参議院選挙を総括するー4

④参政党

 TBSの報道特集で参政党の公式記者会見の会場に、同党候補の「非国民」発言を厳しく追求している神奈川新聞の記者が入れなかったということを批判的に報道していた。これは当事者の神奈川新聞だけの問題として見逃せるものではない。報道各社がどう取り上げたか、参政党の言論統制を許すか許さないかは、ジャーナリズムにとって本来的な死活問題なのだ。特に朝日新聞は太平洋戦争時代の際の自らの報道姿勢を肝に銘じて反省しているというが、今日の記者たちが戦争当時の自分たちの先輩たちの報道者としての行動を、アンチ・テーゼにしているかどうかの資金石になる。

 それにしても参政党が躍進したことはこの国の近い将来を危ういものにするかも知れないとわたしは危惧している。早いうちに化けの皮を剥がさなくては、わたし達の可愛い子や孫たちを再び、天皇の赤子として差し出すことになるかも知れないのだ。何せ現行憲法を破棄して新たな憲法を創る言うところまではともかく、その参政党案の前文で、はっきりとこの国を「天皇のしらす国」と明記しているのだ。ことさらにひらがなで「しらす」として目眩しを仕掛けているが、「しらす」とは古語における「治める」の尊敬語だ。つまり「天皇のお治めになる」国にしようというのだ。

 今回の選挙で「日本が核兵器を保有すべきかどうか」との問いに明確に「持つべき」と答えた当選者は125人のうち参政党員6人、自民党員1人、日本保守党員1人だった。前回の衆議院選挙当選者465人のうち「持つべき」と答えたのは自民党2人、参政党1人(神谷宗幣)だった。さらに今回「保有すべきではないが、核共有は検討すべきだ」と答えたのは125人中、自民党9人、参政党6人、日本維新の会5人、国民民主党4人、無所属1人の合計25人 残り75人が「保有も共有もすべきでない」である。

 中でも参政党から東京選挙区で当選した女性議員塩入清香(選挙ではさやという名前で届出をしていた)の、「核武装することが最も安上り」という発言については、その科学的根拠をきちんと証拠立てるよう「説明責任」を求めるべきだろう。党首の衆議員神谷宗幣の再三の核抑止力・核武装論に阿っての発言だろうが、それを見過ごすようでは広島・長崎の犠牲になられた人々へ、少なくともわたしは顔向けができない。

 元々、「抑止力」は平和を持続させるための不断の努力によって保持される。安易な「軍事力の均衡」によってのみ生まれるものではないことは勿論だが、軍事力を増強させることによって平和の状態を保とうとすること自体が矛盾ではないか。人類の有史以来常にその「軍事力の均衡」による抑止力は、その時々のマッドマンの登場によって常に破綻してきた。だからこそ「抑止力」の手段として「核」があってはならない。他の全ての抑止力はそれが破綻したとしても、人類と地球を破滅させることはない。しかし「核による抑止力」は、それが破綻すれば確実に人類も地球も破滅させる。少なくとも何の罪もない子どもたちを、その未来ともども消し去るのだ。抑止力のためであれ、なんであれ核軍拡を今すぐストップさせ、全ての核兵器を廃絶しなければ、人類は枕を高くして眠ることはできない。核爆弾の上に自分の可愛い子や孫の揺りかごを置き続けることの愚かさを思い知ってからでは遅いのだ。

 繰り返すが「抑止力」を声高に言い募る輩こそが、結局「抑止力」を破綻させる原因を作る。優秀な武器を持たせれば独裁者や軍人は必ず暴走して、その武器を使いたがるということを、わたし達は肝に銘じてこの国の政治を考え、政治家を見て行かなくてはならない。

 抑止力は経済協力を含めた外交によるべきである。価値観や利害が輻輳する中、その違いによって生じる諍いは、双方の理性に基づく議論とプレゼンテーション力によるべきである。決して、武器の見せびらかし合いによるべきではない。話し合いの場として、辛うじてではあるが存続価値を保っている国連があるのだが、辛うじてと言わざるを得ないわけは、色々ありすぎて改めて考えなくてはならないと考えているが、例え形骸化しているとはいえ国連に世界平和のための本当の意味での抑止力を発揮するだけの力を持つよう支えていくしかないと考えている。 

 さて、参政党の話の戻るが、福岡県選挙区から当選した中田優子の発言「沖縄戦の日本軍は沖縄人を救うために行った」である。この発言についての説明を求めても参政党福岡県連は取材を拒否しているが、彼女の発言が党首神谷宗幣の同様の発言に阿ったものであることは明白である。同じく今回も京都府民が当選させてしまった参議員京都選挙区の西田昌司の問題発言も沖縄線について同じく歴史の書き換えを意図しているが、中田優子はさらに過激に、神谷宗幣と共にこの国を「軍隊の国」にしたいようだ。

 もう一つ、これは参政党に限ったことではないし、今回の参議院選挙に始まったことではないが、あまりにも暴力的で攻撃的なプロパガンダ、それもマイノリティー排撃のためのプロパガンダが世にあふれるようになった。SNSによる情報伝達の危うさ、危険性がその背景にあるとはいえ、少なくとも政治を志す人間は、フェイクとデマゴーグに頼るべきではあるまい。政党は価値観と主義を共有する共同体であり、わたしは自分とは主義主張の違う政党であっても全否定することはなかった。しかし、今回の参政党の主張には、この国の未来を破壊しかねない危険性を感じて仕方がない。

 参政党の「日本ファースト」の考えと、その考えに基づく外国人差別・排撃の主張については、改めて日本の外国人問題として考えるつもりでいる。

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