ステイホームウイークスー12

12.わたしたちの未来 

2)グローバル社会の中でモノプソニーをどう克服するか

 モノプソニー(Monopsony)とは「買い手独占」と訳される経済学の専門用語だそうです。買い手が市場を実質的に支配している市場構造を意味しています。売り手が市場を独占している場合、その独占企業は買い手が購入する時の価格を決定することができます。逆に買い手側が商品やサービスの唯一の買い手となった場合、売り手が売ろうとする価格を買い手側が決定する力を持つことになるというのがモノプソニーです。これだけ聞けば、消費者にとって有利な感じがして問題を感じません。

 しかし、売り手と買い手の関係を働くものと雇い入れる側とに置き換えてみましょう。労働力市場では売り手とは労働力の提供側、つまり働く人であり、買い手とは雇用する企業側という事になります。モノプソニーの労働市場では企業側が一方的に労賃の決定権を握るという事であり、それは労働者にとって労働生産性、つまり働いて稼ぐ給料が過小評価され、働く環境や福利厚生が尊重されないという事に結びついてしまう事になってしまいます。

 コロナ禍で解雇される労働者、働いていた職場が閉鎖や倒産、合理化の対象となって職を失う人が出始めました。しかし、実はコロナ禍が襲ってくる前から、日本の労働市場は買い手市場、つまり雇用する側である企業の方が一方的に、価格つまり賃金を決めることが出来る状態にあったのではないでしょうか。

 人口減少期に入った日本のことですから、自然仕事を求める人の数も減っているはずですし、人口減少の分だけ国内消費市場が縮小しているとしても、供給側がその分だけ縮小すれば均衡は保たれていくはずです。もちろん、世界の人口は相変わらず増え続けていますし、特に日本は世界を相手にしながら今日の経済力をつけてきたのですから、一国の国内事情だけで物事が決められているわけではないことは分かっています。しかし、そうれあればこそ、純粋に国産の消費であるはずの労働力への対価が低迷することはないはずです。ところが現実は失われた20年の間、日本の賃金はいわば過少評価され続けてきたと言えます。

 先進国という言葉は好きではありませんが、G7参加国、OECD加盟国などが先進国でしょうか。その中でも日本はGDPでは米国に次ぐ第2番目(世界全体では中国が2位となり日本は3位)の経済大国です。G7内でのGDPの順位は1.米国2.日本3.ドイツ4.英国5.フランス6.イタリアですが、一人当たりGDPになると順位が入れ代わり、1.米国2.ドイツ3.カナダ4.フランス5.英国6.日本7.イタリアとなります。さらに労働者の平均給与所得の順位は1.米国2.カナダ3.英国4.ドイツ5.フランス6.イタリア7.日本で日本が最下位です。最低賃金比較ではイタリアにはその制度がありませんが、最も高いのがフランスとなり以下、2.ドイツ3.英国4.カナダ5.日本6.米国です。

 コロナ禍で最も社会を揺るがしているのが米国ですが、その社会的要因にこの順位の生み出す問題が潜んでいるのではないかと考えるのはわたしひとりではないでしょう。年間の労働時間の違いもありますので単純比較はできませんが、年間の給与所得の平均は米国の約6万3千ドルに対して日本が4万1千ドル、しかし最低賃金となると日本の1万7千ドルに対して米国は1万5千ドルでしかありません。

 もう一度商品の値段に戻りますが、本来自由主義社会の自由経済・市場経済では物の値段は需要と供給のバランスによって決まるはずです。しかし、仮に買い手の方がある商品の値段に上限を設けて、それ以上は絶対に払わないと言い出したらどうなるでしょうか、売り手や作り手はその価格に合わせて商品を売るしかなく、当然ながらそれを作るコストは著しく制限されることになります。それがモノプソニーの問題点です。デフレ経済の裏側にこのモノプソニーという怪物が潜んでいるのです。

 商品を労働の対価に置き換えてみると、モノプソニーの別の問題点が見えてきます。これ以上は払えないと雇用者側が言えば、雇用される側はその賃金で働くか、別の仕事を探すかという事になります。労働力という商品を提供する側が労働者であり、その商品を買うのが雇用者側だからです。市場経済・自由経済の需要と供給のバランスに基づけば、労働者が不足すれば賃金は上がり、失業率が高くなれば賃金は下がるでしょう。しかし、実際はそうなっていません。そのことは米国の平均給与と最低賃金の大きな開きからも見えてきます。では、なぜ米国の最低賃金は国の経済力や生産性に比して低いのか、それは隣国メキシコに代表される米国を取り巻く多くの途上国からの労働力移入が要因の一つなのです。

 米国の平均給与が年6万3千ドルに対してメキシコのそれは年1万6千ドル、最低賃金は年ベースで米国1万5千ドル、メキシコ2千2百ドルです。トランプ大統領がどんなに国境を厳重に閉鎖しても、これでは米国に流入しようとする地続きの隣国人が後を絶つはずはありません。同じことが日本でも始まっていました。所謂3K職場と言われる職業を中心に労働力不足を外国人労働者で、なんとか補ってきたのです。

 本来、人が嫌がるような3K仕事であれば、エアコンの効いた部屋で汗もかかずに働くことできる一般事務職より高い給料を払って人集めをすることになるはずです。国が労働力について厳密に鎖国状態であれば、そうなったことでしょう。しかし、実際はどんなに人手不足に悩んでいる経営者でも、では給料を大幅に上げて求人しようとはしません。そんなことをしたら、企業間の競争に生き残っていけないからです。そんな企業側の窮状を救済してくれるのが、途上国の労働力というわけです。

 労働力という商品を買う側にしてみれば、そのおかげで価格の上限を勝手に決めることが出来るとも言えるのです。売る側、つまり労働者側に立てば、売値が限定されればそれに従う事しかできません。だからこそ、何らかの技能や資格を得ようと必死になることになりますが、これも労働力のモノプソニー下にあっては無事ではありません。既に若い医師や弁護士の収入の低迷が社会問題化しているのです。

 日系移住者の子弟への解禁をはじめとして、研修制度、日本語学校など、日本でも国は大企業の圧力に負けて、外国人労働力の占有率を引き上げてきました。ついには単純動労者の就労さえ認めようとしています。外国人労働者が日本滞在中の収入や経験、取得した技能を帰国後本国で活かすことが出来るのなら、日本の国としての世界レベルでの社会貢献も評価されるでしょう。しかし、日本の給与水準を低く抑えるためだけに外国人労働者を受け入れる(それが政府財界の本音でしょうが)ことは、単に賃金のモノプソニーを定着させてしまうだけです。それでは日本国内の労働環境を悪化させることはもちろん、実は外国人労働者の母国の社会環境にも、良い結果はもたらしません。そのことは先進国への労働力の輸出国が、いつまでたってもその労働市場構造から抜け出せないでいることが、如実に物語っているのではないでしょうか。

 わたしたちがグローバルな世界で生きて行くしかないことは、受け入れるしかない現実です。しかし、インバウンドにだけ依存する観光産業が新型コロナウイルス感染症によって、如何に脆弱だったかという事と同じように、途上国からの労働者に頼ってモノプソニーな労働市場を生み出している日本社会の現状もまた、人材の空洞化という病疾に侵されつつあるのかも知れません。

 だからこそ今、コロナ禍によってもたらされた、わたしたちの来し方とわたしのたちの生きる意味という本質的な命題を、立ち止まって考えることが出来る機会を活かすためにも、もう一度、自分の生活する小さな社会を見直し、自分たちの依って立つ狭い意味での共同体意識を維持するための信頼関係を強固にしながら、その連帯感をもって近隣の共同体、近隣の国々へと惻隠の情を広げていかなくてはならないと、わたしは考えています。

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