ステイホームウイークスー14

14.わたしたちの未来 

4)SDGsとSustainable future

 これまでも変革の必要性を言われながら遅々として進まなかった社会構造が、この新型コロナウイルス感染症を契機に大きく変わりつつあるようです。そのコロナ後の社会を指してウイズ・コロナの未来社会などと言われていますが、わたしはそれをむしろビヨンド・コロナと名付けておきたいと思います。

一度でも中国に行った人ならわかるでしょうが、大都市の中心部を除いてあの国の衛生に対する考え方の遅れはひどいものでしたし、公衆トイレの不衛生さには辟易させられたものです。大気や水質などの環境に対する考え方もまだまだ遅れています。米国では世界一の経済大国でありながら、国民の健康意識、衛生観念のなさには驚かされますし、医療体制の格差に至っては途上国並みかそれ以下でした。それがコロナを契機にそれぞれの国内で論議されるようになりました。今後、見直しのスピードが加速されるかもしれません。

日本ではこれまでデジタル化の遅れが言われながら特にインフラ部門の整備が遅れていると言われながら遅々として進んで来ませんでした。コロナ禍によって俄かにビジネス界での在宅勤務やアバターの導入、教育界でのオンライン授業の普及の必要性が語られるようになり、そのためのインフラ整備が急務であると言われるようになりました。医療の分野でも遠隔治療についての論議が活発になり、ワクチン開発や治療薬について、国際的に見て規制緩和の遅れが指摘されています。今後、これらに対する是正が進むことがこの国でも期待されます。

もちろん、これからの課題解決は、決して一国で完結できるものではありません。コロナ・パンデミックによって、世界中が共通の危機感を持つこととなった今こそ、世界中が一つになって人類共通の敵と向かい合うことが出来るのではないでしょうか。しかし現実はかえって一国利益主義に走る政治家の何と多いことかとあきれるとともに、いまさらながら暗澹たる気持ちになっているのは、わたし一人ではないでしょう。それでも気を取り直して、何とか未来社会に希望をつなぐために考えられること、できることはないかと探し求めなくてはならないこともよく分かっています。

サステイナブルということを聞くようになって、もうずいぶんと立ちました。日本語には「持続可能な」と訳されています。最近よく耳にするようになったSDGsはSustainable Development Goalsの頭文字で、持続可能な開発目標ということになります。2015年9月の国連サミットで採択され、国連加盟193か国がそれぞれの国の実情に合わせて2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。SDGsには17の項目があり、それぞれの項目に目標とすべきターゲットが明示されています。ターゲットの数は合計169あり、それらの進捗状況を管理し、実行されていくために国連統計委員会が管理する指標が244(重複を除くと232)用意されています。

ただ残念ながら、国連加盟国193カ国の総意として決議されてからもう5年たったことになるというのに、当初の計画通り進んでいるとは到底思えません、それどころかトランプの登場以来、SDGsは後退しているとさえ思えて仕方がありません。それがコロナによってもう一度、多くの政治家や人々が思い出してくれたような気がしています。

新型コロナウイルス感染症とSDGsがどう関連するのか、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」式の論議ではないかと思われる方もいるかもしれません。また、「溺れかかっている人に岸からどうしてそんなところに行ったのか」と説教するような話ではないのかと感じる人もいるかもしれません。それでもわたしは今回の新型コロナウイルス感染症パンデミックはSDGsの実現に向けた世界的なコンセンサスを醸成する契機になると期待しています。

 確かに現下の急性症状としての社会状況の大きな変化・変動は、決して良い方向に向いているとは思えません。経済は実体経済と金融危機のダブルパンチが襲ってきて、誰しもが長期不況の恐怖に駆られています。それに伴う倒産、大量解雇は人々の社会不安をあおり、貧富階層間の軋轢を生じさせ、自己防衛のための過剰反応、それによる買占め、魔女狩りヘイト、医療関係者などへの根拠のないバッシングに走るかも知れません。政治家はここぞとばかり大衆迎合のための自国第一主義に走りつつ、その陰で強権的な経済至上主義政治を選択しようとしています。中国の国際関係への主権などは、まるで火事場泥棒的に周辺国を強権的統合下に置こうという風にしか見えません。

 そこでわたしはSDGsに期待するのです。SDGsつまり持続可能な開発こそが、これからの世界を支えていく唯一の目標だと考えているのです。SDGsの根幹をなすのは「共生」という考え方です。地域社会における共生や人と人、国と国の強生という事だけでなく、地球上に共に生きる森羅万象全ての自然との共生という考え方です。わたしは「地球に優しい」というキャッチフレーズは好きではありません。その言葉にわたしはどうしてもわたしたちのおごり高ぶった思い違いを感じるからです。わたしたちはこのかけがえのない地球の専制君主ではないはずです。われわれの方こそ「地球に優しくしてもらう」立場であり、そのためにこそ、この地球という星に乗り合わせた全てと仲良く共生していかなくてはいけないはずなのです。

 人間の作り出した農薬などの合成化学物質による地球規模の汚染、人間の生産活動によって生成される炭酸ガスによる地球温暖化、さらには南氷洋に住む生物さえマイクロプラスチックスによる汚染が進んでいる事が、地球全体の調和を壊してしまっているという事について、コロナが警告しているのではないかと、わたしはこれまで事あるごとに発言してきました。

 今回の新型コロナウイルス感染症COVID-19はいずれ終息するでしょう。しかし、新たなウイルス感染症の恐怖を、我々はこれからも受け入れて共に生きて行かなくてはなりません。何度も言いますように細菌性の伝染病、ウイルス性の感染症など、我々人類はこれまでも何度もその恐怖に襲われ、そのたびに大きな間違いをして人間同士の傷つけあい、自然破壊を繰り返してきたことが歴史に刻まれています。これからの我々はウイルスの恐怖とさえ共生していかなくてはならないとしたら、新型コロナウイルス感染症の蔓延の前に提起されているSDGsの、その目標を達成したから成功しているというような考え方にとどまらず、常に注意深く持続不可能な問題を取り除きながら、社会の進歩を考えていかなくてはならないはずでしょう。

 その意味でやがて来るであろうポストCOVID-19は「ポスト・コロナ」ではないといえます。毎日の報道で報告される数字に不安を募らせながら生活する「ウィズ・コロナ」が終息し、「アフター・コロナ」となってもわたしたちの身の回り、わたしたちの生活スタイルから地球規模の状況まで、持続可能な世界に変えていかなくてはなりません。だからこそわたしは新型コロナウイルス感染症後の世界の未来に向かう方向の転換と、それによって実現するであろうSustainable future(持続可能な未来)に期待し、「アフター・コロナ(コロナ後)」ではなく「ビヨンド・コロナ(コロナを越えて)」というキーワードを使っていきたいと思っているのです。

SDGs17項目

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