わたしの政策談義 12.外交について(その2)

2.外交について(ガザに思うこと)

 10月7日早朝に始まったハマスとイスラエルの戦争は、わたしにとってもウクライナ以上につらい哀しい出来事です。しかも、見る見る泥沼化して双方の死者は2万人を突破し、特にガザのパレスチナ人側には多くの子どもの犠牲者がでています。戦争の勢いはとどまるところを知らず、とうとう年を越えてしまいました。わたしはエジプトで仕事をしていた時にパレスチナ人に顔見知りができました。ガザのエジプトとの国境検問所のあるラファまで行ったこともあります。パレスチナの子どもたちのはっきりと未来を映し出している瞳とはじけるような笑顔を忘れることはありませんでした。

 また、アレキサンドリアのわたしのアパートのご近所にお住まいだったWHOの日本人医師はわたしの尊敬する友人ですが、今でもガザ地区で保健衛生の支援活動を行っていますので、ガザの事情に無関心ではいられません。

 一方で、わたしはイスラエル人にも親しみを持っています。ブラジルにいる頃には、各地でユダヤ系の移住者やその子孫と友だちになりましたし、イスラエルからブラジルへ留学していた学生さんとも交流がありました。

 中東の民族間の確執は、1948年のイスラエル建国によって顕在化し、流血と破壊の歴史を繰り返してきました。しかし、ユダヤ人とそれ以外の民族の間の抗争は何も20世紀から始まったものではなく、紀元以前からくすぶり続けていました。民族間と言いましたが、現在のパレスチナ地域を中心とした中東には、ユダヤ人の他、大きく分けてもフェニキア人、古代パルティアと呼ばれていたペルシャ人やシリア人、トルコ人とクルド族、エジプト人が入り乱れて住んでいましたし、アレキサンダー大王の東征についてきて定住化したギリシャ人、ローマの拡大によって移り住んだローマ人などなど、多くの人種・民族が複雑に絡み合ってきました。さらにキリスト教が発祥し、それがローマ帝国によって迫害を受けながら、やがて国教として採用されるに至り、ユダヤ人はキリスト教徒の憎悪と蔑みの対象となっていきます。さらにムハンマドがアッラーの神を唱えるようになると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖地であるパレスチナの争奪戦が始まり、中世に入ると西ヨーロッパを中心としたキリスト教国が、イスラム教徒に占領されていたパレスチナの地を奪還するために十字軍を編成して遠征してきました。近代に入って中東西部で石油が発見されると、中東は単に宗教的聖地の確保のための戦争の場ではなく、経済戦略のための領地の奪い合いとなり、第1次世界大戦から第2次世界大戦終了まで、英仏を中心とした列強の手前勝手な支配が続いたのです。

 第一次大戦時代の頃の英雄として有名なアラビアのロレンス、トーマス・エドワード・ロレンスの晩年の告白でも、そのことがはっきりと分かります。英国はアラブ人に対しては、英国にとっての敵国であるオスマントルコ帝国と戦えば、アラブ人の独立と建国を認めると約束して、ロレンスを送り込みました。一方でパレスチナ人とユダヤ人が混住していたパレスチナの地に、ユダヤ人が独立国を建国することを認める約束をしていました。それにもかかわらず、第二次大戦中になるとフランスとの間で、中東を分け合おうとしていたのですから、二枚舌どころか三枚舌と言えるのではないでしょうか。イスラエル建国の約束そのものが、ドイツとの戦いを有利に進めるために使った英国の二枚舌の産物だったのです。英国とフランスの間で交わされたサイクス・ピコ協定という密約は、本来中東の関係国にとって絶対許されない大国の裏切り行為でした。個人としてのロレンス自身はひとりの人間としての良心の呵責に堪えられなくなるのですが、それで済む話ではありません。彼の母国である英国のやったことが100年経った今世紀になっても、非人間的な悲劇の連鎖を生んでいるのですから。

 イスラエル人とユダヤ人にとには厳密にいえば違いがあります。あえて単純化して言うならば、古代イスラエル、現在のパレスチナに住んでいた人々の中でユダヤ教を信奉する人々がユダヤ人です。そのユダヤ人は紀元前から今日に至るまで、差別と迫害、収奪と虐殺の歴史に血塗られています。旧約聖書の出エジプト記の記述、バビロン捕囚、ディアスポラ、レコンキスタ運動の際の異端審問所、ロシア帝国とその後のソ連による迫害と土地の収奪(ポグロム)、ヒトラーによるホロコーストなど、わたしたちが知っているだけでも、数えきれないほどの悲しい事項があげられます。そのことを思うと、同情の気持ちを抱かざるを得ないのですが、それでも、現在ガザに起こっているイスラエルによる住民虐殺ともいえる掃討作戦を考える時、ユダヤ人のためにこそ、現在多くのユダヤ人が抱いている考えを改めて欲しいと思っているのはわたしだけではないでしょう。

 ユダヤ人たちは過去の経験から自衛のためとは言え「自分たちだけは殺されてはならない」「自分たちの土地だけは奪われてはならない」と考えています。その「自分たちだけは」」という考えを改めなければ未来永劫、ユダヤ人の安寧はないと言わざるをません。そして、このことこそがユダヤ教、キリスト教、イスラム教という同根の宗教の確執とは関係なく、世界中の人間が忘れてはならないことです。自分の、自分たちの命と、他者の、他国人の命を同等と考えることが何より平和実現の根幹です。

 肌の色も、住んでいる国も、信じている宗教も、あるいはマジョリティーであろうがマイノリティーであろうが、全ての人が自分たち以外の人も同じ人間であるということに思いを馳せることができれば、殺し合いなど起こるはずもありません。ミサイルであろうと高性能の砲であろうと、ボタンを押せば、その先にどんなことが起こるかということを想像できる指導者や政治リーダーの下では、戦争は起こらないはずなのです。

 (続く)

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