ベトナム戦争終結の日に思う
4月30日はベトナム戦争が米国の撤退によって集結して40年目の節目の日である。そこで思い起こすのは誰が米国をしてベトナム戦争というの泥沼に引き摺り込んだかということだ。それは意外にもジョン・F・ケネディである。そこからさらに思いが米国を第二次世界大戦に参戦させたフランクリン・ルーズベルトに向かう。これら20世紀の米国にとって悪夢ともいうべき戦争への加担を決断したのが、リベラルであるはずの民主党政権だということをわたしたちは忘れてはなるまい。
米国人の単純でお節介な親切心は、これまでも世界の知るところである。その一方で自分たちの価値観をそれが正義だとしての押し付けと、気に入らなければすぐに腰の拳銃に物言わせてきたという国民性が、お節介な親切にもかかわらず支援を受けてきた途上国からは迷惑がられ嫌われている原因でもあった。
わたしは長い間国際協力の現場にいて、途上国の人々の米国人嫌いについて目の当たりにしてきた。その意外とも言える実態を垣間見るたびに、日本の国際協力はその轍を踏むなと声を上げてきた。
トランプの登場でそのことに拍車がかかっていることに、流石の単細胞たちもようやく身に染みて感じ始めているようだ。大学でのエリートで固められたホワイトハウスは、腹を減らしている自分たちを顧みてくれなかったと、こぶしを振り上げていたトランプの岩盤支持層も、自分の腹がさらに減り始めていることに気が付いて、ようやくトランプを喝采することをやめたようだ。
慌てているのはもちろんトランプの方だろう。自動車部品への関税を見直すなどと言い出した。米国ほど産業構造が空洞化している国で、突然、輸入に制限をかければ何が起こるか、経済の専門家でなくても容易に想像がつく。世界最大の国の最高責任者の知能が如何なるものかを自ら露呈した格好だ。
しかし、事はトランプひとりの問題でも、取り巻きのキツネたちのせいでもない。今起こっているのが米国の国としての現実であり真の姿なのだ。とはいえトランプの岩盤支持者たちに象徴される米国の病巣が露わになりつつあることを、わたしはむしろ歓迎している。
パクスローマを誇った古代ローマ帝国は外敵からの侵略によって衰弱し終焉したわけではない。能力のない皇帝たちにその責任の一端はあるとしても、その無能に近い皇帝たちが生まれた背景には、ローマが持つ深刻な社会問題があった。皇帝が皇帝を守るべき親衛隊によって暗殺されるような事態が繰り返されるということは、国そのものがガバナンスを失っているということの証左であり、死病に冒されているということだ。
どんな社会システムも、いずれは老朽化し、内部から腐敗していく。そしてやがて老木が少しの風に吹かれても倒れるように滅んでいく。世界四大文明などというが、そのどの文明も今日まで続いたものはない。全て遺跡や遺物になってしまった。ローマの場合、パクスロマーナ終焉後、ヨーロッパは暗黒の時代に突入し、地中海は混乱と騒乱の舞台となっていった。パクスアメリカーナ終焉後の世界をどのように迎えるか、そろそろ真剣に考える時が来ているのではないだろうか。
わたしはこれまでも常々、このままでは米国という生命体としての地球に巣食う癌が巨大化して地球そのものを破壊してしまうと言ってきた。所謂、先進国と呼ばれるG7の国々が米国を除いて、全て人口減少・高齢化が社会問題化する中、米国だけが人口を増やし、しかも生産年齢人口比率も増加し続けてきた。癌細胞は1度発生してしまうとその活力を失うことなく成長を続け、やがて本体を破壊してしまう、本体である全体を殺して、そこでようやくその癌細胞も滅ぶ。成長を続ける米国はその意味で地球という生命体を脅かす癌細胞であるのだ。その意味で米国の成長が止まるということは喜ばしいことではある。
しかしローマ亡き後の地中海世界の混乱を考えると、米国の衰退のの後に訪れる我々の未来に、大きな不安を覚えるのはわたしひとりだろうか。