2025参議院選挙の課題-6

⑥教育と技術開発支援

 わたしは教育こそが日本の国家安全保障の最も重要な根幹であると考えている。明治維新という奇跡ともいうべき社会の大転換期に、人口3000万人ほどの弱小国のそれを支えたのは、鎖国期の日本国内の教育熱心さを土台とする国民上げての勉学の賜物だった。江戸期の教育とは武家の藩校や素読のことだけを言っているのではない。寺子屋など町民への読み書き、商人の読み書きに加えたそろばん(算数)などもあった。明治初年の識字率は先進国であるはずのヨーロッパ列強をはるかに凌いでいたとも言われている。

 翻って考えてみると、世界的には資源のない小国である日本にとって、もっとも恵まれている資源が、優秀・勤勉・忠実な日本人であると言える。しかも、ヨーロッパの英・独・仏の何処よりも人口が多いのであるから、人的資源大国と言っても過言ではない。その資源の価値を高めるも損なうも、結局は教育制度次第とわたしは常々言ってきた。

 制度上の教育は中学までの初等教育(義務教育)、高校レベルの中等教育、大学や大学院、専門学校等の高等教育があるし、その先に官民それぞれの目的と方法論による研究所などによる人材育成と技術開発、研究開発がある。それらすべての段階がわたし達の幸福度を高めるために重要な課題である。

 まず初等教育段階である。今日、初等教育の現場は揺れている。都市部を中心に価値観の多様化の波にさらされて、小中学校への保護者の要求も大きく変化している。周辺部では少子化というより、地域社会そのものの縮小によって児童生徒数が減少の一途辿り、統廃合を繰り返しながら地域教育の拠点としての学校は衰退の一途をたどっている。

 わたしは明治初年の小学校令以来のレディメイド教育を大きく変革してオンデマンド教育を可能にする教育制度に変えていくべきと主張してきた。レディメイド教育は日本の北から南まで全ての地域で全ての子どもたちに共通の学習指導を行う義務教育の要であり、その社会的意義は大きかった。これまでの日本社会構築への歴史的貢献度は戦時中の国民学校時代を差し引いても、全体としてはやはり高かったと評価できる。

 しかし、どんな制度も時代や社会の変遷と共に変えていかなくてはならない。そして、世界的なIT革命、国際的な流動性と不確定性、そして国内的な貧富の階層化と固定化が起きている今日、初等教育制度も大きく変えるべきとわたしは考えているのだ。どう変えるかと、わたしの考えを言うには長くなるので項目的に上げるにとどめるが、具体的には①小中学校の一体化(中一ショックの解消)②進級試験の導入と卒業資格進学資格取得条件の厳格化③卒業年齢の制限廃止④授業日数などの自由化やSNS等を利用した家庭学習の選択範囲の自由化⑤夏休み期間の見直しを含めた長期休暇の有効性の見直し⑥教科書検定過程の公開⑦教員の人材確保のための制度復活(旧師範学校のような教員養成専門大学)などを上げて議会などで言ってきた。

 中等教育の主体は高校だが、現在の日本ではほぼ100%に近い就学率であり、現実的には義務教育の延長として考えるべきであろう。そのための環境整備はずいぶん進んできたと評価できる。しかも、進学系と実学系の間の乖離も解消されてきた。成績によって分けられるということでは、昔からあった差別化ではあるが、それが特に地域社会の疲弊感を助長し、人材の都市部集中の要因の一つとなっていた。それを解消するという意味で、現在の中等教育就学率100%化と成績による階層の解消への動きは歓迎できる。高学歴だけが社会を支えるわけではないし、高学歴だけがひとりひとりの幸福度を保障してくれるものではないということを、わたし達はもっと知ることが重要だろう。と同時に進学のための学習と、自分の人生を自ずから豊かにするための学習は違うということも、もっと社会全体で理解しなくてはならないテーマではないだろうか。

 大学などの高等教育についての論考はさらに長くなる。わたしは1970年安保闘争時代に大学生活を送った。1968年頃からピークとなった学生運動は、もともと東京大学病院でのインターン制度がまるで徒弟制度だと反発したことが過激化の要因のひとつだった。そのため大学の「産学協同」を否定することも運動の目的であった。産学協同とは当時の我々学生の目には「企業戦士を養成する」ことだと映っていたため、太平洋戦争時の学徒動員に共通する考え方だと抵抗感を募らせていたのだ。

 しかし、工学系、農学系などは元々産業を支える人間を育てることを目的としているのであるから、産業と学問がリンクすること自体避けることなどできない。産学協同反対とこぶしを上げること自体、それら実業系大学の学生の方に分があることではなかった。現にオイルショックによる就職氷河期が来るまでは、実業系の大学から多くの学生がそれぞれの専門分野の企業や公的研究機関に就職していった。

 その頃の国立の大学の授業料は今では信じられない話だが、年間12,000円だった。月にして千円である。その頃のアルバイト料が1日8時間で2,500円くらいだった。つまり4日バイトをすれば少なくとも授業料を払えたのである。一方でその頃、ちょうど戦後ベビーブーマーの就学年齢人口がピークに達していたこともあって、雨後の筍のように各地で私立大学が新設されるようになった。やがてピークを過ぎると、有名私学は別として、国立・公立大学と私立大学の間で学生の取り合いが始まり、私学の理事長や学長に迎えられていた政権与党の大物政治家たちの働きかけもあって、国立大学の授業料が上がり始めた。今日では一部の利益だけを目的とした大学の存続のために、多くの学生が就学苦と卒業後の奨学金の返済苦に陥ることになったとわたしは思っている。

さらに文科省が国立大学を独立行政法人化したことにも、わたしは文科省の真意に疑いの目を向けている。独立行政法人化することでかえって大学の自治は失われてしまったと感じているのはわたしひとりだろうか。独立行政法人を隠れ蓑にして、大学を国家統制下に置こうとする文科省、政権与党の思惑を見逃してはならない。

 一方で大学の産学協同研究(産学連携)については、大学の自主性に基づく限りにおいて推進するべきであり、日本の知的財産の拡大のために欠かすことのできない施策だと考えている。特許や実用新案の数が国の産業力のバローメーターであると言われている。同時に、それがそれぞれ単独の企業だけの努力、大学での研究成果だけでは容易に増やすことのできるものではない。そのためにも大学と企業が連携することが必要だろう。

 産学協同研究(産学連携)は、企業(産)と大学等(学)が連携して新しい技術の研究開発や新しい事業の創出、新しい製品の開発などを行うことを指す。政府・地方公共団体等(官)を加えて「産学官連携」とも言うこともあるように、産学協同には多様な形態がある。例えば、①産学共同である企業と大学等との共同研究、受託研究、研究式提供など②相互インターンシップ制度、教育プログラムの共同開発など人材育成面での連携③大学等の研究成果の技術移転活動④大学教職員の技術指導など研究者による学外での指導、支援活動⑤企業の経験者や専門家による大学での指導と研究⑥研究成果や人的資源等に基づく大学自体の起業等が考えられる。これらは既に多くが実現している。しかも、この6つの類型は相互に密接に関連し、同時に複数の側面を持つ活動となっている。

 産学協同や産学官連携とまでは言えなくても、大学の教員による社会的な場での発言やアドバイス、企業の社員の公開講座受講、単位取得による学位の取得、企業等からの大学等への寄附、企業の研究施設や交流施設の大学敷地内への設置や講座等の新設の動きなど、大学と社会とのボーダーレス化が進んでいることも望ましいことだ。

 これらの好ましい社会現象の先駆者であるのは米国だが、トランプのハーバード大学などへの嫌がらせを見て、日本の文科省と文教族の政治家が「こんな手もあったか」などと思うことのないよう、しっかりと見守っていかなくてはならない。

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