「抑止力」という「虚構」

②憲法九条「不戦の誓い」

 自民党総裁に高市早苗が選ばれた。彼女は憲法改正、中でも九条改正をライフラーク、究極の政治目標だと高言してきた。彼女にとってそれは岸信介・安倍晋三の怨念の系譜につながるものであり、もはや政治理念やポリシーの問題ではなく、異界にいる岸・安倍との律法的契約のレベルとして揺るぎない信念となっているようだ。

 しかし、本当に平和憲法は、あるいは憲法の前文や九条は彼女たち極右勢力に目の敵にされなくてはならないものなのだろうか。わたしは九条こそわたし達にとっての最大最強の抑止力だと考えている。抑止力を考えているというのに、日本国憲法について、中でも第9条が出てくることに戸惑うかもしれないが、わたしは日本国と日本人が抑止力を考える時、平和憲法とその憲法の九条こそが抑止力であり、だからこそ日米の軍産複合体は右翼思想と中国脅威論を持ち出して、今の憲法では国を守れないと、躍起になって日本を戦争のできる国にしようと考えているのだ。

 しかしよく考えてみると、この憲法があったればこそ、わたし達は敗戦後80年、米ソ冷戦のはざまにありながら、戦争に巻き込まれることなく過ごしてこれたのだ。これまで日本が米国の「軍事的同盟国」として戦争に巻き込まれる危険性が高まった時期は実は何度もあった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、その全てにおいて日本は「参加したいのは山々だけど平和憲法があるので直接参加することは出来ない」と断ることが出来、直接的な介入をせずに済んできたのだ。

 わたしは別に憲法を金科玉条とも、石に刻まれた「モーゼの十戒」とも考えていない。時代の変遷に伴う社会環境の変化や国際情勢に伴って変えるべきことは変えなくてはならないと考えている。しかし、だからと言って自民党のネオコンや米国の軍産複合体の手先のような輩の「改憲論議」には絶対反対である。

 憲法と法律の違いについて、法学者でも弁護士でもないわたしが知ったかぶりをすることは出来ないが、一つだけわたしが理解していることは「法律はわたし達を律する規範」であり「憲法はわたし達が国家権力を縛る規範」であるということだ。従って国家権力の側から改憲を言い出すこと自体、わたし達が権力の身勝手を許さないためのせっかくの縛りの力を削ごうということだと考えている。

 国防力アップという名目で財源問題の埒外に置かれ、限りなく軍拡に突き進もうとしている現状に照らして考えると、「こんな物騒な世の中なんだから、法律を改正してわたし達にも拳銃を使用することが出来るようにしてほしい」と言いだしたらどうだろう。「クマが多くておちおちキノコ採りにも行けない。誰でもライフル銃を携行できるようにして欲しい。猟銃を使えるようにして欲しい」と言いさすかもしれない。もし本当にそうなったら日本はどんな国になるか、今の銃社会の米国を見れば論を待つこともない。

 同様に改憲論者が「近隣諸国がいつ攻めてくるかもしれない物騒な情勢なんだから、憲法を改正して日本国も先制防衛攻撃ができる(戦争をする)ようにならなくてならない」「隣の国の指導者たちはクマより凶暴で、どんな無理難題を言い出すか分からないし、いつ何時、日本を攻めてくるかもしれない。そのために日本は反撃可能な武装をしなくてはならない」と言っているのだ。

 しかも、実は憲法九条は既に風穴を開けられてしまっている。湾岸戦争で「ショウ・ザ・フラッグ」と言われて多額の戦費を提供し、イラク戦争では「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」と言われて兵站と後方支援を担ったにも拘らず、いずれの場合も米国からも当事国からも感謝されなかったということを、まるでトラウマのように抱え込んでしまった安倍晋三によって、憲法を踏みにじる法案が二つも成立してしまった。

 それは第2次安倍政権時代の2015年9月に制定された「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」である。この二つの法律は名前にこそ「平和」という言葉が使われ、他国からの攻撃を抑止するための法律だとしているが、正しく「戦争を可能にする」法律である。従って明確に憲法違反である。国会での圧倒的多数を背景にした権力者安倍晋三による憲法無視であったのだ。この日以来、憲法によって守られてきたわたし達日本人は権力者の、あまつさえ米国の意向次第で戦争に駆り出され、殺し殺される危険の元に暮らさざるを得なくなっていると言える。右翼勢力が過半数を失っている今こそ、この憲法違反の2法案を廃案にするべきだが、悲しいことに先の参議院選挙でも与野党ともに、その論議は全くなされていない。

 わたしは旧明治憲法においても同じことがあったと考えている。それこそが「統帥権」である。それによって日本が破滅の道を突き進むことになった。明治憲法が出来るまでは軍政と軍令は1869年(明治2年)に設置された兵部省が所管していたが、文官と武官が未分化だったため、軍政も軍令も武官でなければ行使できないという解釈は無かった。1889年(明治22年)公布された大日本帝国憲法(明治憲法)に先立って1885年(明治18年)に内閣制度が施行されるようになった時、内閣に属する陸海軍大臣が誕生した。内閣に属するということは天皇に信任された総理大臣の指揮命令下にあるということだ。しかし、憲法制定に反対する一部の元老たちを宥めるため、同憲法の11条にある「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」を「天皇が陸海軍を直接統帥する統帥権」と解釈することで取引をした。この解釈によって内閣から独立した機関=統帥部(陸軍:参謀総長。海軍:軍令部総長)を認めることになったのだ。つまり憲法の制定と同時に、憲法に従う必要のない「統帥部」もなるものも誕生したことになる。立憲君主制とは憲法によって王権を縛っておくということだ。その王権を縛るために存在する憲法の、埒外にあって縛られることはないという解釈が、その後の陸海軍の独断専横を許すことに繋がって行った。

 さらに、昭和初年になると軍部の台頭に伴い、さらに同憲法12条「の天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」とある部分も軍部の都合のいい様に解釈するようになった。「こと軍事に関する限り予算や財源捻出についても、天皇の権限を輔弼するのは内閣ではなく、軍令部である」となったのである。明治憲法には書かれていない「統帥権」が、天皇の名を騙ることによってどんどん拡大解釈され、その後の日本の破滅を導くことになったことは忘れてはなるまい。

 大日本帝国憲法(明治憲法)であれ、日本国憲法(新憲法)であれ、権力を縛り上げておくことが国民にとっての最も有効で持続可能な「抑止力」である。どんな小さな兆候であっても権力の側がそれを突き崩そうとする試みを許してしまえば、国家も国民を無事では済まなくなるということを、わたし達は肝に銘じておかなくてはならない。あの「ワイマール憲法」という理想を謳った憲法下から、ヒットラーのナチズムが生まれたこともまた、歴史の教訓としてわたし達は忘れてはならないとわたしは考えている。

カテゴリー: 抑止力という虚構 パーマリンク