ユダヤ人とディアスボラについて

1.ユダヤ人とイスラエル人

 日本人が外国人に親切かどうかと聞かれれば、わたし自身は別として、「イエス」と答える勇気はない。ところが1970年代から知り合いとなったイスラエル人やユダヤ人たちは皆さん口をそろえて「日本人は世界で一番外国人に親切だ」と言ってくれた。うれしいと思う反面、なぜ彼らはそう思うのかと考えてしまう。

 大半がキリスト教徒ではない日本人には、ユダヤ人に対する宗教的な偏見もまして人種差別的な偏見もない。日本人は少なくとも他の国々の外国人とイスラエル人やユダヤ人を区別したり、白い目で見たりしないということは確かに言えるだろう。シェイクスピアでさえ「ベニスの商人」にユダヤ人を「金貸しシャイロック」として登場させ、16世紀末の英国人一般のステレオタイプなユダヤ人像を描いて見せている。

 ベニスの商人アントニオに金を貸し、破産して金が払えなくなったアントニオから、証文通り「1ポンドの肉」を切りとることを裁判で認めさせようとした悪役シャイロックはベニス在住のユダヤ人として舞台に登場している。21世紀の今日では、この手の舞台ではっきりと人種偏見を持ち出すことはないし、あれば断罪されるだろう。しかし、16世紀のヨーロッパでは、何の疑いもなく喜劇の敵役としてユダヤ人が登場させられていたのである。ではなぜユダヤ人はそんなにも憎まれ蔑まれなくてはならなかったのか。

 ガザの惨禍を考える時、ネタニエフのやっている非人道行為を憎むと共に、その殺戮を資金面で支え続けている世界中のユダヤ人について考え、そのシンボルであるスタバやマクドナルドの不買を唱えながら、どうして彼らは世界中から反目する眼差しを浴びながら、ガザの殺戮を許し続け、支え続けるのかと暗澹たる気持ちになる。

 さてわたしは「イスラエル人やユダヤ人」と言った。わたしの中では長い間、1948年に建国したイスラエルという国に住むユダヤ人をイスラエル人と呼び、その他の国に暮らす人々をユダヤ人だと考えていた。今ではさすがのわたしも、その理解が正確ではなかったことを知っているが、それはパレスチナ地域の歴史を紐解いていく上で少しずつお話しできるだろう。これからはわたし自身の理解の混乱を避けるため、ユダヤ人と呼ぶことにする。

 現在、世界中にユダヤ人と呼ばれる、あるいは自任する人々の人口は2017年現在約1500万人だそうだが、その内、一番人口が多いのは当然ながらイスラエルで、約600万人、次が米国の550万人、カナダが40万人、メキシコに4万人いますので北米三国を合わせるとイスラエル本国に匹敵するほど集中している。仏英独伊を合わせると100万人、ロシアには20万人、ウクライナには7万人のユダヤ人がいることになるのだが、いずれにしてもイスラエルという第2次世界大戦後にユダヤ人が建国した国に住むユダヤ人より世界中に広がって暮らしているユダヤ人のずっと方が多いということに改めて驚かされる。

 もう一つ、ユダヤ人のことを考えるには、どうしても彼らのユダヤ教のことを考えなくてはならない。どうしてユダヤ人たちはあれほど謹厳な一神教を取り入れたのだろうか。わたしはそれが気になる。一神教は同根同一の神を戴くキリスト教とイスラム教も同じなのだが、ユダヤ人ほど自らを外界から分断して生きるということはない。ゲットーには内なるゲットー、外なるゲットーがあると山本七平(イザヤ・ペンダサン)が看破して見せたが、そのいずれにせよ、ユダヤ教徒以外の人々との間に、自らか他者からの強要かは別として、ゲットー(囲い)を作って隔絶しているということには変わりはない。

 ユダヤ教の始原というか起源というか、そこから考えなくてはならないのだが、ユダヤ教ではないわたしには、旧約聖書についての一般的な知識しか知らないのであるから限界がある。そのことを自覚しながらも、まずはユダヤの歴史を遡って見たい。

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