているところに注目しなくてはなりません。コロナ後に未来を考えるのに、医療・医学の整備と振興、経済復興などではなく気候変動を食い止めるための国際協力を第一に掲げ、そのために日本円で60兆円を超える共同基金を設立しようというのです。

 独仏のこの提唱には首をかしげる指導者も多く、これからまだまだ紆余曲折を重ねていくのでしょうが、あのグレタ・ツーンベリさんのメッセージに独仏の指導者が応えたことに少なくともわたしは歓迎しています。わたしたちは今こそ技術開発や経済発展の歩みを一度止めても、もう一度人間とは何か、地球とは何か、地球にとっての人間とは何か、人間にとっての地球とは何かというところから思考を進めるべきではないでしょうか。

 コロナはこれまでも何度も繰り返されてきた、地球からわたしたち人間への警告です。この警告でも行為を改めなければ、さらに新たな警告を地球は発するでしょう。世界的に発生している異常気象などもその警告の一つだと言えます。手遅れにならないうちに、地球の発している警告に真摯に向かい合おうという独仏の提唱が「グリーンリカバリー」なのです。その考え方に、わたしはビヨンド・コロナの世界を照らす希望の光を見た気がしています。

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