2025参議院選挙の課題-5

⑤食料安全保障と農業政策

 食べ物はわたし達の生命を維持する基本的な資源だが、食料自給率には二つの側面がある。ひとつは純粋に経済問題として考えなくてはならない側面であり、そしてもう一つが国の安全保障上の問題として考えなくてはならない側面と言える。

 経済問題であると言えるのは、特に今日のようなグローバル経済下では、食料といえども市場経済原則によるコスパ、つまり価格と安定供給量での自由競争に晒されているということだ。国内で生産するより安ければ、それを買うのは自由市場においては当たり前のことであり、そのために各国はそれぞれ自国の事情に応じて、自国の産業を守るために躍起になっているのであり、関税その他諸々の障壁もその一つの方法論でしかない。

 戦後の日本の食糧事情を食料自給率から考えてみると、敗戦から少なくともララ物資の支援が始まるまでの1年以上、日本の食料自給率は100%だった。その間、日本はプレート型大地震や相次ぐ台風などによって飢饉状態にあった。実際に1000万人餓死説も巷に噂されていたそうだ。少なくとも1000人以上に上る餓死者が出ていた。このことでわかるように、見かけの食料自給率の多寡だけが、わたしたちの生存に寄与するものではないということだ。

 ララ物資はよく言われているような米国政府による援助ではなく、あくまで民間のボランティア活動であり、その名の通り政府によって救援物資を送る活動を公認されていたに過ぎない。LARAとはアジア救援公認団体の頭文字をとったもので、その団体から日本に贈られた救援物資がララ物資である。この団体は米国政府が作ったものではなく、敗戦直後の日本の窮状を見かねた在米日系人浅野七之助氏を中心として設立された日本難民救済会が発展的に活動を拡大させたものである。政府はその活動を公認し、物資輸送などを支援したに過ぎない。1946年11月からサンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立した1952年6月までの活動で、総額400億円(当時)、その内300億円が食料や医薬品として日本に来ている。また総額の約20%が広島県、山口県、熊本県、福岡県出身の日系人によって集められた資金によって賄われた。ララ物資で贈られた食糧を契機に、日本の現在の学校給食が開始・普及したとも言われている。当時の大学卒業の勤め人の給料が500円だったので、単純計算すれば当時の400億円は現在の10兆円以上に匹敵することになる。

 1947年10月には食糧管理法に則った配給食料だけしか口にしなかった佐賀県出身の34歳の裁判官山口良忠さんが栄養失調で亡くなっている。つまり、配給食糧だけでは餓死するということだ。それでも敗戦直後当時の日本の食料自給率は100%だったのだから、不思議な話ではある。さらに考えると食料自給率39%と言われる中、今日の日本人が肥満になり、廃棄する食料が環境問題となっていることは皮肉と言えるかもしれない。

 「農業は国の基本」であると言われてきた。それは農業が単に食料やその加工原料の確保のための産業、経済活動だけではないということだ。経済活動であると同時に、国土保全という我々の生命財産に直接かかわる重大な役割を担ってきたからである。政権党時代の旧民主党や、今の立憲民主党など野党の多くは農家への直接給付制度を唱えているが、その内容は農業や農家・農業者を理解していないとしか思えない。わたしも農業に対して積極支援をするべきで、その一環として直接給付制度、最低所得保障制度を導入すべきと思ってはいるが、今、各政党が主張する制度とわたしの考えは根本的に違う。

 基本的にその直接給付も最低所得保障も税金を使ってやるのである。どんな事業や制度もそうだが公の行う事務事業は全ての納税者にとって公平であると納得してもらう必要がある。「なぜそうしなければいけないのか」「それは国がやるべきことか」「支出分に見合うだけの効果があるのか」という視点に立った評価が必要でなのである。

 その視点からわたしが旧民主党の議員たちに言っていたことがある。現在、一種~三種に分類されている農地を再編成して、地勢的な特性など生産性に関与するものだけでなく、地域性や、水源涵養、洪水対策としての治山の考え方を加味して3つに区分する。それはいずれも仮称だが、大規模農業の導入などが図れる、あるいは既に行っている農業生産地域、都市近郊などの地理的な特性を生かした交流農業地域、急傾斜地など農業生産性は低いが、治山治水や環境保全のために重要な環境保全農業地域の3区分だ。

 そして、それぞれの地域に見合った形で育成と支援を行う。農業生産地域には大規模化や農業法人化へのインセンティブを図る。そこでは産業としての経済活動としての農業を志向して、他の中小企業事業者と同レベルの公的支援を行うが、直接の所得補償はせず、営農資金貸し付け、生産物の価格安定化と備荒施策を充実させる。交流農業地域には道の駅や里の駅などの産直販売拠点を整備するとともに、農家と都市生活者の交流を促進し、相互協力関係を構築するとともにオンデマンド農業の考え方で換金作物の多品目少量生産などを奨励することで、所得向上と安定化を図る。そして、最後の環境保全農業地域では、所得補償というより、さらに一歩踏み込んで兼業可能な準公務員とすることで身分を保証するというのが、わたしの農家所得補償の考え方だ。中山間地などの棚田や段々畑、焼き畑や山岳放牧などは耕作や手入れを放棄されると、土砂災害や山火事などの危険性を増大させ、既成の洪水調整ダムなどの土砂堆積物による短命化を招いてしまう。それを防ぐことは下流域、都市部の住民にとってもメリットが大きい。しかし、そこではどうしても生産性も生活の利便性も低いため離農者が後を絶たないのが現状だ。現在少しずつ農業をしながら芸術活動をしようなどという動きが出てきている。この地域で営農しよう営林しようという人を準国家公務員とすることで積極的に奨励・支援することで、そこに元々から生まれ育った農業者の定住にも寄与できる。

 これまで筵旗は掲げて気勢を上げることはあっても結局は「それでもやっぱり自民党」と言って無為に過ごしてきた大半の農業者も、自分たちの生活を食い物にしているのは誰か早晩気が付き始めている。ところが都市生活者中心の野党議員は農業を知らないし、「コメはもらうので家には売るほどある」というように甘やかされてきた自民党の農水族と言われる一派でさえ農業の何たるかを知ろうともしない。

 もう一度言うがトランプという直ぐに二丁拳銃をぶっ放す黒船に対して、この国の安全保障を考える時、「農は国の基本」という古事・古伝を自分事として、わたし達一人ひとりが考えなくてはならない時が来ているのではないだろうか。

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