わたしの政策談義 7.日本の安全保障についてー2

わたしの政策談義

7.日本の安全保障についてー2

 日米地位協定は全部で28条あり、しかもそれぞれの項目が非常に長いものです。条例本体に付随する付則や付帯条項の常とはいえ、全部で10条しかない日米安全保障条約本体に比べて怖いほど細かく規定されています。日米地位協定は日米安全法相条約の中でも第6条に規定されている「施設・区域の使用に関連する具体的事項及び我が国における駐留米軍の法的地位に関しては日米間の別個の協定による」という条文に基づいて定められたもので「施設・区域の使用および駐留米軍の地位を規律する協定」となっています。日本の国の安全保障について論議し、あるいは憲法改正について論議するためには、その前提としてまず、わたしたちがその存在を知ってはいても、中身までは知らないか知らぬふりをしてきたその日米地位協定の中身について光を当て、日本と日本国民にとってどのような意味を持っているのか検証することが必要であることは論を待ちません。

 わたしが憤りと共に問題視しているのは日本政府が日米地位協定を1970年に自動継続としたことです。同協定の第28条には「この協定及びその合意された改正は、相互協力及び安全保障条約が有効である間、有効とする。ただし、それ以前に両政府間の合意によって終了させたときは、この限りでない」とあります。そこで改めて日米安保条約を見ると第10条に「・・・、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する」となっています。

 1970年はその10年の効力期間の最後の年だったのです。それをつまり日本側からは安保条約を終了させる意思はないと表明したことになります。1970年は安保闘争の年となりました。70年安保闘争の議論の的はいくつもありましたが、中でも最大であり、今日にまで重大かつ負の影響を残しているのが「自動継続」の決定を日本政府がしたことにあったとわたしは今でも考えています。

 毀誉褒貶の激しいのは昭和の政治家たちの常ですが、中でも特に際立っているのが田中角栄氏です。しかし、その彼が「あの戦争を知っている人間たちが政治家である限り、日本は戦争をしない」と言っていることをご存じでしょうか。その彼の一言でわたしの田中角栄像は定まりました。それは「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない」ということであり、つまりは「戦争を知らない政治家ばかりになったら、日本は戦争をする」と言っていることになります。そして、正しく今、日本だけでなく世界中の主だった国々の政治の中枢にいるリーダーたちは戦争を知らない政治家ばかりなのです。

 自民党政権は台湾有事に備えてなどといって軍備増強を図ろうとしています。大震災からの復興を助けるため復興債だったのはずの所得税増税分でさえも、その軍事力強化のための財源に回そうとしています。しかも、復興債だけで足らないと見るや捕捉率の高いサラリーマンの懐にさらに手を突っ込もうという増税論議も喧しくなってきました。日本の軍備増強は結局のところ、戦争を知らない政治家たちが、米国のビッグファミリーのロビー活動に踊らされている時の政権の言いなりになって、兵器を買いあさろうとしているにすぎません。軍拡は仮想敵国の更なる軍拡を誘い、そのいたちごっこは終わりがないどころか、戦争という形で破綻するまで続くことになるでしょう。いつか来た道をまた日本に歩ませようとしていると、わたしには思えてなりません。安全保障という言葉から、わたしたちは直ぐに日米安全保障条約を思い浮かべますし、また思い浮かべなくてはならないと、わたしは常に考えています。そして、その日米安保条約の本質が何であるかを、日本国民は正確に見つめ直さなくてはならないのです。

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