地球に裏側の日本語詩歌にみる日本人と日系人の感性

コロニア詩歌にみる日本人と日系人の感性

(地球の裏側の日本人)

日本感性教育学会研究大会

井手口良一

(日本感性教育学会大分県支部・詩誌心象同人会)

1.はじめに

今から104年前の1908年6月18日に781人の第1回日本人契約移民を乗せた笠戸丸がブラジルのサントス港に入港した。これが日本人のブラジル移住の始まりであり、6月18日は「移民の日」として、ブラジル日系人社会の記念日になっている。

1世紀を隔てた今日、既に日本語をほとんど使うことのない世代が大半を占めるようになり、日系社会も大きく変貌し、日本語による文学、特に日本語詩の仲間として集う人口も激減している。そのため、一つの文化人類学的あるいは比較言語学的な実験テーマが、未解決のまま忘れ去られようとしている。

そのテーマとは日本人独自の情緒や感性が、地球の裏側の亜熱帯、熱帯という四季の変化に乏しい自然環境、1月が真夏で7月が真冬という時差などによって、どう変化するかということである。

私は1974年から1993年まで19年間ブラジルで暮らし、現在も行き来している。その私のブラジルでの経験を元に話したい。

2.コロニア文学

  広義のコロニア文学とは異文化の衝突もしくは出会いの場における文学

 1)植民地時代の特にヨーロッパ系白人による文学

 2)植民地で生まれた人々による本国での文学

 3)植民地独立後の独自の文学

 4)ポスト・コロニアリズム

 「ポスト」という接頭辞は、様々な地域が解放された後に、現在もなお植民地主義の影響のもとにあるということを強調するために用いられている。

 経済や文化、政治に残存する植民地主義の影響を明らかにし、現状を変革するための思想。

 植民地の多くは、第2次大戦後政治的に独立したにもかかわらず、先進国に経済的に依存せざるをえない状況が続いた。グローバリズムの進展に伴い経済的依存はますます高まり、情報や文化資本の流入によって固有の文化を維持する困難にも直面してきた。こうした現実に対して、特に1960年代以、いまなお植民地主義の影響下にあるという問題意識のもとで、旧植民地出身者による不平等や格差の克服への取り組みが現れてきた。

植民地主義の遺制(残した影響)は経済的な側面だけではなく、民族や人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティーなど様々な要因の組み合わせが複雑に関連し合っている。

ポストコロニアリズムには、文学テキストに刻印されている、植民地主義による支配・被支配の相互会計を読み解くもの、歴史における戦争暴力を問うものなど、領域横断的な取り組みが見られる。( 野口勝三 京都精華大学助教授 )

 5)米国や沖縄での文学

 6)ブラジル独自の詩文学の発達

3.ブラジルにおける日本人社会の形成

 1)蒼氓(石川達三1930年・発表は1935年)の時代

(笠戸丸1908年~大正小学校開校1915年)

 2)定着の時代(1929年~1939年日本人学校の廃止)

3)大戦時と敗戦直後の混乱の時代(1941年~1954年)

(日本語新聞の発刊禁止1941年)

   日系社会の分断(収容所、勝ち組負け組)

 4)成長の時代

   大戦後の復興経済:移住者の都市への進出

戦後移民:引き上げ経験者の時代、炭鉱離職者の時代、コチア青年

世代交代:二世たちの活躍

 5)融合の時代

日本人と日系社会に対する高い評価、デカセギ、在日ブラジル人の帰国

 6)コロニア語

   日本では通じない日本語、ブラジル人には通じないポルトガル語

   日系社会の中の一方言(現在も変化の途中→デカセギ語)

4.もう一つのコロニア文学(移民の移民による移民たちの文学)

 日本人移民(移住者)による文学、正史ではない文学史の流れ

ブラジルの大地に生きる日本人たちが日本語を用いて行った創作活動。

移民や戦中経験の苦労談などを主な初期のテーマから出発し、『地平線』(1936)、『文化』(1938)、『コロニア文学』(1966)、『コロニア詩文学』(1988)などの総合文意雑誌に短詩形文学(短歌・俳句・川柳)が寄稿された。

 1)征服者と抑圧者関係でない、新しいコロニア文学の形

 2)日系コロニア(過去と現在)

 3)コロニア文学誌の変遷

 3)日系コロニア文学史上の人物たち

  ①鈴木南樹  ②古野菊生  ③武本由夫  ④横田恭平  ⑤大浦文雄

5.詩誌「亜熱帯」の創刊(1976年)

 1)発刊の言葉(亜熱帯創刊号・ルネ田口)

全文:

 ブラジルに於ける日系コロニアの人口は約70万、日本語で詩を書く人も、読む人も相当あるのに、詩の専門同人誌がないのを、長らくさびしい思いでいた。勿論、推進運動のためにも、専門詩誌の必要が痛感されていたが、この度、1975年度合同詩集刊行を機として、同志相寄って、吾等の同詩誌「亜熱帯」第1号を発行することになった。

 ここに集まった同人は、日本で発行される同人誌のように、詩における主義、主張を同じうするものの集まりではない。もはや生きることが窮屈になったこの地球上に、ただ一つ残された夢のある国、このブラジルで、野放図の詩を書いてやろうという魂胆の人たちの、寄り集まったものである。

 吾々は、長くこの未来形の国に住み、毎日異なる人種の連中とつき合っている。社会環境の差異によって、ものの見方考え方は、おのずから、日本の人たちとは、ずいぶん違うはずである。そうした次元で書かれる吾々の詩は、仮令正確な日本語で書かれていても、素性をさぐれば、まさしくブラジルの詩と称すべきであろう。

詩は文学の主流である

いや、文学なるものの遊戯化した今日に於いて、詩は、真に詩そのものあらねばならない。

吾々はこの矜持をたずさえ、この厖大な大陸で、少なくとも、一つの清純な光芒を放つ仕事をやりたいと思う。

2)「亜熱帯」時代のわたしの詩

  セラード地帯

井手口良一

  クイアバの空港を飛び立つとすぐ

  軽飛行機は突然タイムマシンになって

我々を異次元に運びます

未来かって

そうかも知れません

猿の惑星って手もありますから

過去だろうって

そんなところもありますが

それにしては空中に

懐かしい交流電流が漂っていません

宇宙代の広がりと

無尽蔵の未来と

二足歩行を始めたばかりの

人類の始祖のように

個性をいう名の過去証明をもたない

あらくれ達が

黄金色のモンスターにまたがって

文化という名のバベルの塔を

作り始めたところです

情熱が地平の彼方に沈む時

あらくれ達は

それぞれの過去の末裔にもどり

それぞれの故郷の星を見上げて

幾百万光年の

ノスタルジアにひたります

そして

希望が東の空をもうもうと

蒸気を上げながら昇るのを合図に

モンスター達は生命(いのち)を与えられ

その鼓動に合わせて

時の流れが

今始まったかのように

脈を打ち始めます

宇宙代の広がりと

無尽蔵の未来と

過去証明を朝焼けに焼き捨てた

あらくれ達は

初めて道具を発明したばかりの

人類の始祖のように

ひとりひとりの歴史を耕すのです

            (1980年:亜熱帯19号)

 セラード地帯について(亜熱帯19号に掲載されたわたしの横田氏への手紙)

  ――亜熱帯へ刑された部分のみ――

  サハラ砂漠でさえ掘り起こせば

  人類の化石や遺跡が出てくるというのに

  このセラード地帯には、インディオの

  住処どころか、人類の痕跡なるものは

  何もないのです。

  つまり吾々はここに空間移動することによって

  人類誕生以前の世界へと時間移動できるのです。

  (中略)

  日本を始め、世界中で吾々青年が

  時代そのもの 歴史そのものに関与することが

  できなくなって三十年以上経ちます。

  しかし ここだけは吾々が

  我々そのものが歴史であるという

  充足感を持てるのです

  一日一日が歴史を作る作業なのです。・

  こんな素晴らしいことはないと思います。

  自分が折角の自分の技術を捨てても

  ここを選んだのはそのためです。

6.日本人の感性とブラジル人の感性

   感性を育むのはやはり自然環境である。その自然環境が南半球では全く違う。そのことはヨーロッパからの移民たちにも言えることではあるが、わたしが直に話をしてみて、自然環境の違いの影響を最も受けているのは日本人、日系人ではないかと思う。その自然環境の違いとは、例えば

1)季節感

   亜熱帯には四季はないと言われている。夏(雨期)と冬(乾期)という季節の変化はあるが、細やかな季節の移ろいなどは感じられないと思われていた。ちなみにもっと赤道に近い熱帯地方では夏(乾期)と冬(雨期)になり、亜熱帯とは雨の降る時期と気温が逆転する。。

   単純そうに見える亜熱帯や熱帯の季節の移ろいも、実はそこに住み暮らしてみると見えてくるものがたくさんある。冬の終わり雨期の始まりを知らせる鳥たちの声、海岸山脈に咲く花々の色。竜巻や雹という招かれざる気象現象も季節の変わり目にやってくる。

   ブラジルの国家と言われるイペーは、主に黄色の花を葉に先駆けて満開に花開く。改良種の白や薄桃色のイペーを移民たちはブラジルサクラと呼んでいりが、確かに彿させる木姿をしている。

   亜熱帯の山や森の木々の色は、日本のような温帯に比べてくすんだ色をしていて、特に遠目にはねずみ色がかって見えるほどである。これは常緑樹がほとんどであることと、新葉の更新が一時に起こらないためではないかと思われる。

2)月の満ち欠け

   南半球のためら天空の星座はずいぶんと違って見える。もちろん北極星は見えないし、北斗七星も赤道近くまで行かないと見えない。天の川も北半球とはずいぶん形が違うし、コールサックと呼ばれる天の川の黒く欠けた部分さえある。

さらに、月の満ち欠けが日本と違うことも特筆するに値するだろう。月の満ち欠けする側が北半球からの見るそれとは反対になるのだ。さらに、鳥獣、魚類、昆虫などの生態は雨期乾期、夏季冬季の移ろいよりも月の満ち欠けの影響を多く受ける。したがって、農林業などに従事する人間も、日本よりも月の満ち欠けを農事カレンダーの目安として使っている気がする。

3)虫(コオロギやセミ)の声

   日本人は虫の声に「もののあわれ」を感じるといわれている。虫の声を脳の人の声を感じ取る言語領域で聞き取るかららしい。しかし、ブラジル人は虫の声は無機質な機械音としてしか聞かない。ではこの国に生まれ育った日系人はどうなのか。わたし永い間そのことが気になっている。どうやら日本語の習得の度合いが関係していると、漠然と思うが、誰か言語学か人文科学の専門家にちゃんと調べてもらいたいテーマである。。

4)ホタル

   日本ではホタルと言えばはかないものと言うイメージがある。しかし、ブラジルでは「もの凄い」という表現の方がぴったりである。日本で我々が普通に見るホタルの多くと同じく、ブラジルでも幼虫期を水中で過ごすホタルたちは、大きさは変わらない。しかし、その一度に飛ぶ数が全く違うのだ。正しく幾万という言う数のホタルが一斉に羽化して飛び立ち瞬くのだから、もの凄いと言うしかないのだ。

   さらに、タマムシやコメツキムシの仲間のホタルがいる。これらの陸生ホタルと呼ばれる種類は日本でも生息しているが、ただ大きさが凄う。日本のタマムシより二回り位大きく、しかも、肩のところの2か所が、まるで仮面ライダーの目のようなに光る。さらに、腹側に飛ぶ時だけ光る大型の発光器を持っていて、数こそ単独で飛んでくるのだが、その光の強さはこれまた「もの凄い」と言うしかない。いずれにせよ、ホタルを見て「もののあわれ」を感じるという境地からは程遠い。

7.これからの日系社会とニッケイコロニア文学

1)日系人によるポルトガル語詩

   ブラジルの日系社会は現在すでに7世の時代に入ったといわれている。もともとブラジルは、その建国の時から混血を嫌うことはなかったのだが、一部の移住者や宗教的な集団の中には純血主義もあった。日系社会も戦前から戦後のある時期までは、ガイジン(本当は自分たちが外人なのですが)との婚姻に反対する傾向が強かったようだ。

   しかし、現在ではそんな社会的なバリアーはなくなり、人種のるつぼの中に日系人も溶け込んでいる。勢い、日本語を習得する機会もモティベーションもなくなりつつある。その分、日本人の感性をいささかでも持ちながらポルトガル語で詩を書く人が多くなっている。それが今後のブラジルに文学にどのような影響を与えていくのか、逆に楽しみである。

2)ルーツへの回帰

   混血が進むことによって、少なくとも顔つきは日本人離れした日系人が多くなってはいるのだが、逆に自分たちのルーツについての関心は高まっている。ブラジル社会での日系人への信頼度の高さもあり、西洋的な文化や資本主義の行き詰まりとともに、東洋のそれも特に日本の文化や日本人の思想、信条にについて真摯に学ぼうとする傾向も出てきた。日本語という特異な言語についても、それにつれてかえって日常生活とは切り離されたところで学ぼうとするモティベーションも生まれている気がする。

3)小野リサ

   彼女は言わずと知れたボサノバのシンガーソングライターで、ブラジルでも数々のヒット曲を飛ばしている。ブラジルの国籍を持ち、幼少期をブラジルのサンパウロで育った彼女の感性が、ボサノバを通してブラる人に受け入れられていることを、うれしく思うとともに、今後の彼女と彼女に続く日系の歌手たちの可能性に期待したい。

8.参考文献

 亜熱帯詩社  亜熱帯創刊号                 1976.8

        亜熱帯19号                 1981.10

半田知雄         ブラジル日本移民・日系社会史年表  1996.10

清谷益次、栢野桂山(共著) ブラジル日系コロニア文芸      2006.5

安良田 済        ブラジル日系コロニア文芸      2008.8  

大浦 玄         子供移民大浦文雄          2011・10

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