⑨政治の仕組みと選挙制度(自治体の権限拡大と国会議員数の削減)
各級選挙のたびに議員定数が話題に上がる。しかし選挙が終わると定数論議はたちどころに雲散霧消してしまうということを繰り返してきた。定数論議には様々な立場や視点から様々な考え方が輻輳しているので、まず、人口比に対する国会議員の数を国際比較してみた。
人口100万人あたりの下院議員(日本の衆議員に比定する)の数は、一番少ないのが米国の1.6人、多いのがスエーデンの37.1人、英国の10.4人、フランスの9.1人、ドイツ7.5人、日本は3.7人だ。一方、地方議員の数は、多いのがドイツで実に2500人で国会議員の333倍もいることになる。アメリカも国会議員の420倍の地方議員がいる。フランスが95倍、英国が37倍であり、日本は135倍となっている。
憲法は第8章「地方自治」によって、我が国の国政(政治)の仕組みを中央の政治(狭義の国政)と地方の政治(自治体)に大別している。地方の政治を自治体と呼んでいるように、本来は地方には自治権がある。但し、中央の政治(狭義の国政)と地方の政治(自治体)の間には垂直的権力分立という考え方を採用しており、アメリカ合衆国の中央政府と州政府の水平的権力分立とは全く違うものだと考えなくてはならない。
垂直的な権力分立という仕組みでは、どうしても国・地方の政治権力の地位的な強弱が生じ、要するに国から地方への上意下達の指示命令であり、一方通行の政策決定方式から逃れられないことになる。
そのことに少しでも風穴を開けようととして2000年に「国地方係争処理委員会」を設置されたが、これまでの4半世紀、審査の申し立てがあったのは横浜市、新潟県、泉佐野市のほか沖縄県の複数回だけに過ぎない。また、委員会の5人の委員はいずれも総務大臣(国側)に任命権があるため、その審査の経過と結果は国側に有利となる言わざるを得ない。
国の成立過程が違うことと、日本の地理的地政学的特性からして垂直的権力分立については温存することに異存はないが、現行のように全て国の指示待ちという権力分立については改善すべきであろう。そのためにやらなくてはいけないことは、二つあると考えている。その一つは「財政の分立」つまり自治体による財政の自由裁量権を拡大することであり、例えば消費税の税率を定める権利を道府県と東京都の市部に与えることなどである。もう一つは、1票の格差問題に関する憲法解釈を改めて、少なくとも地方と東京の区部の格差を5倍~6倍程度まで認めて、地方の発言権を確保することである。
その上で国会議員の定数と選挙区について考える。わたしは定数削減の方向性が望ましとは思っていない。国会議員が少なくなれば当然ながら選択肢が少なることになる上に、そこに一部の組織や政治団体、宗教団体の入り込む危険性が増大する。国会議員にしても地方議員にしても、数そのものが問題というより、働かない議員が多くいるということが問題なのである。だからと言って、その税金泥棒的な無為無能の議員たちも、その背景にはその議員に投票した有権者がいるのだから、その議員の数だけ議員定数を減らせば解決するということにはならない。要は全てわたし達個人個人の社会的責任感と見識に帰する問題である。
そうは言ってもやはり日本の国会議員の数は多いと感じている。そこでわたしの試案である。まず、衆議院は小選挙区制を廃止して都道府県を単位とする中選挙区制度とする。但し、東京都だけは、23区を特別区として独立選挙区とする。23区以外の都下市町村を入れて全国47都道府県を参議院は1選挙区、衆議院は人口規模(最小人口の県の人口を基準とする)に応じて分割する中選挙区とする。その上でまず最小人口の県に両院1議席ずつ配分し、あとはその最小人口の県の人口をもとにして比例配分する。
現在、衆議院議員の定数は465人で、小選挙区から289人、比例代表は全国11ブロックから176人が選出される。参議院議員の定数は248人で、うち148人が選挙区から選出され、100人が比例代表で、全国一区から選出されている。参議員の任期は6年で固定されているが、3年に一度、半数を改選することになっている。
一票の格差に対する最高裁判決が後押しをする形で、人口の少ない県に設置されている選挙区の定数は削減方向にあり、一部の県は2県で1選挙区に合区される始末である。都市部は選挙のたびに投票率が三分の一にも行かないことが問題視されながら定数は増え続けている。わたしは憲法の地方自治体の自治権を保障するためにも、過疎県であっても道府県単位の地方自治体を固定している以上、合区などはそれこそ憲法違反だと言ってきた。
定数配分や比例配分の計算方法は議会制民主主義の先進国で色々案出されているが、かなり煩雑である。そこでわたしなりにエイヤッと定数を算出してみた。まず、衆議院である。選挙区は東京都区部など人口の大きな10の自治体を除いてあとは全県一区とする。東京都市部とあと3県は2選挙区とし、東京都区部は8選挙区、大阪は5選挙区、神奈川、愛知、京都、など4府県は3選挙区を設置する。その上で、一番人口の少ない鳥取県に1議席を配分し、鳥取県を含む24県選挙区に定数1人、あとは人口に応じて、選挙区ごとに2~5人を配分すると合計で概算170人程になる。わたしは現状では、衆議院に比例区選出議員は要らないと思っているが、仮に道州制の導入を視野に入れて全国11ブロックに3人ずつで33人程度を求めたとしても現行の半数以下になる。もちろん、ここでは一票の格差に対する最高裁判決は無視している。なぜなら、憲法で保障されている地方自治権を優先することと、同じく憲法で保障されている居住権その他の基本的人権を、大都市では直接的に侵害するものではなく、逆に過疎地域では侵害されているという現状に注力するべきと考えるからである。
同じ方法で参議院は全国46道府県+東京都の市部に1人ずつ、区部に2人、あとは全国比例区で党派ではなく個人名だけの立候補制度とする100人とする。合計で概算150人である。比例区の立候補を個人名だけに限定するのは、昔の全国区の再現のようであるが、個人個人の政治家の思想信条や所属政党が何であれ、良識の府の選良に政党間の思惑と政争を反映させることは望ましことではないと考えるからである。もちろんここでも一票の格差は全く無視しているが、理由は衆議員の場合と同じである。
これで衆議員200人、参議院150人まで削減できる。もちろん、繰り返すがわたしは少なければいいとは考えていない。ただ「なんにもしない議員」「裏金とカルト宗教に頼る議員」は要らないという前に、その議員を選んでいるのは誰かを考えなくてはいけない。その上で、ではどのくらいの議員の数が妥当なのか、みんなで考えるためのきっかけになればと考えてみた。
2025参議院選挙が後世、どのような歴史的評価を受けるのかは分からないが、少なくともわたし達一人ひとりが、その当事者であることを自覚して選挙に臨みたい。