ステイホームウイークス番外編-1

「逆動物園」の戒め

 もうずいぶん昔のことですが、ブラジルが今よりずっと物騒だった頃(といっても今だって大都市を中心にまだまだ物騒なことは当時とかわりませんが)、人々が柵を巡らせた家や高層アパートに住むようになっていました。玄関とは別に車の出入り口は2重扉になっていて、車の通行の隙に誰かが侵入するということがないようになっています。何百、何千ヘクタールという大農場でも、居住区だけは高いフェンスで囲み、同じく2重の自動門扉で守られていると暮らしぶりでした。

 友人のアパート(日本ではどういうわけかマンションと呼んでいますが)を訪問するとなると大変です。まず、門のところでモニター越しにガードマンと話をします。ガードマンはアパートの住人に確認を取り、訪問者の周りに不審者がいないことを確認して、門扉のカギを開けます。次にアパートの玄関であらかじめ聞いていた番号で部屋の住人に電話をかけ、自動ドアを開けてもらいます。各室の玄関もドアに4つくらいカギがついているのは当たり前で、覗き穴やモニター越しに誰が来たか、周りに不審者がいないかを確認してからドアが開きます。そのあとはお決まりの大袈裟な歓迎の挨拶、抱擁、頬への接吻の交換などとなるのですが。

 分譲住宅団地でも少し高級なところになると、団地全体を高い塀で囲み、出入り口を同じように固めたうえで、24時間団地内をガードマンが車で巡回パトロールしています。わたしはその社会を「逆動物園」と皮肉交じりに評していたものです。動物園でトラかライオンが逃げ出し、檻の外をうろついているとしたら、わたしたちはどうするでしょう。空いている檻の中に逃げ込んで、しっかりと鍵をかけ大人しくしていることでしょう。猛獣が闊歩しているまちでは、わたしたちの方が檻の中で生活するしかなくなるのです。

 新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起きて、わたしはそのことを思い出しました。いつどこで誰から移されるかわからないという恐怖心が、わたしたちを大人しく自粛という檻の生活をさせています。わたしたちに移すかもしれない感染者は見ただけでは分かりません。でもその数は正確にはカウントできないにしても、わたしたち健常者よりずっと少ないはずです。感染のメカニズムもまだ正確には不明です。不幸にして感染してしまった人をトラやライオンのように恐れ、まるで感染したことが罪悪であるかの如く、寄ってたかって非難するというのも、実は本当のトラやライオンがどこかに潜んでいるという恐怖心のなせる業なのかもしれません。檻に閉じ込められて暮らさざるを得ないわたしたちのストレスが苛立ちに変わり、それが引き鉄となって逆に攻撃的になるという事もあるでしょう。ただ、絶対に間違ってはいけないのは戦う相手は新型コロナウイルスという目に見えない猛獣であって、その感染者という目に見えるわたしたちの仲間ではないということです。

 わたしはブラジルでも最も物騒だと言われていたリオ・デ・ジャネイロのコパカバーナ海岸に3年暮らしました。色々と危険な目にも会いました。それでもリオ・デ・ジャネイロの住民の方たちを弁護するなら、無法者たちの数は人口に比して圧倒的に少ないのです。そのごく少数の無法者が町に放たれているばかりに、住民たちの方が前述のような檻に入る生活を強いられているわけです。

 同じように、わたしたちは今、コロナという目に見えない猛獣を相手にすることになりました。東京で急激に感染者が増え始め、いよいよ第2波が来るのではないかとか、そもそも第1波は終わっていなかったのではないかとか言われています。こんな時、わたしたちは自分たちの恐怖心の捌け口を、他者を攻撃することに求めてしまうかもしれません。もちろん、トラやライオンがうようよいるような街に出歩くことは命知らずの行為ということになるでしょう。ましてそのトラやライオンは自分たちの姿を決して見せないばかりか、わたしたちの体の中に潜んで、次なるターゲットを狙っているのですから厄介です。

 わたしたちが檻の中に暮らすのではなく、トラやライオンが檻の中に入るようにならなければ、わたしたちの安心できる暮らしは望むべくもありません。しかし、それは予防薬や治療法が確立するという事であり、言うは易く実現するにはまだまだ時間のかかることでしょう。ウイルス感染症としては最も有名な天然痘でさえ、1796年にエドワード・ジェンナーによって種痘というワクチン接種による予防法が開発され、1958年にWHOが「世界天然痘根絶」を決議してから、実際にその天然痘根絶の戦いに勝利したとWHOが発表できたのは1980年だったのです。細菌性の感染症であるペストに至ってはいまだに確実な予防法は実は「逆動物園」しかないというのが実情です。2004年から2015年までの12年間で、ペストは世界中で約5万7千人に感染し、4651人を死に至らしめています。リオ・デ・ジャネイロの治安の悪さの原因が貧困や階層差別であることが分かっているのに、その社会不安を取り除くための予防法も治療法もないままに、何十年たっても人々は「逆動物園」の暮らしに甘んじているのと同じです。

 しかも今回の新型コロナウイルス感染症にしても2009年の新型インフルエンザにしても、ウイルスが突然変異して全く新しい病原体として、突然人間を襲うようになるのです。これから時代、わたしたちはその見えない新しいトラやライオンがわたしたちを獲物として常に狙っていることに、怯えながら生きていくしかないのかも知れません。

 自宅自粛やソーシャルディスタンスはつまるところ「逆動物園」状態という事ですが、それがずっと続くようではわたしたちは生きてはいけません。檻から出て暮らすためには、まず冷静に周囲に気を配り、見えないトラやライオンが襲って来ないかどうか確認しながら行動しなくてはなりません。人との物理的な距離を保ちながらも、心と心の距離が離れることのないようにしなくてはなりません。さらに言えば、もしかしたら自分の体の中にもう、トラやライオンが隠れているかも知れない、それを人に移してはいけないという注意を常に払うことも大切でしょう。

 今回の新型コロナウイルス感染症はワクチンや治療薬の開発によって、いずれ姿を消すでしょうが、また新しい感染症が襲ってくることも覚悟しておかなくてはなりません。そのたびにわたしたちが誰かを攻撃し「魔女狩り」をしていては、わたしたちの人間社会は取り返しがつかないほど破壊されてしまいます。その恐怖から少しでも解放されるためにも、わたしたちは人間本来の特性、つまり共同体を形成して、その中で暮らしていくという事を忘れてはならないのです。何度も言いますがコロナに負けない社会とは、人間同士の心のつながりの強固な社会だと、わたしは常に考えています。

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