歴史に特筆されることになった第26回参議院選挙

(1)事件は民主主義に対する挑戦だったのか。

 あまりにも強烈な事件であり、この手の事件は常にそうだが表に見える直接的な動機だけでないものや、場合によっては指嗾者の存在を疑わなくてはならないし、テロの実行者の動機や目的とはまったく無関係に、社会的な影響や結末があるかも知れない。発生して未だ時がたたない段階で何か言うのは、いろいろな意味で危なっかしい。しかし、逆に一凡人の直感的な思いを書き残しておくことも意味があることかもしれないと思い直して、パソコンに向かっている。

 事件発生までのこの国の社会的なひずみや病巣、事件発生直後のわたしたちの反応と政治的な動き、日本の近未来についての影響、謂わば安倍事件の「昨日・今日・明日」について、発生から2週間という今の段階のわたしの視点をまとめてみたい。

与党側の戦術が功を奏したのと、野党側のだらしなさのお陰で、さしたる争点もなく低調な選挙戦になるはずが、終盤にきて突然、政治史というよりは社会史として日本の歴史に残る選挙となった。選挙結果は大方の予想通りとは云え この国の近未来に暗雲の立ちのぼるのを見て懼れるのはわたしひとりだろうか。

 今日の日本を象徴するような政治家が突然の暴力によってその生命を奪われた。そのこと自体は理不尽で絶対に許されざる行為の結果ではあるが、ではこの事件が政治的な出来事だろうかと言えば、そうとは捉えにくいというのが衆目の一致するところであろう。むしろ、近年次々に起こった事件、大阪池田の小学校襲撃事件、東京秋葉原での無差別殺人をはじめ、神奈川の施設での障がい者大量殺人、京都でのアニメ会社放火事件、大阪の心療内科クリニック放火事件と続いた連鎖の果ての事件だとわたしは捉えている。これらの事件は全て単独犯の厭世的な衝動によるものだった。その背景に共通して存在する現代日本社会のひずみや病巣が伺い知れる事件だとわたしは感じている。

 事件翌日の新聞各社は口をそろえて「民主主義の破壊を許さない」と書き立てたが、少なくとも凶行に及んだ犯人は「民主主義を破壊する意図などない」と言う意味の言葉を書き残している。「安倍元首相に対する直接的な恨みすらない。宗教団体に関する恨みを晴らす相手として選んだだけだ」とさえ言っている。

 メディアは一体、誰から、あるいは何から民主主義を守るというのだろうか。この素朴な疑問には、今のところまだどこの新聞社からも答えはもたらされていない。良くも悪くも日本の政治権力の中枢にいる人物が、選挙活動として行っていた街頭演説中に襲撃され遭難死したのであるから、言論の封殺だと言い立てるのは分からないでもないが、犯人は安倍氏の言説や政策に怒りを感じて、それを封殺するために凶行に及んだわけではない。付け狙ってもっとも襲撃しやすい機会を得たために実行したに過ぎない。

 それでもわたしは今回の事件は民主主義の危機であると捉えるべきだと考えている。参議院選挙の結果は大方の事前予測通り、政権与党の圧勝に終わった。少なくとも安倍元首相のもっとも願った結果であろう。しかし、この選挙結果を彼のその先の野望である日本の軍事大国化と軍国主義の道に進み始める一歩にしてはならない。わたしがそう思うのは何より、テロリズムという手段は常に、その動機や直接的に目標にしたものとは全く次元の違う結果を生み出してきたからである。大正末期から昭和初年にかけて、ここ国に吹き荒れたテロリズムの先に何があったかを考えてしまうのである。血盟団事件から2.26事件までの一連のテロリズムを、それぞれの指嗾者の思惑と実行犯の動機や信念そのものと、当時、あのテロリズムの連鎖を生み出してしまった時代背景を見比べると、今日の日本や世界の社会情勢に共通するものがあるのではないかと、わたしはうすら寒いものを感じるのだ。

 森友・加計・さくら事件は誰にまつわるスキャンダルだったのか。特に森友学園への国有地払い下げに関しては財務省理財局による決裁文書改ざん問題が浮上した挙句、職員が自死しているという事実に対しても、自公の国会での圧倒的な議席数にあぐらをかいた安倍政権が真相を解明することはついになかった。

さらに言えば安倍晋三政権がメディアに対して言論封殺を図ってきたことは周知の事実である。1991年8月に「元慰安婦の証言」という記事を報じた朝日新聞大阪社会部の記者に対して、記事が捏造であるという執拗なバッシングキャンペーンが始まったのは、安倍晋三が政権に復帰した後の2014年からであるが、森友問題が浮上したのは2016年、加計学園問題は2017年、「桜を見る会」への政治資金規正法違反の疑いに関して、安倍晋三後援会の政治資金収支報告書を訂正したのが2020年で、その度にバッシングのボルテージは上がっている。

実は初めて元慰安婦の証言記事が掲載された1991年当時、元慰安婦の女性のインタビューを記事にしたのは、朝日新聞だけでもバッシングの対象となった植村隆記者だけでもなかった。それなのに記事掲載から10年以上もたってから、朝日新聞1社、記者一人だけをターゲットにしたのは何故なのか。中には少なくとも2016年までは朝日の記事を事実として、雑誌などで主張してきた櫻井よしこのように、2016年にバッシングが始まると同時に、180度論旨を転換させて、植村隆記者の記事や彼が取材した元慰安婦たちの証言を捏造と主張するようになった者もいる。

ひとつにはメディア全体への言論封殺のための恫喝であったことは明白であり、そのためのスケープゴート選びに適ったのが、たまたま植村隆氏だったということである。時の権力者が言論封殺しようとするのは、常に大きく根深い疑惑や知られては不都合な事実から、大衆の目を逸らすためではなかったか。

繰り返しになる。事件が発生した翌日の新聞各社が「民主主義」や「言論」について、異口同音に叫んでいたが、それを云うなら、民主主義の大前提である、情報公開、説明責任について権力者が犯してきた問題を、例え亡くなった直後であっても、いや直後だからこそ改めてきちんとした評価、少なくとも評価するための考察をするべきだと主張するべきではなかったか。亡くなった権力者は民主主義の大前提を冒涜してはいなかったかという、歴史に照らしての考察があるべきである。

 その考察の工程を何ら踏むことなく、岸田首相は秋に安倍晋三元首相の国葬を挙行すると国の内外に公表したのだから。(続く)

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