わたしの政策談義                      6.日本の安全保障について

 外交」とか「防衛」なんていうことは本来、地方議員が云々する話ではないかも知れません。そのことはよく判っているつもりです。わたしは市議会議員に初当選以来これまでの26年間、質問に立たなかった議会は一度もありませんし、常に持ち時間を一杯に使って論議してきました。それでも国の専権事項である外交や防衛に関する問題を市政の論議の場で取り上げたことはありませんでした。安全保障という言葉そのものはわたしの質問でも何度か取り上げてきましたが、それは「食料安全保障」や「情報安全保障」などに限ってきました。しかし、これまでの自分の国内外での経験について振り返る時、わたしなりに考えるこの国の在り方、また、外のから見てきた自分の国の姿について語ることも、少なくとも人生70歳の坂を越えた爺さんに残された社会奉仕の一つではないかと思うようになりしました。

 日本の安全保障という時、真っ先に挙げなくてはならないのが日米安全保障条約であり、その付則である「日米地位協定」だとわたしは思います。まずはそのことから聞いていただきましょう。「日本は自主外交を展開しなくてはならない」と言われて久しいのですが、その自主外交についてわたしたちが考える場合に真っ先に考えなくてはならないのが、そこに立ちはだかる日米安保条約と地位協定の存在であることは論を待ちません。わたしたちが知っている日米安保条約は1960年に岸信介政権下で結ばれた「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」のことであり、それが今日まで続いている安保条約です。

 一方、1951年にサンフランシスコ条約によって、日本の独立が認められた時に「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧安保条約)が締結されていました。この条約はたった5条からなる単純なものですが、日本独立後も占領軍が駐留軍と名前を変えるだけで「望む数の兵力を」「望む場所に」「望む期間」駐留させる権利をアメリカ合衆国(当時の国務長官ジョン・フォスター・ダレスの発言)が確保するためだけのものでした。それは言ってみれば、それまで繰り返されてきた米国の、国としての気質そのものが反映されたものでした。要は単純に(それだけに露骨に)米軍が引き続き日本国内に駐留し続けることだけを明記したもので、条約の期限は無し、米国が日本国を防衛する義務は無し、日本で内乱が発生した時には米軍が鎮圧(内政干渉)するというものでした。

米国人の気質というのは別の言い方をすると、米国人の欺瞞的、二重人格的気質です。つまり米国人は国内的に徹底した民主主義を装いながら、国際的にはまるで古代ローマ帝国の再来として、帝国主義的なふるまいを何の躊躇もなくやってのける気質です。第二次世界大戦以降だけでもベトナム戦争、イラク戦争、リビアへの軍事介入などなど、その具体例は枚挙に暇はありません。1970年の安保条約再批准の際、それに反対する側がシュプレヒコールで「米帝」とか「アメリカ帝国主義」と連呼していましたが、当時の東西冷戦状態の中とはいえ、ベトナムでの米国のふるまいを考えれば、米国が「世界帝国」を自任していながら、自国内では民主主義の体現者をふるまっているという二重人格性を思い起こさざるを得ないのです。

 1960年に岸信介とアイゼンハワーによって交わされた現在の安保条約は、その批准のための国会が大荒れとなり、批准に反対する学生が国会に突入しようとして女子大生1人がなくなるという悲劇も生まれたため、安保と言えば多くの日本人がこちらを思い浮かべることでしょう。旧安保条約は前文と条文5つでだけでしたが、新安保条約は前文と条文10条になりました。しかし、第6条の条文に「在日米軍について定める。細目は日米地位協定に規定される」とある地位協定が、今日まで続く我が国の社会的矛盾と欺瞞の、まぎれもない根本原因なのです。まさに日米安保条約とは米国に治外法権どころか、日本全土を租借地同然に差し出しているに等しい不平等条約であり、日本の外交政策上の最大の禍根であり、明治初年の先人たちがやったように、あらゆる知恵を注いで不平等条約を解消し、その上で改めて平等・対等な同盟関係を構築するべきではないでしょうか。

 日米地位協定とはつまるところ、日本の敗戦直後から日本に占領軍として駐留してきた米軍の地位を、そのまま日本が認めるという屈辱的な協定です。この協定によって守られるのは米軍人、軍属、その家族であり、米軍の日本国内での行動の自由であって、日本人の安全や知る権利を保障するものではありません。重ねて言いますが、日本国内でありながら、米軍基地内は租借地であり治外法権の地です。それどころか米軍関係者やその関係する事案(米軍人による犯罪や交通事故、軍用ヘリコプター墜落などなど)は、租借地外においても日本国の法権力が及ばないことになっているのです。わたしたち日本人はそのことに気が付かないふりをし続けることで、確かに冷戦時代のこの国の安全を保障し、敗戦の焼野原から高度経済成長を実現しました。特に1960年代から1980年代まで大いに繁栄を極めてきました。しかし、東西冷戦がソ連の崩壊によって一歩的に終結したとたん特に小泉政権以降今日まで、日本の富とそれを支えてきた技術力は、米国と米国のビッグファミリーや投資ファンドによってむしり取られ続けてきました。そのことは、まだ外国にいた頃からわたしは機会あるごとに言ってきたことです。なぜなら、わたしの働いていたブラジルやその他の南米諸国、あるいはエジプトでさえ、経済援助を享受しているはずのそれらの国で、米国が嫌われていることを体感していたからです。しかし、バブル期の狂騒の期間中はもちろん、バブル崩壊後の混乱の中でも、わたしのその警告は螻蛄の鳴き声ほどにも誰にも届きませんでした。

凶弾に倒れた前首相の執念がそうさせているのか、岸田首相の熱意なのか、最近になって改憲論議がさらに実現性を帯びてきました。しかし、わたしは長年、改憲の前にまず日米安保条約と地位協定の改定ないしは破棄が必要であると考えてきました。特に日米地位協定は明文化されて公表されているうわべだけでなく、所謂「密約」というものがあることが問題なのです。何が問題化と言えば、その「密約」によって日本での米軍の存在を実質日本国憲法よりも上位にあると規定していることです。憲法よりも上位にあるのですから、米軍にとって日本の国内法などは存在しないも同然ということになります。

 例えば「航空法」という国内法があります。これによって航空機の飛行経路、飛行高度などは非常に細かく規定されているのですが、米軍の飛行機はこの法律からも除外されてます。従って米軍がそうしたいと思えば、日本中の好きなところを好きな高度で飛ぶことが出来ますし、それに対して司法に訴えようにも地位協定がある以上、裁判所は取り合おうとさえしないのです。ずいぶん昔の話ですが、旧安保条約が日本国憲法に照らして違憲か合憲かが争われた砂川事件というのがありました。東京地裁は違憲との判決だったのですが、これに対して高等裁判所を飛び越して最高裁判所が「米軍駐留を定めた安保条約は高度の政治性を有しているから司法裁判所の審査にはなじまない」という訳の分からない理由を付して、安保条約が合憲か違憲かについての判断はしないまま、原判決を破棄、東京地裁に差し戻しました。そのくせ「外国軍隊は憲法第9条にいう戦力にあたらないから米軍の駐留は憲法に違反しない」と米軍の駐留については合憲と判断しているのです。この最高裁の判断に依拠する形で、以来、日本国内の米軍は日本国憲法より上位にあるとされてしまいました。この最高裁判断が1960年の日米安保条約の調印のひと月前だったことも、判決が何事かを象徴していると言わざるを得ません。

 オスプレイが在日米軍に配備された時、大分市を含めて市街地の上空を低空飛行するオスプレイの騒音が問題になったことがありましたが、米軍機が訓練や移動のために飛行をする場合、日本国中どこでも飛ぶことが可能であることは既に述べました。ほかにも、わたしたちの記憶に新しいところでは2004年に普天間基地隣接地の沖縄国際大学構内に米軍のヘリが墜落する事故がありました。普天間基地は米国が自国以外に設置している唯一の海兵隊基地ですが、事故後どのような経緯をたどったかということほど、沖縄ひいては日本の置かれている状況を物語っていることはありません。

 さらに言えば、普天間基地の移転問題で、当時の鳩山由紀夫首相が「できれば国外、最低でも県外」と言った時の日本の官僚による悪意のあるリークとサボタージュ、それを増幅する形で「鳩山おろし」を煽ったマスメディアも、主権を有する国のはずの日本の時の首相が米軍の意向に逆らったらどういう目にあわされるかを見せつけた共犯者だったと、わたしは今でもそう思っています。それがまさに日米の地位協定に描かれていない「密約」の存在を裏付ける動かしがたい証拠だったのです。しかしその時も、リベラル系の政党、リベラル系のマスメディアでさえ知らぬ顔をして鳩山おろしの大合唱になったのです。

米国が国外に設けている海兵隊の基地が普天間以外にないと言いましたが、米国内には2カ所あります。そしてそのどちらの基地からも、飛び立つ海兵隊のヘリコプターやオスプレイは米国人の住む市街地上空を飛ぶことはありません。海兵隊であっても米国内の航空法は遵守する必要があります。それが日本に来ると日本にも確かに存在している日本の航空法などはお構いなしに好き勝手に大学どころか小中学校もある市街地上空を飛び回っているんです。

 だからこそ日本が自国の安全保障を本気で考えるのであれば、憲法改正よりも先に日米安全保障条約と地位協定についてきちんと評価と検討をしなくてはならないはずです。少なくとも存在そのものは既に公然となっている「密約」の存在を認め、米国が自国内では公開している「密約」について、その内容をつぶさに公開しなくてはならないでしょう。

 鳩山首相の話をしましたが、日米安保条約成立後、わたしの知る限り3人の首相が日本独自の安全保障構想を抱いていました。1人はロッキード事件という米国の仕掛けたハニートラップで退陣を余儀なくされた田中角栄であり、その次は社会党・新党さきがけとの連立政権について、訪米中に米国から注文をつけられたことで退陣した細川護熙、そして前述しました鳩山由紀夫です。鳩山首相の場合、繰り返しますが一国の首相が沖縄から基地負担を軽減するために「最低でも県外」と発言したことによって、霞が関官僚たちの裏切りに会い退陣せざるを得なかったということを、憲法論議の前にわたしたちはもう一度思い出して、それが何を意味するのかを考えなくてはならないのではないでしょうか。

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