わたしの政策談義

2.自由と正義の国米国

 米国は自由と正義の国というと、首を傾げてしまう方もいることでしょう。わたしも本当にそうなのかについては疑問に思う一人です。しかしながら、米国はピルグリム・ファーザーズによって建国された国です。そのことを思えば、現状がどうであれ米国のアイデンティティーでもありコンセプトでもあるのは自由と正義であると言わざるを得ません。

 ピルグリム・ファーザーズのメンバー総勢102人を乗せたメイフラワー号が北アメリカ大陸に到着したのは1620年11月です。彼らは英国国教会からの分離を求め、国王の弾圧を逃れるために母国を離れたキリスト教徒(清教徒・分離派)で、彼らの信じる教理に基づいた理想的な社会を建設することをめざして新天地を求めたのです。英国国教会の軛から逃れることはつまり自由を求めたことになりますし、彼らの信じる教理とは彼らにとっての正義にほかなりません。

 余談ながらピルグリムとは巡礼者という意味だそうです。彼らのすごいところは船がまだ北米大陸に到着する前に、自分たちの政治体制を確立する契約書(メイフラワー誓約)を作り、署名を取り交わすことによって国を成立させていることです。つまり、彼らが新天地に足を下した瞬間から、彼らの国は成立していたということになるのです。この時に多数決という民主主義の根幹をなすルールさえも確立していました。但し、ピルグリム・ファーザーズ中61人は女性と子供だったのですが、子どもは勿論、女性にも投票権はありませんでした。102人中、この建国の契約書ともいうべき、メイフラワー誓約に署名したのは成人男性41名だけだったのです。

 1620年と言えば、日本では徳川幕府の黎明期で2代将軍秀忠の時代、翌年には島原の乱が勃発しているという頃です。その同じ時に米国ではたった102人の国が、契約書に基づいて産声を上げました。ただ、わたしが注目する人物が一人います。それは41人の署名者の一人なのですが、彼の名はマイルス・スタンディッシュといい、実はピルグリム(巡礼者)ではなく、れっきとした英国軍人で、軍事の責任者として雇われて参加しています。つまり、米国はその国としての産声を上げた時から、軍事部門を明確に有していたということになるからです。

 その後、英国の植民地としての紆余曲折を辿って、1776年7月4日に米国は正式に独立を宣言しました。その頃、日本は第10代将軍家治の治世で、有名な田沼意次が老中として権勢を誇っているころでした。米国の独立の際の宣言文で注目すべきは前文で謳われている「全ての人間は平等」と「生命、自由、幸福を追求する権利は不可侵・不可譲の自然権」でしょう。しかし、わたしは米国を自由と正義の国とは言いましたが、その宣言文の第一に掲げられている「平等」の国とは思っていません。平等について高らかに宣言していることに、むしろ、米国の正義の矛盾と手前勝手さを感じるのです。その当時の女性の権利はどうだったのか、やがて始まる奴隷制度によって連れてこられた黒人たちの権利はどうだったのかと思わざるを得ないのです。そのことは米国の病巣の一つとして黒人差別、LGBTQ迫害など根深い社会問題を今日に至るまで引きずって来ているのですから。

 17世紀の建国当時に理想としていたもの、さらには18世紀の独立当時に理想としたものそのものについても、その時から破綻する宿命を抱えていたわけですが、それはそれとして理想を掲げて合意に基づいて建国し独立しようとする姿勢は、同じ民主主義の国である日本とは対極にあるとは言えるでしょう。

 わたしたちが生きる二十一世紀の時代において、当時の理想の追求によって生まれた米国のコンセプト「自由」と「正義」は、今日「横暴」と「偽善」の誹りをうけるようになりました。しかしそれは今に始まったことではなく、米国の国としての成り立ちそのものが成せる業であったと言えそうです。ピルグリム・ファーザーズのコミュニティー結成段階で、軍事の専門家をその部門の責任者として、雇い入れてまで同行させているのです。新天地で遭遇するかもしれない外敵からの防衛に必要だからということでしょうが、専門家は専門家の立場上、常に戦闘を意識せざるを得ません。自身の存在意義を追求しようとすれば常に仮想敵を想定し、あるいは防衛のためにと称して先制攻撃を仕掛けることもいとわないことになりかねません。ベトナム戦争、イラク侵攻などなど、そのことを証明する戦争には枚挙にいとまがありません。

 その米国は敗戦後の日本にとって最も関係の深い隣人でした。太平洋戦争の終結後、日本が復興期にあった時には、米国は正に聖書の教え通りの良き隣人でした。ララ物資によって始まった学校給食一つとっても、わたしたちの今日あるを助けた大きな要因であったと言っても過言ではないでしょう。しかし考えてみると、日本と米国の出会いは、その始まりからして、決して幸福なものではありません。日本の歴史に初めて華々しく登場した米国人であるペリーにしても、世界史的に俯瞰してみればその登場の仕方は滑稽でさえありました。彼のやったことには米国の建国以来の精神である善意と力を背景にしたおせっかいの好例であったと言えでしょうか。米国側の都合や理屈はともかく、当時の日本側の視点に立てば、それまで270年間もの間、長崎という例外を除いて、外国を意識せずに安穏に暮らしてきた人々の、その中心である江戸の下町の長屋住まいの家族がちゃぶ台を囲んで夕餉の団欒を楽しんでいる時に、突然、テンガロンハットのガンマンが引き戸を蹴破って侵入してきて、拳銃をぶっぱなしたのです。その時の江戸の庶民の慌てようを想像するだに、不謹慎ながら可笑しみさえ感じさせてしまいます。そこから幕末・維新のてんやわんやが始まり、結局は明治維新となり日本の近代国家へのルネサンスが始まったのではあるのですが。

 米国は確かに自由と正義の国です。しかしながらその自由とは一面、圧迫を受けていた清教徒が、その束縛から解放されるために得ようとしたものであり、その正義とは自分たちの信じるキリスト教の本義に忠実であろうとしたものだったといえるのです。信教に於ける正義がそれを信じない人々には容赦のないものであることは、昨今の国際、国内紛争の多くが示してくれています。同時に米国における自由が一切の束縛を受けることを、もはや本能的ともいえるほど忌避ことも、建国の謂れを考えれば何となくうなづけることではないでしょうか。

 わたしは正義という言葉が好きではありません。ひとつの共同体の正義が別の共同体の正義と拮抗したり真逆であったりすることがあるという現実に、そのどちらの側の共同体の構成員であっても、結局は皆が苦しめられてしまうと感じるからです。また平等あるいは公平公正を伴わない自由も認めるわけにはいきません。米国がこれまで国際社会で犯した数々の過ちももちろんですが、むしろ自国内に内包する矛盾と軋轢について特にそう思います。

ともあれ米国は第二次世界大戦終了後、冷戦時代を含む20世紀後半を通して、誰が頼んだわけでもないのに自由主義世界、資本主義世界のリーダーを自任してきました。それが21世紀に入ってすぐ9.11が起こり、少なくとも世界の警察としての権威が失墜し、トランプが登場するに至ってアメリカ・ファーストを言い出し、自ら世界のリーダーも世界の警察の任も降りてしまいました。結果として米国に引きずられるようにして、G7が本来の意味通りの単なる7か国の仲良しグループ(Group of seven)なってしまいました。G7がgroup of sevenではなくgreat sevenだと世界中から認められて、尊重されていたからこそのG7だったのです。そのG7の筆頭である米国が自らリーダーを降りたため、他の6か国とEUも自由主義世界、資本主義世界の先頭集団ではなくなったわけです。G7がGゼロになって良くも悪くも、これまであったはずの秩序を失ったのです。

 ではどうすれば新しい秩序を生み出せるのかですが、その前にもう少し、日本を取り巻く国々について、わたしなりの考えを再確認させてください。米国の次はやはりロシアでしょうか。

カテゴリー: 政治・時評 パーマリンク