ステイホームウイークス-3

3.いつか来た道

 新型コロナウイルス感染症が直接的にわたしたちの命を脅かしています。すでに多くの方が亡くなりました。さらに社会経済に大きなダメージを与え、それによってコロナが人々の命を奪うかもしれません。しかし、それだけでなくもっと深刻な現実を突き付けているとわたしは感じています。中でもわたしが最も恐れているのが、特に欧米各国で「民主主義」が否定され始めていることです。

 新型コロナに関する韓国や台湾の対応と成果について称賛の声が聞かれます。わたしもそれはそれでそれぞれの国の政治のトップの決断と行動力は称賛に値すると考えています。しかしながら忘れてはならないのは韓国も台湾も現在、戦時下にあるということです。

 わたしは韓国では38度線の板門店に行って現地の休戦ラインの緊張感を直に感じてきましたし、仕事で台湾海峡に浮かぶ澎湖島のホテルに滞在した時、普通のホテルの非常口の掲示板に当たるところに空襲の際の防空壕へ避難路となっていました。欧米の政治リーダーたちは「コロナ禍は戦争だ」と公言しています。戦時下であればこそ、「戦争」への対応は迅速で徹底したものにできたとも言えるのです。

 新型コロナはわたしたちの社会生活の矛盾や不条理について、今更ながら思い知らせてくれています。国のトップやその周辺の政治家たちの無能さ、機能停止をしているとしか思えない政府機関、本質を見抜こうとしない報道機関、折角大枚を払ってやろうとしている支援施策の数々も、目的と手段をはき違えているとしか思えない手続きの煩雑さで、本当に必要な人のところに必要な日までに届くのかどうかも心配になります。

 更にはインターネットの普及で情報の拡散が飛躍的に早くなったことで、デマや未確認情報があっという間に拡散してしまうことも心配です。トイレットペーパー騒ぎなどはまだ罪の軽い話でしたが、デマや悪意のある噂話で傷ついたり、差別を受けたりする人がたくさん出ているのです。保育園で医療関係者の子どもたちが、いわれのない差別やいじめにあったことなどは、何度思い出してもわたしは腹が立ちますし、当事者である医療者とそのお子さんたちの心に受けた傷を考えると涙が出ます。

 それでもわたしは、この日本という国を今、改めて誇りに思っているところです。多くの国民は外出を自粛し、手洗いやマスクの着用を励行しています。ごくわずかの、本当に一握りの不心得者たちの行動をテレビが報道していますが、銃器や警察権力で都市封鎖をしなくても、あるいは法で縛り上げ、違反者を逮捕しなくてもすんでいる国は、世界中を見渡してもそんなに多くはありません。しかも、感染者数も不幸にしてお亡くなりになった方の数も人口割で、群を抜いて少ないのです。

 もちろん、油断は禁物であり、いつ日本でも爆発的な感染拡大や医療崩壊が起きるかもしれません。わたしは今夏一度収束した後、第2波が来るかもしれないことに備えるよう提言しています。6月議会ではそのことについて論議する準備もしています。それでもまずは冷静にならなくては、感染防止も社会経済活動の維持もままならないと自分に言い続けています。政府や地方自治体の自粛要請に耳を貸さない、ごく少数の不心得者を憎いと思うあまり、国の強権力行使を求めるような発言も聞かれますが、それこそこの国が取り返しのつかない禍を、わたしたちにもたらしかねません。

 わたしは今の日本で言われている3密自粛には「治安維持法」の時代の「集会禁止令」のニュアンスを感じてしまいます。国が毎日公表するコロナ関連情報も、少し穿ってみれば分母と分子の関係が定かでなかったり、情報の出どころがばらばらであったりしています。国が情報を一元管理すると言っていたのに、今では地方に責任をかぶせようとしています。感染者数、感染率、罹患率、致死率、死亡率などなど、そのどれをとっても国民はうさん臭く感じています。まるで「大本営発表」の戦果や状況分析に見えてしまうのです。さらに、SNSなどで独断と偏見に基づいて、他者を攻撃する自粛警察も社会問題化していますが、それは太平洋戦争当時、白い割烹着を着て贅沢や遊興を取り締まっていた大日本婦人会や在郷軍人会の活動と重なります。コロナによってこの国が「いつか来た道」を辿ることのないよう、声を上げていかなくてはならないと考えています。

 今、わたしたちにできることは、まず冷静になること。少なくともわたしたち日本人特有の謙譲と惻隠が、世界中から称賛されていることを思い出しましょう。コロナとの付き合いは例え一時的に収束しても、長くなることを覚悟しなくてはなりません。まだまだ未知の敵ではありますが、新型コロナへのワクチンや治療薬が確立するまで、このウイルスに対して正確に恐れ、正確に自分のできることを粛々と実行していきましょう。

 三密とは本来、弘法大師の御教えであり、身密(しんみつ)=身体・行動、口密(くみつ)=言葉・発言、意密(いみつ)=こころ・考えのことです。それぞれ僧の修行の目安のようなもので、身密とは手に諸尊の印契(印相)を結ぶことであり、口密(語密)とは真言を読誦することだそうです。そして心密とは心に曼荼羅の世界を思い描くことです。わたしたちが今、最も心に銘じておかなくて行けないのは、この弘法大師の「三密」の御教えではないでしょうか。

「身体の密」は「手を洗い、清潔に保ち、ソーシャル・ディスタンスを意識すること」、「口の密」は「常にねぎらいと感謝の言葉を発すること」、「心の密」は「他者を慮る惻隠の情をもち、生活必需品などを独り占めにしないこと」。この三密を忘れずに、災厄の先にきっと来る、いつか来た道ではなく新しい社会を待ち望む「希望」を持ち続けましょう。

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