ユダヤ人とディアスボラについて

4.什一税

 繰り返すがユダヤ教とキリスト教、イスラム教は一神教であると同時に、同じ神を神として崇めている。そしてそれぞれに教義の基本となる正典を有している。キリスト教では聖書、または旧約聖書(新約聖書も正典とする人々が新約聖書に対して旧約聖書と呼んでいる)があり、イスラム教ではクルアーン(コーラン)がある。クルアーンはムハンマド(ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ)が40歳の頃から23年間にわたって、大天使ジブリール(ガブリエル)を通して神(アッラー)から啓示されたものを記したものだ。大天使ガブリエルはキリスト教にもユダヤ教にも登場することからも、この3つの宗教が同源であることが理解できる。

 それに対してユダヤ教では律法と呼ばれるものを正典としている。律法はモーゼがシナイ山頂で神から与えられた啓示であり、「人間が神と交わす契約」であるとされている。

 本来、宗教が有している正典とは「神は人にどのように関わってきたか、人は神とどのように関わるべきか」を明示もしくは暗示しながら「どうしたら神の望む正しい生き方が出来るか」を教示する原理を顕しているものである。キリスト教においてもイスラム教においても聖書やクルアーンはそうであると言っていいだろう。ところが、ユダヤ教は違う。ユダヤ教における正典では「どうしたら神の思し召しに適うか」ではなく、ユダヤ教を信じるならば「こうしなくてはならない」とする正に「神との契約」なのである。

「インフォームドコンセント」という言葉がある。主に医療で使われる言葉だが「説明と同意」ということである。キリスト教やイスラム教の正典が神の御教えを「インフォーム=説明」するためのものであるのに対して、ユダヤ教では一挙に「コンセント=同意」を求めているのだ。同意し契約した以上、契約違反はあり得ない。従うしかないということになる。

 ユダヤ人にはユダヤ人である以上、あるいはユダヤ教徒である以上、守らなければならない信仰上の義務、生活上の規則がある。そのユダヤ人個々人が唯一の創造主である神と交わした「契約」の内容に当たるのが「律法」である。「律法」には、キリスト教でいう「旧約聖書」の主要部分「モーセ五書=創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記」に著されているものを元にしている成文律法とは別に口伝律法がある。口伝を時代時代に合わせてわかりやすく信者に伝えるために、ラビと呼ばれる聖職者が活動しているし、そのラビが活動の拠点としているのがキリスト教の教会、イスラム教のモスクに当たる施設で、シナゴーグと呼ばれている。ユダヤ教における「律法」は神との「契約」であるため、それを破戒することは即ちユダヤ人であることを自ら否定するになるのだが、成文律法は明示されているため、ユダヤ教徒はもちろん異教徒にも理解しやすいのだが、ラビが伝える口伝律法の方はシナゴーグで直接ユダヤ教徒に伝えられるため、異教徒には触れることも理解することもできない。そのことがユダヤ人の選民思想に強く結びついているとも言えるし、一方でユダヤ人排撃思想にも繋がっている。

そ の律法による契約の重要なものとして什一税もしくは什一献金と呼ばれるものがあった。人偏が付いているものの什一税は古代ローマ帝国の十一税と同義である。ユダヤ教徒たるものどこにいても収入の十分の一を献金(納税)するということであり、それが義務であったということだ。あったと過去形で言っているのは、現在ではどんなに敬虔なユダヤ教徒でも、このユダヤの律法に描かれている什一税としての献金はしていないからである。

 なぜ律法にあるのに現在は払わなくなっているかというと、それもまた律法によってであると言える。元々什一税は紀元前10世紀頃のダビデ、ソロモンの時代に築かれたエルサレムの神殿の維持と、そこに籠って律法の教えを説く聖職者たち(この頃の聖職者は現在のラビとは違う存在だと考えられている)の生活を支えるために義務付けられていたものであり、国内にいようが王国の外に暮らしていようが、その什一税は支払わなければならないものでった。遠く離れたところから送金するしなければならないことから、それを仲立ちする金融業の原形のようなものも生まれて、それを生業とする古代のユダヤ人たちが生まれ、今日までにつながっている。

 周辺国との相次ぐ戦乱や内部抗争と、最後のローマ帝国との戦いに敗れて、全てのユダヤ人がユダヤ王国の地から追放されてしまうと、当然、神殿は現在の「嘆きの壁」を除いて全て破却され、聖職者たちも追放されてしまい、什一税の受領主体がなくなった。謂わば神に命じられていた什一税を、その必要がなくなっても払うということは、神の意志ではないことになり律法にそぐわない行為ということになるため、今日では什一税は存在しないのだ。

 しかし、それでは今日のユダヤ人たちの宗教的集会所であるシナゴーグやそこで活動するラビ(正式には聖職者というより先達といった存在)の生活が成り立たない。そのため今ではコミュニティーのメンテナンス費用をコミュニティー全体で分担するという便法で、什一税の代わりの献金制度を導入している。つまり、什一献金そのものは律法の規定には反しているが、ユダヤ教によって求心力を持つユダヤ人コミュニティーを維持するための、いわば自治会費のような献金と考えることで、辛うじて律法に反することを免れているのだ。

 その意味で言えばハンバーガーやスタンドコーヒーの国際的なチェーン店を展開するユダヤ系の企業が、シナゴーグの維持ではなくネタニエフの戦争継続のために資金支援をしているというのは、見方によってはユダヤ教の律法に反する破戒的献金であり、ユダヤ人社会を破壊しようとする行為であるということになる。実際そう非難しているユダヤ人もいる。

 些かややこしい話になっているが、要はユダヤ教という神との契約によって成り立っているはずの協議を持つ宗教ですら、時代と共に変遷しつつ、その時その時の解釈や方便によっているということであり、どんな宗教でもそうだが、ユダヤ教もまた常に始原的な教えに立ち戻ろうとする原理主義的なグループと、教義と現実社会で起こっていることの間に生じてしまった矛盾を、何とかして解消する方向を見出そうとする改革グループとが存在する。時に相互に軋轢を生じさせてきたし、4千年に及ぶユダヤ人の歴史を埋め尽くしてきたものも、その内部の軋轢に起因しているし、外部の周辺国(=他宗教)との戦争の背景にもまた、その軋轢が横たわっていると言えるのかも知れない。

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