わたしの政策談義                     5.「矜持」と「正論」の国、韓国と北朝鮮

 朝鮮半島には同じ民族でありながら、南北ふたつの国に分かれて未だに戦争状態を続けている人々がいます。わたしはその南北の境界線を訪れたことがあります。そこには幅4キロの非武装地帯が北緯38線に沿って延長約248km設定されていることは周知されており、その非武装地帯と呼ばれているはずの約1000平方キロの帯状の土地には、200万個の地雷が設置されているのです。そのおびただしい地雷を思い浮かべるとき朝鮮半島が置かれている現実の恐ろしさと悲しみをいやが上にも感じてしまいます。

 オドゥサン統一展望台という場所からは漢江(ハンガン)とイムジン河の合流点を挟んだ対岸に、朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の「宣伝村」と呼ばれる区域を望むことができます。今ではその場所に立派な展望台が建っており「統一念願室」という展示室もあるそうですが、わたしが行った時は小さな公園のような場所で、遠くから宣伝村を備え付けの双眼鏡で眺めるだけでした。大韓民国(以下韓国)側がことさらに宣伝村と呼んでいるのは、双眼鏡の視野に展開されているトラクターで耕している農民姿の北朝鮮の人々が実は皆工作員で、北朝鮮の国内情勢が平穏で豊かであるということを見せつけるためだけに働いているというのです。その証拠にトラクターはいつも動いているのに、何かの作物が育つことや、まして収穫することなどは見ることがないそうです。そこにもまた南北の人々の悲しみと統一への叶わぬ願いが感じ取れます。

 北朝鮮は韓国から宣伝村と揶揄されても、とうの昔に嘘のばれてしまったプロパガンダ舞台劇「明るい農村」を演じ続けるという子どもじみた矜持(プライド)を捨てきれいないのは、自分たちの建国した国は理想の国であり、地上の天国であるからこそ、その幸福を南の同胞とも分かち合いたいと、少なくともそう主張したいからでしょう。一方で韓国側は、国連軍とはいえ米軍の駐留がなくては、世界に冠たる経済大国として自他ともに認めるほどの繁栄も、かりそめのものになってしまうことを承知のうえで、自分たちが統一を希求しているのは民主的な民族自立のためなのだという正論を声高に言い続けざるを得ません。そのそれぞれの想いと立場を、隣国の住む我々としては惻隠の情をもって理解しなくてはならないとわたしは常に考えています。

 朝鮮半島もまたロシアとは違う意味で、つらい、悲しい歴史の連続でした。中国史に朝鮮半島の存在についての記載が初めて出るようになってから今日に至るまで、朝鮮半島に住み暮らす人々が、異民族の支配、若しくは屈辱的な圧迫下に置かれていた期間に比べて、たとえそれが独裁であろうと暴政であろうと、戦国時代のように互いに分立していがみあっていようと、少なくとも自分たちの民族だけで自決できていたという期間は圧倒的に短かったのです。

 勿論、新羅は約400年続いていますし、李氏朝鮮は約500年続いていました。しかしその時代ですら内実は、絶えず侵略者からの攻撃にさらされ、暴力と収奪の被害者としての繰り返しだったのです。日本もまた、豊臣秀吉の2度の入寇と20世紀初頭から敗戦までの併合という名の植民地化などなど、何度も加害者の側に立ちました。遊牧民族だった契丹国、北方の女真族や満州族、さらには元による破壊的な征服などなど、その歴史は常に異民族から侵害され続けていたことを今更ながら考えてしまいます。

 ロシアは広い広いユーラシア大陸の中の真只中に広大な領土を有していました。そのために東西両方からの度重なる圧力を受けざるを得なかったのですが、朝鮮半島はそのユーラシア大陸から見れば盲腸の先にぶら下がっている虫垂ほどの小さな小さな地域です。しかし、それでもなお不幸なことにユーラシアと陸続きにつながっていることが、朝鮮民族にとって地政学的な不幸の根源だったのかも知れません。

 ところで朝鮮という呼称は古い時代の「潮汕」という名称に由来する古朝鮮語の音写だそうです。その音写である朝鮮という名前は中国との交流(若しくは圧迫)が始まってから、中国側によってつけられたものです。鮮という字には2つの殆ど真逆の意味があり、その一つは「鮮やか」という訓があるように「新しい」とか「際立って美しい」という意味、つまり朝の来る方角(東)の美しい国という字を当てていることになります。しかし、もう一つの意味は論語の「巧言令色鮮仁」にあるように少ないということです。つまり中国側から見て「朝貢鮮小(朝貢が少ないの意)」と揶揄するための当て字という説もあるのだそうです。韓国の「韓」については春秋戦国時代以前から漢民族の一般に「韓」族がいて、その一部が本国の混乱のために東方に逃れてきたとも伝えられていますので、むしろ由緒正しい呼称を朝鮮の側で名乗ったのではないかと想像できます。

 日韓併合が大日本帝国の無条件降伏によって解消された後、朝鮮半島はめでたく独立ということになるはずでした。ところが実際は第二次世界大戦終了後の主導権争いを始めた米ソの思惑によって代理戦争の実験場と化してしまいました。1948年には半島の南北でそれぞれが傀儡政権である「大韓民国(韓国)」と「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」が樹立され、朝鮮戦争という同族相食む悲劇を経験して今日に至っています。

 半島の人々が日本に対する反感を抱き続けることは仕方のないことでしょう。明治期に日本が戦った日清・日露の両戦争は朝鮮半島をめぐる日本の安全保障上の危機感がその最も大きな要因でした。しかし、それはあくまで日本側の都合です。謂わば民族的にも文化的にも最も近しいはずの隣人で、しかもその文化は青銅器や鉄器、文字や陶器・磁器などなど全て半島側から日本側に伝えられており、謂わば日本は教えられた側です。理由が何であれ親戚でもあり、師匠筋でもある隣家に土足で侵入し、家人に無礼を働いたことは間違いのないことです。併合期間の半島の識字率の向上や、産業の発展などなどいくら併合時代の日本の治世の成果と功績を掻き口説いたところで、やられた側からすれば許せることではないのも当然です。戦後の日韓関係は氷河期と雪解け時期を繰り返してきました。韓国国内の政治的な対立、与野党の攻防は凄まじいもので、どちらかが親日路線を取れば、必ずその反対勢力は日本を敵視することになります。その繰り返しには日本人ならずとも誰でもうんざりするというのも正直なところです。

 明治時代に併合を決断した日本の責任者や、それから1945年までの併合時代の圧政の責任者は、その当事者たちは勿論、その事実を実体験的に知っている人々さえも今となってはほとんどいません。しかしながら、事実は事実として国内的にも対外的にもきちんと評価してこなかった日本の戦後政治にも大きな責任があることは否めません。

 韓国は1992年以降、日本海を「東海(トンヘ)」と改称または併記するよう、国際水路機関や国際連合地名標準化会議の「大洋と海の境界の改訂に関する会議」に働きかけるようになりました。その主張は国際的な理解を得られるものではありませんが、それよりもわたしは1992年という時期に注目しています。その年はそれまで3代続いた軍事政権最後の大統領慮泰具の任期が終わり、金永三が金大中などの対立候補を破って民衆政権初の大統領となった年です。周知のされているように金大中氏は親日派でしたが、金永三氏はその反対勢力であり、しかも金大中氏と大統領の椅子を争う戦いのためにそれまでの軍事政権と手を結んでいました。

 民主化後初の文民大統領であった金泳三氏ですが、戦後何かにつけて世論受けが良かった反日キャンペーンを選挙戦に取り込みました。日本側の歴史認識を問題にして、常に攻撃的な反日姿勢を示していたのです。それは韓国民衆の心情を捉え、共感を得、選挙運動としてのエネルギーにも転嫁することができました。「東海」もまたその一環として持ち出されたものではないかとわたしは考えています。

 面白いのはこの問題に対する北朝鮮の立場です。彼らも日本海という呼称には嫌悪感を露わにしていますが、北朝鮮の主張は「朝鮮東海」という呼称です。「東海」というのは中国では東シナ海を指す名称であるため、中国の東海と区別するために「朝鮮東海」としているのでしょう。北朝鮮と言えば「強弁」の国と思われがちですが、彼らは彼らなりに中国に忖度しながら彼らの正論を主張しているのです。

 そう言えば、韓国も北朝鮮も日本からの解放後、日本語由来の言葉をそれが感じであっても使わないと宣言しました。韓国はその宣言通りに慎重に言葉選びをして来ましたが、北朝鮮の方は例えば国名の漢字表記である「朝鮮民主主義人民共和国」の内、「民主」「主義」「人民」「共和国」などは日本で生み出された和製漢語です。北朝鮮の主張に従うなら、本来なら排除されるべき熟語のはずです。しかし、これらの熟語は全て既に中国で普及しており、北朝鮮としては中国をお手本にしてのことだと言うのでしょう。まことにおおらかというしかありません。

尹錫悦大統領の訪日で、日韓の雪解けと期待しているのは、わたしひとりではないはずです。しかし、どこの国でも大なり小なりそうですが、とりわけ韓国の外交というのはこれまでも繰り返されてきたように内政の都合によって大きく左右されます。韓国側には与野党ねじれ状態という内憂があり、日本側にも統一地方選挙直前の政治キャンペーンという事情があります。韓国が既に日本を凌駕するほどの経済力を有していることは国際的に周知のことです。日本経済研究センターでも個人の豊かさを示す1人当たりGDPが2023年には韓国を下回るとの試算を公表しています。日本の経済が停滞している間にデジタル化が遅れ、労働生産性が伸び悩んでいた上に、ウクライナ戦争の世界的なエネルギーと食糧の供給危機の高波をもろに受けた円安・ドル高の影響とはいえ、日韓の経済力が拮抗していることは間違いのないことでしょう。

 北朝鮮が如何に派手な脅迫的なパフォーマンスを繰り返しても、所詮は遠吠え以上のものにはなりえません。自爆的に道連れにしようとでも考えない限り、北の暴発はあり得ませんし、脅しを繰り返しながら自爆的な行動だけはとらないというサインが、あの金正恩がどこに行くにも連れている可愛いらしい女の子ではないかとわたしは思っています。

 東アジアを取り巻く情勢に誰かが火をつけるとしたら、そのカギはむしろ米国が握っていると言えます。日本が最も近しい同盟国というのであれば、日本としてはその近しさを利用して米国の思惑を常時注視し続け、きちんとした情報分析に基づきながら、米国のビッグファミリーなどの死の商人たちの暗躍に歯止めをかけて行かなくてはならないのではないでしょうか。

カテゴリー: 政治・時評 パーマリンク