4月27日(小沢無罪判決)

わたしは有罪判決が出れば日本の司法制度も法の精神も終わりだなと思っていたが、それでも小沢殺しをしかけた政治テロ集団は理屈も正義もなく目的を達するために猪突するのではないかと危惧していた。
 裁判官が初めに二度も主文を小沢さんに聞かせ、念を押したのは、その後の保身のための判決理由の朗読へのエクスキューズだった。彼としては法と司法の正義は守らなくてはならないが、霞が関幕府の急進派の対小沢テロリストに対する保身もしたいということで、法理論上は要らぬことを多弁を弄したが、そのことを正確に指摘していたのは江川紹子さんだけだったというのも、日本のコメンテーターなる人種の見識の低さを露呈している。
 それにしても首相の判決直後の「司法判断に従います」という発言は政治家の、それも一党の代表たる人間の発言とは思えないものだった。「司法判断に従う」との発言には「自分としては有罪だと期待していたのだが」という本音が隠れていることを明白にしただけでなく、同じ党の仲間としてのねぎらいや祝福を拒否したことになる。
 日本が大変な状況の中で「キャンキャン」吠えるだけの野党の親の七光政治家たちと、復帰する剛腕政治家に挟まれて、霞が関官僚幕府に国民を売り飛ばしてしまったペーパードライバー政治家の三つ巴、誰が一番被害をこうむるかは歴然としている。
 歴史は繰り返す。大衆迎合政治→政治不信→政党否定→英雄待望→軍靴の響きとならないことだけを祈るしかないのか。

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