9.ユダヤ人以外のディアスポラー1
華裔(かえい)=華僑と華人
ユダヤ人より前のディアスポラにフェニキア人やギリシャ人、そしてユダヤ人がディアスポラとなった。ではその後はディアスポラは生まれていないかというと否である。実は古代から現代にかけて、彼の3つ民族のディアスポラ以外にも生まれている。そのユダヤ人以降のディアスポラについて考える前に、もう少しディアスポラという言葉そのものの意味について考えてみたい。
まず、わたしたち日本人は見過ごしがちではあるが、欧米諸国ではDiasporaとdiasporaは厳密には意味するところが違う。大文字から始まるDiasporaは固有名詞としてイスラエル・パレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人のコミュニティーを指し、小文字から始まるdiaspora一般名詞として他の民族や国籍に関わらず祖国をから離散して他国で定住しているコミュニティーを指すのだ。
本来ギリシャ語でギリシャ人の離散コミュニティ―を指す言葉だったものが、固有名詞としてはユダヤ人のみを指すのは、やはりキリスト教徒の確執と差別、迫害という歴史的な経緯が大きいということだろう。
ところで21世紀の今日、ディアスポラと同じような境遇の人々を指す言葉として、移民、難民という言葉がある。移民や難民とディアスポラは何が違うのだろうと考えてしまう。大きな違いは二つある。一つは宗教的、あるいは民族的な特性としてのコミュニティーを作るか作らないかである。移民は不法であろうと合法であろうと、入国した先の国に分散して、基本的にはコミュニティーやそれに近い社会を持たない。難民は一時的に難民キャンプに住むことになることが多いが、それは自発的な求心性があってのことではない。
もう一つ、ディアスポラと呼ばれる人々は優秀な集団であるということだ。技術、文化的知見、金融などの経済感覚、あるいは勤勉さなども含めて、彼らが優秀であり、マイノリティーであるにもかかわらず、周囲から羨ましがられたり、妬まれたりするほどの存在感を持っているということだ。
そ こでユダヤ人以降のディアスポラだが、現代社会におけるはというとまず華裔(かえい)であろう。日本にも中華街があり多くの中国系ディアスポラが暮らしているが、世界的に見てもその規模は大きい。日本や朝鮮半島を含むアジアに限っても、華裔(かえい)は2700万人を超えているし、16世紀頃のポルトガルとの交易の関係からアフリカの旧ポルトガル植民地である、モザンビークやアンゴラなどにも華裔はいた。
ついでながら華裔(かえい)とは華僑と華人を合わせて呼ぶ場合に使われる。華僑の「華僑」は本来、「出稼ぎ」「仮住まい」を顕す言葉であり、既に何代にもわたって定住していてもその国の国籍を取っていないまたは取れない中国出身者を指し、多くの場合、中国の国籍を保有しているが、何らかの理由で無国籍となっている人々もいる。
華人は居住国の国籍を有している中国系の人々で国籍の上では中国人ではない。ただし、華人は中国人であることの歴史性、文化や習慣に誇りを持ち、血縁上のつながりを重視するコミュニティーを形成している。その意味ではディアスポラと呼ばれるにふさわしい。
又、中国人もしくは中国系の人々の間では、華僑は「落葉帰根」と呼ばれ華人は「落地生根」と呼ばれることもある。それは高い木の梢にある葉もやがて地に落ちて根に帰る(今は遠くに暮らしていても、いつかは故郷に帰る)華僑に対して、落ちたところに根を張って生きていく(その国の人間として生きていく)のが華人であるということだが、20世紀後半以降、華僑・華人が批判・粛清された文化大革命など中国本土の事情などから、華僑の華人化が進んでいる。
中国人ディアスポラは唐代末期(9世紀頃)に始まった。唐王朝の末期、旱魃や蝗害が続いたことによって飢饉が続いいぇいた。やがて「黄巣の乱」などの混乱によって多くの人々が国内で流民となり、さらに東南アジアなどへ逃避している。その後も南宋の滅亡、元の入寇、明末期など王朝末期の混乱の度に波状的に華裔(かえい)が生まれている。、清末期の阿片戦争の時代が最も多くの華裔が生まれたとされているが、この時は南北アメリカ大陸にも多く渡っている。
20世紀初頭の欧米、日本などの植民地主義的な蚕食を受けていた清の時代に、南北アメリカ大陸に渡った中国人の多くは、奴隷解放出一応自由の身となったアフリカ系の人々に代わる労働力として、苦力と呼ばれる半奴隷的な扱いを受けていた。チリでは1960年代まで、公園などの入り口に「犬と中国人入るべからず」という看板があったほどだ。
1949年に国共内戦に勝利して中華人民共和国が成立した時、台湾に籠って対立した国民党政府が、その後の米国と中国本土の国交樹立によって国際的な立場が脆弱化したため、華僑・華人の立場を一層複雑にしている。さらに付け加えると文化大革命時に香港に脱出した多くの中国人(中国政府は逃港人と呼んでいた)も、多くは米国など第3国に再移住して、今日の華人コミュニティーを形成している。
わたしはモザンビークの革命時にブラジルに渡り、モザンビークがそれまでポルトガル領だった関係で、ブラジルに帰化した華人と家族ぐるみで友達付き合いをしていたし、サンパウロ市の東洋人街にあったホテルの華人経営者とも親しくしていた。興味深かったのはモザンビークから来た華人は「中国人を信用してはいけない」と口癖のように言って、中国人社会とは離れて暮らしていたことと、その反対に在ブラジル華人協会の会長をしていたホテルのオーナーは、新来の中国人の面倒をよく見ていたことだ。
このふたり(二家族)のファミリー・ヒストリーは聞かぬままだったが、それぞれの来し方が、ふたりのその違いに現れていたのだろう。その事を考え合わせると、ユダヤ人ディアスポラにも、約2000年の離散と抑圧の暮らしの中での経験の違いから、考え方の違うユダヤ人いることが当然であるということになるし、ユダヤ人、イスラエル人にもいろいろな考え方の人がいることにも納得いくようになる。