ユダヤ人とディアスボラ

5.イスラエル・パレスチナの地は誰のものか

 もう一度、地名と呼称について整理しておこう。わたし達はイスラエル人とユダヤ人という呼び名の違い、イスラエルが領土主権を主張している地とパレスチナの地はどうして重なっているのかなどについて、ややもすると混乱してしまう。

イスラエルという国が考古学的に最初に現れるのは紀元前13世紀で、それはエジプトの石碑に刻まれている。その頃には西の地中海側からやって来たペリシテ人とヨルダン川東部の山岳地帯からやって来たイスラエル人との間で抗争が激化していたことも分かっている。紀元前11世紀にはイスラエル王国が建国され、サウル、ダビデ、ソロモンと継承されたが、ソロモンの死後、王国の南側半分のユダ族が分離してユダ王国を建国している。ユダヤという呼称は「ユダ王国の」という形容詞である。

ではイスラエル人の起源はあるいは始めにイスラエル人の国を建国したのは誰かとなると、それは旧約聖書の範疇となり考古学の世界であり、その科学的な検証も未だなされていない。聖書に描かれていることから民族の成り立ちを理解しようとすると、彼らの始祖アブラハムは実は現在のイスラエルの地の人ではなかった。その時まだアビラムという名前だったアブラハムが、どこに住んでいたかというと、メソポタミア地方のカルディアのウルというところに住んでいたことになっている。その地で神から「約束の地=カナン」を啓示され、そこに移り住むよう指示されたことから、アブラハムは一族を引き連れてメソポタミア地方を出発し、紆余曲折の末にヨルダン川右岸のカナンに辿り着いたことになっている。そこで改めて神(ヤハウエー)によって、その一帯の地を与えられたとされている。

 従ってユダヤ人たちは初めからイスラエルに地にいたわけではないということだ。アブラハムが神にカナンの地を与えられた時には、その地にすでにユダヤ人ではない人々も住んでいたのである。少なくともペリシテ人と呼ばれていた人々との抗争は歴史に刻まれている。聖書に「ソドムとゴモラの悲劇」という物語があるが、そこにも少なくともアブラハムたちの信仰する神を信じていない人々、つまり異民族がいたということが窺える。

 そのアブラハムの移住がいつだったかは考古学の今後の調査研究に委ねるしかないのだが、少なくとも起源前17世紀には、カナンの地を捨ててエジプトに集団移住しているし、その頃にはイスラエル人という呼称も定着していたようだ。一度は神に与えられたとする土地を捨ててエジプトに移住し、かの有名なモーゼに導かれてエジプトから戻ってきた時は、彼らはイスラエル人を自称していた。しかし、その時もまた、カナンには先住者がいて、ここで再び先住者たちと諍いを起こしていたであろうことも容易に想像できる。

 その後のバビロン捕囚や最終的にローマ帝国への反攻に敗北して国を消滅させられた時に、ローマ帝国はイスラエルやユダヤではなくイスラエル人の敵であったペリシテ人に土地を与え、それ以来ペリシテの地=パレスティナと呼ぶようになった。ペリシテ人が地中海からやって来て、現在のガザを中心とした地域を根拠地としていたことを考えると、ネタニエフがガザで執拗に民族浄化をしようとすることの背景が見えてくる。

もう一つ考えたいのはモーゼに率いられて戻ってくるようになる前、なぜエジプトに移住したのかというということだ。それはエジプトに連れ去られたわけでも、周辺国との戦いに敗れたからでもなく、気候変動などで農業に打撃を受けたことから、自発的に神からもらった地を捨てているということだ。

 つまり、ユダヤ人たちが現在のパレスティアを神からユダヤ人に賜ったものとして、占有権を主張するのは歴史的にみて無理があるとわたしは考える。アブラハムが実在の人物であろうと、聖書にのみ生きる神話上の人物であろうと、ユダヤ人とパレスティナの地の関係で言えば、紀元前2千〜3千年以上前に、先住者にいた土地に後から来て居座ったと、聖書に書き記しているということ自体、神に導かれたとはいえ自分たちが別の土地からやって来たということを自覚しているということだろう。

 ローマ帝国への抵抗に破れ国を滅ぼされて追われたイスラエル人もしくはユダヤ人は、ディアスボラ(離散した人々)と呼ばれ、以来2千年以上にわたって差別・迫害を受けながら流浪の民となり、遂にはヒトラーによるホロコーストという、未曽有の災厄を受けてしまった。

 その永い永い苦難の歴史の中から19世紀になってシオニズム、若しくはシオニズム運動が起きる。シオニズムとはエルサレムにあるイスラエルの地の象徴「シオンの丘」の名前に由来するもので、シオニズムという呼称は、19世紀末オーストリアにいたナータン・ビルンバウムというユダヤ人によって考案されている。本来はユダヤ人のユダヤ教を根本とする伝統文化の復興運動と、約束の地カナン(イスラエルの地)にユダヤ人の国家を樹立させようという独立運動が合わさったユダヤ人の近現代運動である。中でも前者は文化シオニズムと呼ばれ、現在のイスラエルとネタニエフが見せる過激で暴力的なものではなかった。

 しかし、パレスティナという3千年来の宿敵の名で呼ばれてはいるものの自分たちが神から与えられたとする地に、イスラエル人の国家を樹立しようという運動は、領土問題に宗教や民族間抗争という問題を併せ持つこともあって宿命的に過激、暴力的にならざるを得なかった。特にネタニエフの祖父ナタン・ミレイコフスキーが第一次世界大戦中に主唱した建国運動が、その後の、迫害、特にヒトラーのナチズムによるホロコースによって、より切実な民族と宗教の生死を分けるほどの運動へと変貌し、今日のような異民族、異教徒に対する情け容赦ない行動を容認するようになっていったと言える。ユダヤ教には超正統派ユダヤ主義というものがあるが、そのグループに属するユダヤ人は、実はシオニズムとその実行者であるシオニストに反対している。

 もともと自分たちの土地だったというイスラエル側の主張も、数千年という時代の篩に掛ければ、その根拠が薄れていくと同時に、大事二次世界大戦中から戦後にかけて、中東を支配していた英国の二枚舌、三枚舌によって、ヨーロッパ各地に定住していた同化ユダ人までが体よく追い払われたということを、現代のイスラエル人、特にシオニストたちはどのように考えているのだろうか。聞いてみたいものだ。

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