ステイホームウイークスー10

10.パンデミックでわたしたちの未来はどう変わるか-2

 コロナやインフルエンザだけでなく、ウイルスはわたしたち人類にとって最も恐れるべきものだと言われています。ウイルスは人類に限らず全ての生物種そのものの生殺与奪の権をにぎっているとも言われ、神にすらなぞらえている科学者もいるくらいです。ウイルスがどれだけの脅威かということを、新型コロナウイルス感染症が改めて思いださせてくれただけのことかも知れません。

 わたしたちの社会は今、大きな転換期を迎えています。そのことは新型コロナウイルス感染症の発生前から言われていたことですが、パンデミックによってその転換期がより早く、よりドラスティックになるかも知れません。これまでも世界的な転換期は、大航海時代や産業革命など何度もありましたが、これまでの歴史の中のそれは常に世界のグローバル化が引き金になっていたような気がします。シルクロードをラクダでテクテク歩いて交易していた時代から大航海時代に移った時などが、その典型だったのではないでしょうか。しかし、いかに大航海時代といえども動いていたのは一部の冒険商人たちと、商品価値の高い交易品(その中には現代にまで悲しい影響を引き摺っている黒人奴隷もいましたが)だけでした。

21世紀のグローバル社会ではヒト・モノだけでなくマネーと情報そのものが地球を駆け巡るようになりました。ヒトといっても商人や船乗り、軍人だけでなく観光客という大集団がつい半年前までは駆け巡っていましたし、日本の田舎の観光地でさえ「インバウンド」なる観光客需要に期待して、地方経済までが回っていました。

 特に中国というヒトとトリとブタの距離が近く、親和度の高い生活感覚の持ち主たちが人口に見合うだけの観光客を世界中に送り出すようになって、人類がパンデミックにさらされる危険性は大幅に増していると言えます。トリとはニワトリのことですが、インフルエンザはもともとシベリア辺りの水鳥が持っているウイルスであり、渡りで南下してニワトリに感染させてしまうと、それが鳥インフルエンザとして養鶏に大打撃を与えてしまいます。そのニワトリとブタが同じ場所で放し飼いになっていたりして、トリからブタにウイルスが居場所を移すと、ブタの体内でウイルスが増殖したり、突然変異を起こしたりして人間にも感染する怖いウイルスになる可能性が高いのです。中国も生活環境そのものは経済成長とともに大きく変わってきましたが、生活する感覚そのものが変わるまでにはまだまだ時が必要でしょう。グローバル世界、あるいはインバウンド経済などという動きには、そんな陰の部分もあることを、わたしたちはコロナウイルスに改めて教えられたのかも知れません。

 これまでの世界的な人口増加と科学技術の進歩、市場を駆け巡るマネーと情報の氾濫の中、沸騰する社会の中で見えなくなっていた、あるいは見なくても済んで来た多くの課題や未来への付けのようなものが、コロナという鞭を振るわれたことで、はっと気が付いて見えてきた、あるいは見ようとし始めているのかも知れません。

 ではコロナで早まるかもしれない転換期の次にどんな世界が待っているのか。いえ、どんな世界をわたしたちは現出していかなくてはならないのかと考え込んでしまいます。確かにこれまでの経済至上主義、金融マーケット至上主義、生産性至上主義というパラダイムから、命と心を尊重し、家庭と地域社会の健全性を追求する方向性は見えてきたような気がします。正しくGDP(国民総生産)からGDH(国民総幸福度)へと、社会生活の指標が変わりつつあるのかもしれません。

 そこでいくつかのキーワードを挙げて、ひとつずつ考えてみることにしました。そのキーワードは、まだまだ日本語になじんでいません。知ったかぶりの誹りを覚悟のうえで、あえてこれまで見えなかった問題点として「シンギュラリティー」「モノプソニー」「コモンズの悲劇」の3つ、これからの世界を変えていくためのヒントとして「グリーン・リカバリー」、先ずはこの4つのキーワードを考えてみようと思います。その4つのキーワードについて、少しだけ、わたしの知っているところをお話ししましょう。

 シンギュラリティ―(Singularity)とは辞書的には「技術的特異点」と訳されています。未来学者が提唱してきた概念です。言ってしまえば人工知能が人知を超える、その境目のことです。AI(人工知能)が自分自身を改良し、高度化した結果、人工知能の生み出す技術や知能が、人類のためではなく人工知能自身のための新しい文明を生み出してしまうかもしれな境目になることを、多くの科学者が心配しています。第4次産業革命の進展と共に、それが現実化していることを、わたしたちも少し感じ始めているかもしれません。

 モノプソニー(Monopsony)とは「買い手独占」と訳される経済学の専門用語だそうです。買い手が市場を実質的に支配している市場構造を意味しています。売り手が市場を独占している場合、その独占企業は買い手が購入する時の価格の決定権を持つことができます。それと同じように、買い手側が商品やサービスの唯一の買い手となった場合、売り手が売ろうとする価格を買い手側が決定する力を持っているかも知れないという事です。これだけ聞けば、消費者にとって有利な感じがして問題を感じないかも知れません。

 しかし労働市場では売り手とは労働力の提供側であり、買い手とは雇用する企業側という事になります。モノプソニーの労働市場では企業側が一方的に労賃の決定権を握るという事であり、それは労働者にとって労働生産性、つまり働いて稼ぐ給料が過小評価され、働く環境や福利厚生が尊重されないという事に結びついてしまう事になります。

 コモンズの悲劇(The Tragedy of the Commons)は直訳すると「共有地の悲劇」という事です。社会学の専門用語として知られていますが、実は1960年代に最初に提唱したのはギャレット・ハーディンという米国の生物学者でした。

 例えば村のみんなが好きなだけ家畜を放牧できる放牧場(コモンズ)があるとします。放牧場の牧草の生産力に見合うだけの家畜が放牧されているのなら問題は起こらないかもしれませんが、村人は自分の収入を増やそうとてんでに放牧する家畜を増やし、いずれは牧場の収容可能数を超えてしまいます。そうなると家畜は成長しませんから、期待していた収入は得られません。そこで気が付けばいいのですが、村人は利益を確保しようとさらに家畜を放牧してしまいます。その結果、放牧場は回復不可能なほどのダメージを受け、村は貧困化し崩壊に進んでしまうというのです。

 では、放牧場を村人の数で分割して、それぞれの私有地にしてしまえば大丈夫かというとそうではありませんした。1970年代から国連機関がアフリカで行った一大プロジェクトでは、かえってアフリカの牧草地帯は疲弊してしまい、農民たちは流民化するしかありませんでした。さらに、アルゼンチンやウルグアイのパンパ(放牧地として使ってきた草原地帯)が砂漠化してしまったという事はわたしたちに改めて「コモンズの悲劇」の根の深さを警告しているのかも知れません。

 グリーンリカバリー(Green Recovery)は、直訳すれば「緑の回復」という概念です。本年4月にドイツがCOP26の議長国・英国とともに主要国の閣僚級を招いてweb会議で開催した「ペータースベルク気候対話」での中心的論議となったことが知られています。新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延によって大きなダメージを受けた世界中の経済と社会を復興させるため「脱炭素と生態系と生物多様性を保全によって、災害や感染症に強靱な社会・経済を実現」して行こうという考え方がグリーンリカバリーであり、それはパリ協定のコンセプトであるSDGs(持続可能な開発目標)の考え方の延長上にあるとも言えます。

皆さんも一緒にこれらの言葉の意味するところを考えてみましょう。

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