
1.プロローグ
(2025年8月13日)
わたしはトランプを何度もマッドマン(狂人)と呼んでいる。もとより、それは彼が本当に狂人であるかどうかということではない。彼が確信犯的に「マッドマン・セオリー(狂人理論)」で国際政治に臨んでいるからである。
マッドマン・セオリーが初めに文献として登場するのは16世紀始めだ。提唱者はニコロ・マキャベリー、彼は彼の著作「政略論」で「狂人のように振る舞うことが極めて賢い方法だ」と言っている。ベトナム戦争が泥沼化した時、当時の米国大統領ニクソンがこの理論を取り入れたと言われている。彼はこの狂人理論でホーチミンを脅し、中ソなど共産圏諸国を手玉に取ろうとした。しかし結局、ベトナム戦争をさらに泥沼化させ、米国内にベトナムシンドロームという社会問題を引き起こすことになった。米国民の愛国心と信頼感、さらには自国への誇りと求心力を破壊し、自らはウオーターゲート事件で引退を余儀なくされた。彼の死後、身内や側近から、彼が大統領の地位にある時からアル中に陥っており、引退後はそれが原因で脳卒中を引き起こしたと告白されている。セオリーとして振る舞ったのではく本物のマッドマンだったのだ。
人類史上最大のマッドマンはヒトラーだろう。そしてそのまわりにいた、ゲッペルス、ヒムラー、ヘス、ゲーリングなどを含めて、彼らはドイツだけでなく西欧すべての国々の一般市民を阿鼻叫喚の地獄に陥れ、隣国ポーランド国民を100万人以上も殺戮し、あまつさえユダヤ人600万人以上の命を、文字通りすり潰してしまった。
21世紀の代表的なマッドマンにはトランプを筆頭に、日本における安倍晋三、ロシアのプーチンがいる。今世紀は次々にマッドマンが登場する狂人世紀になるだろう。日本では安倍晋三、ロシアにはプーチン、そして今、米国のマッドマンに世界中が振り回されながら、彼の一挙手一投足を固唾を飲んで見ているだけしかできないのだろうか。
マッドマンもマッドマン・セオリーも、わたしはどんなことがあっても認めようとは思わない。マッドマンは必ず孤立し、猜疑心に苛まれ、ついには暴力化する。暴力化したマッドマンは自己防衛と自国の安全保障を同一視し、実は自分の身の安全を図るためでありながら、外に敵を作り、その敵国との兵力、軍事力の均衡を図ろうとする。結果として国防は軍事力だけに依存し、軍事力は歯止めなく膨らんでいく。軍隊という暴力装置を持つマッドマンは自分の意志を通すために、国内の反対派を邪魔と考え、ついには自国民に対して銃口を向けることになる。そのことは歴史は証明するところだ。人類が健忘症なのか、あらかじめDNAに刷り込まれた本能なのか、プーチンやトランプだけでなく、わたしには世界が小マッドマンで世界は満ちているとしか思えないのだ。
日本が負けると判っていた戦争を始めた原因を探る試みは、多くの人が何度となく挑んできたのだが、未だに誰が最終決定を下したのか深い霧の中にあって見えてこない。わたしはやはり当時の首相である東条英機が始めたとすることが妥当だと思うが、それでも彼はマッドマンではなかった。日本にはヒトラーやスターリンのようなマッドマンは出にくい精神風土があるのかも知れない。ただ、昭和初期の日本には、個人としてのマッドマンではなく、軍人、官僚、財界人までもが、一つの大きな塊となってマッドマンという悪魔を作り出し、当時の国民の多くがその悪魔に魅入られてしまったのではないかと考えている。
軍事は本来徹底した現実主義でなくてはならない。科学的な分析に基づいて彼我の軍事力を検討して、必ず勝てるという確信、少なくとも五分五分だという確信が無くては戦争しない。負ければ軍隊という自分たちの組織そのものが雲散霧消するということを知っているはずなのだから。ところは、1939年当時の日本の軍部(統帥部)は、キチンと正確なデータに基づいて検討し、米英相手に開戦すれば必ず負け、国が灰燼と期すという結論を得ていたにもかかわらず開戦した。今の中国が日本を恐れ信用しないのもそう思っているからではないか。中国戦線にせよ、ノモンハンにせよ、真珠湾にせよ、日本人は何をするか分からないマッドマンにしか思えず、誰の命令で何のために戦争するのか、中国の人々には皆目分からないので、それが恐怖と不信につながるのではないだろうか。
日本人には「ヤマトダマシイ」なる万能の力を信じて容易に憑依してしまうDNAが、今でもあるのではないかと、中国の人々だけでなく、わたしも思っている。そして、そのことは戦後80年を経た今でも、確かにわたし達日本人が時として見せる姿であることも否めない現実ではないだろうか。
そこで歴史を少しだけ遡って、マッドマンの系譜について、そこに憑依する日本人の姿を重ねながら、わたしなりに考えてみたいと思っている。