ステイホームウイークスー13

13.わたしたちの未来 

3)コモンズの悲劇から抜け出すために

わたしの大学時代の同郷の同級生S君は、学生時代は空手部の主将として活躍し、卒業後に水産庁に入省し行政官として数々の実績を挙げました。キャリアには珍しく天下りすることを拒否して定年まで奉職し、退職後は伊勢湾に浮かぶ小さな島で漁師の仲間入りをしています。2013年、彼が北斗書房から「コモンズの悲劇から脱却せよ」という本を出しました。副題に「日本型漁業に学ぶ、経済成長主義の危うさ」と付いているとおり、水産業・漁業だけに関わらず、現代社会の矛盾について箴言となりうる言葉が散りばめられており、深く考えさせられる力著です。因みにS君の名前は「力生」ですが、その名に恥じぬ役人生活を送り、今も漁師仲間と共に「力生」という名にふさわしい人生を体現しています。

コモンズの悲劇(The Tragedy of the Commons)とは直訳すると「共有地の悲劇」という事です。社会学の専門用語として知られていますが、実は1960年代に最初に提唱したのはギャレット・ハーディンという米国の生物学者でした。

 例えば村人みんなが好きなだけ家畜を放牧できる放牧場(コモンズ)があるとします。放牧場の牧草の生産力に見合うだけの家畜が放牧されているのなら問題は起こらないかもしれませんが、村人は家族が増えると自家の収入を増やすため、次第に放牧する家畜を増やそうとします。いずれは共有地の収容可能数を超えてしまいます。そうなると家畜は成長しませんから、期待していた収入は得られません。そこで気が付けばいいのですが、村人は利益を確保しようとさらに放牧する家畜を増やしてしまいます。その結果、放牧場は回復不可能なほどのダメージを受け、村は貧困化し崩壊に進んでしまうというがコモンズの悲劇なのです。

 では放牧場を村人の数で分割して、それぞれの私有地にしてしまえば大丈夫かというと、問題はそう簡単なものではありません。1970年代から国連機関がアフリカで行った定着自作農育成の一大プロジェクトでは、かえってアフリカの牧草地帯は疲弊してしまい、農民たちは流民化するしかありませんでした。さらに、米国の牛肉輸入自由化によって、アルゼンチンやウルグアイで過放牧状態に陥り、あれだけ豊かな生産力を誇ったパンパ(放牧地として使ってきた草原地帯)の砂漠化が進んで生産力を落としてしまったという事実が、わたしたちに改めて「コモンズの悲劇」の根の深さを警告しているのかも知れません。昨今アマゾン流域での森林伐採と山焼きが問題になっていますが、これにも同根の病巣が見え隠れしています。「コモンズ」が村の共有地や入会地であるうちは、まだ問題も大きくはならなかったのでしょうが、今や「コモンズ」とは地球そのものだという事を、わたしたちは理解することを強いられているのです。

 中国が世界の工場と言われてきました。所謂改革開放路線をひいた中国の安い労働力と大きな市場を目指して、世界中の先進国が殺到しました。それは途上国が経済成長しようとするエネルギーを、先進国が吸収しようとしているという見方もできます。年老いて活力を失った熟年世代が、元気な若者たちと付き合うことで、なんとか元気を補えないかと思うのは仕方のないことかもしれませんが、そんなことが実は出来るわけはないことを、わたしたちはそろそろ理解しなくてはならないでしょう。

 グローバルという言葉は、活発な貿易や外国人観光客の誘致を意味するインバウンドと表裏一体です。貿易とは本来輸出入のことであり、国というレベルを考えるなら、輸出が輸入を常に上回ることが求められ、戦後の高度成長期の日本はそれを国家の目標としてわき目もふらずにやってきました。ところが中国の急激な経済成長を見ていると、今日の国際経済は20世紀型の貿易中心の経済ではなくなってきたと思うのはわたしだけでしょうか。人件費や環境対策費などの製造コストが自国で製造するより低く抑えられるという事で、自国内需要を市場とした製品をわざわざ他国で製造するというようなことは、20世紀型の貿易の考え方では理解できません。そこには先進国と途上国の経済・社会の格差が見えます。先進国はより人件費の安い、より環境対策の甘い国を目指して進出していきますが、その結果として「コモンズの悲劇」を生み出してしまいました。しかも、この場合のコモンズでは先進国が村人、共有地・入会地が途上国ですから、悲劇は地球規模で起るという事です。

 今回のコロナ禍が始まった頃、医療用マスクの不足が問題化しました。それは中国がマスクを輸出することを禁じたからです。しかし、その中国で医療用マスクを作っていたのは日本国内の市場での競争力を確保するために人件費などの安い中国に工場を立てた日本の企業でした。それが如何に危ういものあったか、コロナが教えてくれたことになります。マスクは曲がりなりにも何とかなりました。しかし、今後、似たような事態が発生して世界中で食料の輸出を禁じたとしたらどうなるでしょう。日本の食糧の自給率は40%を切っています。さらに畜産業で使う飼料用の農産物も輸入していますし、水産養殖で使う餌料でさえ国外に頼るようになってしまっているのです。鶏肉や鶏卵でさえ農産物の輸入が出来なくなったら危ういのです。

 江戸時代の2百数十年の太平の眠りをペリーの砲艦外交で破られた日本は、その後先進国に追いつけ追い越せという事をスローガンに掲げました。そのために最も効率のよい方法として、官主導・公権力主導、民間はトップランナー優先主義をとるという国是を形成してきました。一度は軍国主義に乗っ取られてそれまでの努力を灰燼に帰させてしまいましたが、結局戦後もまた同じ路線をとり、少なくとも20世紀後半はそれなりに順調だったと言えるでしょう。しかし、その一見順調だったと言われる経済成長の結果、確かに世界有数の経済大国になりましたが、その結果として21世紀の日本では、国内に深刻な経済格差を生み、この国で貧困に苦しむ子どもたちを生み出してしまいました。

 現代社会におけるコモンズとは何か、コモンズの悲劇はどんな形でわたしたちを脅かしてくるのか、S君のおかげでわたしも考えるようになりました。その考察の中でどうしてもコモンズという言葉とグローバルという言葉が重なってしまいます。「コロナ後の社会の在り方」という事が言われ始めました。コロナ後の世界を考える時、特に日本においてのグローバルという言葉の意味を、このコモンズの悲劇というヒントによって見直してみたいと思っています。

 少し経済的に余裕があるからと言って、自分の都合だけでコモンズに我勝ちに家畜を放牧してしまえば、単にコモンズを枯渇させたり、それによって土壌侵食や土砂災害を引き起こし、果ては気候さえ変えてしまうという事を、そろそろわたしたちは身辺の深刻な問題として考えなくてはならないのではないでしょうか。

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