わたしの政策談義 8.軍備について

 台湾海峡の波高しということで、自民党政権は鉦や太鼓で「防衛力増強」「武器輸出3原則のなし崩し的緩和」を喧伝し、果ては核兵器保有論まで飛び出す始末です。そのことが日本の国の将来に向けて如何に危険な兆候であるか、もっと云うなら未来の国民の命を犠牲にすることをいとわない暴論であるかを、わたしたちは感じ取らなくてはなりません。つい100年前の20世紀の初頭、我々日本人は滅びへの死の行進に一歩を踏み出し、留まることも止めることもできないまま、300万人を超す犠牲者をだし、全国の主だった都市を焦土と化してしまいました。今また、その道へ踏み出そうとしているとしたら、現代を生きる我々の未来の日本人に対する背徳だと、わたしは考えています。

 繰り返しになりますが、最近の政治動向を見ていると田中角栄元首相が言った「戦争を体験している我々が政治の中枢にいる間はこの国は大丈夫だ」という言葉に重みをかんじます。空恐ろしいことに現在、国内の現役政治家にはあの太平洋戦争を経験した世代は見当たりません。外国に目をやっても、1953年生まれの中国の習近平もまた毛沢東たちの血みどろの内戦を知りません。高齢が政治的な課題となっている米国のジョー・バイデンでさえ1942年生まれです。さらに1952年生まれのウラジミール・プーチンは戦場での経験が無いだけでなく、軍隊生活すらも経験したことがありません。そのプーチンが侵略戦争を決断したことは、70数年前に我が国が犯した大きな過ちに通じるところがあるのも歴史の持つ皮肉さであるのかも知れません。ロシアとウクライナの歴的なつながり、言葉の共通性、隣国同士であることなどを考えると、正しく「戦争を体験している政治家がリーダーであるうちは世界は大丈夫」ということのアンチ・テーゼつまり「世界中のリーダーたちが戦争を体験していない政治家ばかりとなった今日、世界は危うい」のです。

 今の日本はかりそめではあっても確かに平和を享受しています。しかしこのまま座してその平和を享受するだけでは、少なくとも未来のわたしたちの平和までは保障されません。大岡昇平は彼の小説の一節で「軍に抗うことは確実に殺されるのに(大岡昇平戦争小説集靴の話・出征)」と書いています。そして「じっとしていれば、必ずしも召集されるとは限らない。招集されても前線に送られるとは限らない。送られても死ぬとは限らない(出征)」と考え「わたしは祖国をこんな絶望的な戦にひきずりこんだ軍部を憎んでいたが、わたしがこれまで彼らを阻止すべく何事も賭さなかった(俘虜記:捉まるまで)」のです。

 確実な死を覚悟し、それないっそ自らの命を破壊しようとした土壇場で、初めて「確実な死に向かって歩み寄る必然性は当時の生活のどこにもなかった。しかし今殺される寸前のわたしにはそれがある(出征)」ことに気づき、それでもなお、わたしがこれまで彼らを阻止すべく何事も賭さなかったことから「今更彼らによって与えられた運命に抗議する権利はない(捉まるまで)」と書くしかありませんでした。

 わたしはこれまでも「全ての軍隊はいつか必ず自国民に銃口を向け引き金を引く」と言ってきましたが、大岡昇平の生きていた時代、この日本の国の軍隊もまた、日本国民であっても自分たちに歯向かえば確実に死をもって報いることを辞さなかったのです。少なくとも大多数の国民がそう思っていたし、現実にもそうであったことを歴史が証明しています。

 政府の言う防衛力増強とは、兵器、兵力の増強であり、結局のところ自衛隊の組織拡大なのです。一度構成された組織はあらゆる生物がそうであるように、誕生と同時に自己の存続と成長(拡大)を希求します。そして、その存続と成長を阻もうとする存在を敵とみなし、自己(組織)を守るために、その存在を否定しようとします。軍隊も組織である以上そうです。本来の存在意義であるはずの「国防」よりもまず、自分たちの組織の保全(つまり存続と成長)を優先したくなるのは自然な自己防衛本というべきかもしれません。自らの存続と成長を阻もうとする存在を認めないというのはどんな組織もそうですが、軍隊の場合、暴力装置を有しているだけに当然ながら他の組織よりも危険です。そのことを日本の政治家も自覚していたのでしょう、少なくとも1970年代くらいまでは防衛大学校では「自分たち自衛隊員は軍人ではない、自衛隊員である」と教育し、そう自覚させていました。それがどうでしょう。現在、いつの間にか自衛隊は他国が認めるだけでなく、自分たち自身が軍隊であると口外して憚らなくなっています。それだけでもこの国がかつての軍隊に席巻され蹂躙されていた国へと確実に一歩を踏み出してしまったと思わざるを得ないのです。

 現在「殺傷能力のある防衛装備品(武器)の輸出を解禁」することを与党内で検討中です。残念ながらそこに国民世論などの入り込む余地はありません。わたしは長く外国で暮らしていましたが、その当時の日本の工業生産の技術の高さは世界中の称賛の的でした。その頃よく「日本の技術をもってすれば、性能の良い兵器を作れるはずなのに、それを造って輸出しようとしない。素晴らしいことだ」という声を聞いていました。

 1978年にソ連(当時)がアフガニスタンに侵攻した際、タリバンに対して米国が大量の武器を供与したことがありました。ソ連が引き揚げた後、タリバンと米国が敵対し交戦するようになると、米国がタリバンに供与した米国製のスティンガー(携帯式地対空ミサイル)が米国の攻撃用ヘリコプターを撃墜しました。

 それはベトナム戦争終結後の1978年から12年続いた中越戦争の時にも同様で、ベトナムが使ったのは、ベトナム戦争当時に中国から供与された中国製の武器でした。1982年に勃発した英国とアルゼンチンのフォークランド戦争の時には、同じ欧州諸共同体(EC)の一員同士で、北大西洋条約機構(NATO)の同盟国であったフランス製のエグゾセ(対艦ミサイル)一発で英国のフリゲート艦が撃沈されました。それぞれの国で兵器製造に就いていたその国の国民は、自国民や友好国を守るために危険な仕事に従事していたはずですが、その人々が製造した兵器が供与や輸出によって一旦他国にわたると、自分たちの国民や同盟国の国民を殺すことに使われてしまうということの皮肉さと深い悲しみを覚悟しなくてはならないのです。

 日本国内で製造されている殺傷目的の兵器や弾薬は今のところ全て自衛隊のためですが、それを輸出することになれば、いつの日か日本人が造った兵器・弾薬で日本人が殺されるという事態が起きることになります。日本人にそんな悲しい仕事をさせるわけにはいかないと思いませんか。

 「核兵器保有論」についてはもう論外というしかありません。核兵器に戦争抑止力があるという考え方は破綻しているだけでなく、もともとまやかしでしかありません。むしろロシアのプーチン、北朝鮮の金正恩に核兵器を持たせていることで核の脅威はいや増すばかりです。しかも、実は他の保有国である安全保障理事国やインド・パキスタンなどの国々についても核保有の目的は同じです。核兵器を保有するということが自国の安全ためというより、他国への恫喝のためなのです。世界で唯一の被核攻撃体験国である日本としては、核兵器を持とうというのではなく、核兵器を持つ国々に対して「核兵器放棄」を訴え、少なくとも「核兵器不使用の国際ルール」を確立することにリーダーシップをとるべきであり、世界中の核兵器禁止条約参加国(2023年1月9日現在署名国92か国・批准国69か国)がそのことを期待しています。そのためにも核兵器禁止条約に一日も早く参加して、米国にきちんと物申す「厄介な」同盟国になるべきですし、先ずは本年(2023年)11月にニューヨークで開催予定の参加国会議に、オブザーバーとしてでもいいから参加することを表明するべきと、わたしは訴え続けたいと思います。

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