MINAMATA

実子ちゃん

ハッとするほど美しく生きている

18歳の女性

誰かに恋心を感じることはないだろう

実子ちゃん

実子ちゃん

愛らしくて美しい人の

有意義な人生が

産業発展の廃棄物によって奪われる

わたしはこれまで多くの写真を撮ってきたが

この世に生きる人間で

実子ちゃんほど

私の心をかき乱した人はいない

実子ちゃんを撮ろうとするのは

あなたの素早く変わる心模様に触れることだ

私は大きな間違いをしているのではと

おそれを感じる

私には分かる

私が実子ちゃんを撮った写真は

全部失敗作だと

実子ちゃん

私は君を愛している

実子ちゃん

愛してる

 この文章は詩ではない。写真家ウイリアム・ユージン・スミスの独白を日本語に直したものだ。独白は彼の妻であり、写真家としての相棒でもあるアイリーン・スミスが録音した。NHK教育テレビの特別番組「ユージン・スミスMINAMATA」の一シーンだった。彼はこの録音の後、号泣したそうだ。

 W・ユージン・スミス(William Eugene Smith)は1918年12月30日に米国カンザス州に生まれたアメリカの写真家である。第二次世界大戦中はサイパン、硫黄島などで従軍写真家として活動している。1945年5月、沖縄戦で日本軍の砲弾の爆風により重傷を負い、生涯その後遺症に悩まされることになったという。1977年に脳溢血で倒れ、一時期回復したが翌年の10月に新たな発作を起こして死去した。59歳だった。

1960年から日本で写真家として活動を始め、1971年からは1974年に帰国するまで、水俣に住んで水俣病をテーマとして写真を撮り続けた。彼は取材の際に患者やその家族と強い紐帯ともいえる信頼関係を築くことを大切にしたそうだ。「実子ちゃん」は水俣病患者であり、彼女のポートレイトを千枚以上も撮りながら、ユージンは結局一枚しか公にしていない。

1972年1月、千葉県市原市にあるチッソ子会社の五井工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った暴力団に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。その時、ユージンも脊椎を折られ、片目失明の重傷を負った。しかし彼はこの事件について「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と、かえってそれまでの自分の葛藤や苦悩を吐露している。

 詩人でもない報道写真家の話を唐突に始めたのには訳がある。ユージン・スミスは彼の遺作となった写真集「MINAMATA」の中で、次のように書いている。

ーー写真はせいぜい小さな声にすぎない。しかし、ときたま、ほんのときたま1枚の写真が我々の意識を呼び覚ますことができる。写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。私は写真を信じている。写真は時としてものを言うのだ。それが私、そしてアイリーンが水俣で写真をとる理由であるーー

 わたしはこの文章の「一枚の写真」を「一篇の詩」に置き換えてみた。水俣病の社会的な、そして文明論としての不条理を、水俣の生活者の目で撮り続け、それを世界に発信し、そして水俣のためにその命を縮めた写真家の心構えと感受性に、わたしはわたしたち詩人と同じ琴線を感じるのである。

 自分がとった「実子ちゃん」の膨大な写真の中から、ユージン自身が一枚だけ選んだ写真が、写真集「MINAMATA」に載っている。その写真をここに掲載するわけにはいかないが、図書館に行けば日本語版の「みなまた」を見ることができるはずだ。そこにある、少し振り向き加減に何かを見つめる「実子ちゃん」のポートレイトからは、なんと物言わぬ、いや「言えぬ」そして「癒えぬ」彼女の万感の思いが伝わってくるのだ。

 水俣でのユージン・スミスは誰とでもおしゃべりをし、酒を酌み交わし、明るい人柄だったそうである。しかし、彼がレンズを通して被写体を見、現像した膨大な彼の作品群の重みを想う時、写真家としてではなく、ひとりの詩人として、そしてなによりひとりの人間としての、彼の覚悟を「実子ちゃん」のポートレイトに感じてしまう。

 写真と詩は、ジャンルとしては全く違うのかもしれない。しかし、わたしは自分の浅薄さや無能さ、そして根気のなさは棚に上げて、ユージンの詩心に嫉妬している。

 水俣の海は今、何事もなかったように静かに照り輝いている。1960年代から70年代にかけて、どれだけ多くのジャーナリストがこの海を訪れ、公害の恐ろしさ、有機水銀の害の凄まじさ、企業論理の無情さを世界にアッピールしたことだろう。そして、意外なことに多くの詩人もあの時、水俣の人々に隣人として寄り添っていた。

 その中には「苦海浄土 わが水俣病」で有名な石牟礼道子さんもいた。彼女は同作品で第1回大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされたが辞退している。そのことにも、ユージンの流した涙に通じる荘厳さを、わたしは感じている。

 詩人であろうとなかろうと、わたしたちは人間としての営みの中におり、時として不条理や社会悪を目の当たりにする。その時に、詩人として何を表し、何を残そうとするのかが、詩を書く者の永遠のテーマのような気がしている。

 パイレーツ・オブ・カリビアンで有名なジョニー・デップがプロデュース、監督、主演して現在撮影中の「MINAMATA」という実話映画が、今年、完成し封切になる予定だそうだ。

                                   心象222号

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