「抑止力」という「虚構」

①ダモクレスの剣

 「抑止力」について考える時、どうゆうわけか「ダモクレスの剣」というエピソードを思い出す。

「紀元前4世紀初頭、シチリア島のシラクサに賢明で心やさしいのディオニュシオス2世と言う王がいました。ある日、ディオニュシオス王は華やかな宴席を開いて、王の寵臣であるダモクレスを自分の玉座に座ることを許しました。ダモクレスは喜んで玉座に座るのですが、ふと頭上を見上げると、髪の毛1本で吊るされた鋭い剣が自分を狙うようにぶら下がっています。それに気づいたダモクレスは慌てて逃げ出しました」

 ディオニュシオス王は王の境遇をうらやむダモクレスに、王者の地位がいかに危険と隣り合わせであるかということを言葉ではなく体験として伝えたというのが、ダモクレスの剣の言い伝えのもとになっている。この言い伝えは21世紀の今日でも権力者に充てはまる話のはずだ。しかし今、髪の毛でつるされた剣の下で暮らしているのはわたし達の方である。ディオニュシオス2世はそのことを知りながら平然とその場に座り続けていたのだが、わたし達はその剣の存在を知らないままに、あるいは知らぬふりをして暮らしている。

 そのわたし達の頭上に髪の毛1本でぶら下げられている剣が、核兵器であり、軍産複合体によって止むことを知らずに作り続けられる通常兵器だ。そしてその髪の毛ほどの細い糸とは、ディオニュシオス2世の足元にも及ばない身勝手な権力者たちの気まぐれな感情であり、しかもその糸はますます細くなっている。

 実はこのダモクレスの剣の話は1961年の国連総会での演説の中で、ジョン・F・ケネディが話した言葉である。彼自身は暗殺されるという形で、言葉の意味をわたしたちに思い知らせてくれたのだが、

「地球の全ての住人は、いずれこの星が居住に適さなくなってしまう可能性に思いをはせるべきであろう。老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。世にもか細い糸でつるされたその剣は、事故か誤算か狂気により、いつ切れても不思議はないのだ」というものだった。

 プーチンとトランプの登場だけでなく、日本の現状を見るにつけても、ケネディの予言めいた警告は日々刻々とその現実味を増していることに、わたし達はもう少し考えを及ぼさなくてはなるまい。

 米国にはケネディがいたが、ソ連にもミハイル・ゴルバチョフがいた。ゴルバチョフが国連広報センターの機関誌『UNクロニクル』の国連創設70周年記念特集号(2015年)に寄稿した文章の内容は

「私たちは(中略)核兵器の使用は許されないという原則を最優先すべきです。核保有国が近年になって採用している軍事政策や主張の中には、核戦争が許されないことを強調した1985年の米ソ共同声明の前の時代に後退している文言が見られます。「核戦争に勝利はなく、決して起こしてはならない」ことを再確認するために、おそらく安全保障理事会のレベルで、改めて声明を出さねばならないと私は確信しています」というものだった。

 彼は1985年から1991年までソビエト連邦共産党書記長を務め、1988年から1991年のソ連邦崩壊までは、彼自身が推し進めた「ペレストロイカ=再構築」によって役職名は最高会議幹部会議長、連邦最高会議議長、連邦大統領と変遷したが同国の国家元首であり続けた。

 ゴルバチョフの有名な言葉の一つに「こんな生き方はもうできない」と言うのがあるが、「こんな生き方」とは彼自身がダモクレスの剣の下で生きることではなく、当時のソヴィエトの人々を滅ぼしかねないだけでなく、世界全体を破滅させかねない核兵器というダモクレスの剣の下で生きることを言っていた。彼の推し進めた「ペレストロイカ」をそれまでの生き方を変えるための「革命」的な試みだったと言える。

 彼のお陰で少なくとも、その当時世界中にあった数万発の核爆弾は1万数千発まで削減されたし、1987年には米国との間で中距離核戦力全廃条約(INF)を結ぶに至っている。1990年にノーベル平和賞を受賞しているが、その価値は十分にあったとわたしは今でも考えている。

 そしてこの1960年のケネディと1980年代のゴルバチョフの思いこそが、本当の意味での「抑止力」であると、わたしは信じている。翻って今声高に「抑止力」と言い募る人々の欺瞞と、その裏にある米国の軍産複合体のプロパガンダを信じる人々の増えていることにわたしは恐怖するばかりである。頭上を見上げてみよう。わたし達の頭の上にマッドマンたちの気まぐれな感情という細い糸でぶら下げられた剣がわたしを狙っていることに気づくことが出来るかも知れない。

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