歴史に特筆されることになった第26回参議院選挙

(3)これからの日本

 (承前)わたしは安倍晋三を襲った犯人の人物像や、現在取りざたされている宗教団体のことについて、特に深く触れようとは思わない。天人共に許すことのできない理不尽な暴挙によって、良くも悪くも一人の政治家が突然命を奪われるということなどあっていいはずがない。かといって、この忌まわしい事件が政治と宗教の癒着を許してきたことの当然の結末であったということにして、一件落着などということにもしたくはない。それでも、そんなことに目を眩まされて、政治家への評価や、政策への結果責任についてきちんと考察することを忘れてはならないと考えているからだ。

 逮捕された山上徹也は鑑定留置することが決まった。少なくとも犯行前に彼が書いた文章を見る限り、精神に異常をきたしている者には見えないのだが、なぜ鑑定留置するのか、検察か裁判官は国民に説明するべきであろう。しかし、ここでもおそらくは「個人情報」「人権保護」「公判前の捜査情報」等を理由に、わたしたち国民には何も見えてこない。そのうち、コロナとウクライナのニュースの波にさらされて、わたしたちの興味も薄れ、メディアの追っかけもやむと考えているのではないかと勘繰りたくなる。

 テレビなどではいつものように犯人の人物像や、宗教団体の異様な教義と集金方法をセンセーショナルに言い立てているが、それでかえって、ではジャーナリズムには何の責任もないのかということを考えてしまう。マスメディアが常に留意するべきは、第三者、それも善意の第三者的な言説をとりながら、実はこの国をあらぬ方向に誘導しようという目には見えない(見えてはいるがそうと認識できない)動きに加担してはいないかという自覚と自問であろう。

 明治3年(1870年)に日本最初の日本語の日刊新聞横浜毎日新聞が創刊されている。その2年後の明治5年には現在の毎日新聞の前身東京日日新聞が創刊されてた。ちなみに朝日新聞の創刊は明治12年だそうである。そのころの新聞は今で言えば社説とコラムで紙面を占めるオピニオン紙であった。その後も明治7年に始まり全国に波及し活発化した自由民権運動と共に、政府系、反政府系の違いはあっても政治的な意見や論文をインテリ層に向けて情報発信する媒体として、多くの新聞が創刊されている。

明治7年には江戸期のかわら版に相当する讀賣新聞が創刊されている。こちらはいわば今日のタプロイド版に近い小さな紙面だったという。そのため小新聞などを呼ばれていたが、紙面は時事ネタと庶民受けする風刺ネタが中心で、発行部数では数ある大新聞を凌駕していたそうだ。

 いずれにしても論説中心の構成だった新聞は、当然ながら創立当時は家内工業的な規模を脱していなかった。次第に企業としての体裁と規模を有するようになり、それと共に記事も論説から事実報道に代わっていく。事実報道と言っても、それが事実であるということのエビデンスに基づく考証が前提になるがそれが当時どのように行われたのか今となっては想像するしかない。また、新聞報道の内容が意図したものせよ、そうでないにせよ、それによって世論がどう誘導されるかということは別問題である。日露戦争後の講和への批判や太平洋戦争時の世論醸成に果たした新聞の役割を考えれば、現代もまたこれからどうなって行くのか背筋の凍るような危惧を感じるのはわたし一人ではあるまい。

 良くも悪くもオピニオンリーダーとしての機能を有しているマスメディアだからこそ、安倍晋三やその権力構造の構成員たち、シンパたちは執拗にメディアへの言論封殺を試みてきた。そして、その彼らの目的は既に一定程度以上に達せられているかもしれないのだ。

 とはいえ、安倍晋三は亡くなった。犯人の動機が何であったとしても、そのこと自体は既に防ごうにも防げない既に起ってしまったことになったのである。襲撃を防げ得なかった警備体制は十分に検証されるべきであるし、そもそもこのような突発的なテロ行為を発生させてきた日本社会のひずみや隙間についても考察しなくてはなるまい。しかし、これからの日本、近未来の日本考える時、安倍晋三の死がこの国に何をもたらすのか、あるいはもたらさないのかということを、激動ともいえる国際情勢の中にあって、まず考えなくてはならないのではないか。

これからの日本をどうするのかと言えば、まずは安全保障ということになるだろう。安全保障というとすぐに軍備だ憲法改正だと声を高める勢力がいる。しかし、国の安全は軍拡競争によってのみ保障されるものではない。食糧安全保障。経済安全保障、技術や情報の安全保障等々多岐にわたる事象すべてを綜合的に考えなくてはならないのが安全保障である。

 「平和ボケだ」「近隣諸国からの軍事的脅威が増大している」と言い募って「軍事費を拡大させなくてはならない」「憲法を改正して自衛隊を軍隊にしなくてはならない」と声高に何度も言われると、なんとなくそんな気がしてくるかもしれない。「安倍晋三は国を守るために戦って死んだ」と大音響で言われると、初めのうちこそ抵抗を感じても、だんだんと同調圧力に屈するのが、わたしたちの持って生まれた性でもある。だからこそ、今は刮目して、それでも足らなければ冷水で顔を洗ってでも、冷静かつ慎重に世界を見回す必要があると言いたい。

 そもそも、たとえ隣国が責めてくるかもしれないと不安なったからと言って、ではどんな武器を持てばいいのか、どんな兵器をそろえれば、兵員はどのくらい増やせばいいというのか。亡くなった安倍首相は核による再軍備さえ口にすることがあったが、核には核という考えが如何に短絡した、それこそ平和ボケした衝動なのかということは、ウクライナへのロシアへの侵略戦争によって証明されている。ウクライナは核兵器を持っていなかったから侵略されたのか。ロシアは核兵器を持っているから好き勝手なことが出来るのか。それは違うだろう。核兵器はたとえそれが戦術核であったとしても一挙に世界全体の終末を誘発する。謂わば人類全体を巻き込んでの自爆装置に他ならないのではないか。

仮想敵を作って、その敵を凌駕するだけの戦力を保持しようとすれば、その敵は危機感からこちらを凌駕する軍事力を持とうとするだろう。それは永遠のスパイラルになるだけである。安全保障とは戦力や軍事力の優位性にあるのではなく、他国に侮られない国際政治力、交渉力、そして経済力や情報収集力であり、敵を作らない、信頼される国になることである。それを実現できるのは、結局のところ政治であり、政治家である。並大抵の政治家では到底なしえることではない。いくら声高に国防だ安全保守だと叫んでも、もり・かけ・サクラのちり芥で自らの足元を汚していたのでは、安全保障どころか国内外の信頼を勝ち取ることなど望むべくもないのだ。

一方で、これだけは明白なことだが、民主主義の国において政治家を選び、育てるのは選挙を通しての、我々国民の自覚である。今回の参議院選挙は大方の予想通りの結果であった。その意味では元首相の不慮の死も何ら影響を与えなかったのではあるが、少なくとも彼の望んでいた方向へ、この国が舵を切り始めているのではないという危惧の残る選挙であったことは間違いない。未来の歴史学者たちから、この選挙と元首相襲撃事件をどの様に評価され、歴史の一頁を飾ることになるのか、わたしたちには確かめる術はないのだが、これからこの国が辿る道の如何によって決まることになるだろう。(この項、終わり)

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歴史に特筆されることになった第26回参議院選挙

(2)国葬について

(承前)安倍晋三元首相が凶弾に倒れて2週間後、岸田首相は国葬を挙行することを閣議決定した。何より岸田政権にとって権力の維持のために必要なのである。あるからこそ、自党内の一部が声高に国葬、国葬と言い始める前に、自らの意志であることを示すために閣議にかけ決定したのだろう。

 しかし、安倍晋三元首相を国葬に付すことの問題は大きいと言わざるを得ない。その問題とは①法的根拠の有無についての説明②国葬決定までのプロセスの不透明さ③国葬に見合う衆目の一致する功績があったかどうか④初めから国民全員の賛意は求めないという発言⑤天皇陛下の扱い等々である。

法的根拠の有無については、わたしは法律家でも法学者でもないが、それでも大いに疑問を持たざるを得ない。日本の国葬についてのルールは国葬令(勅令)として大正15年(1926年)10月21日に制定され、敗戦後の1947年12月31日、日本国憲法施行の際に失効している。戦後1967年の吉田茂の国葬の際、当時の水田三喜男大蔵大臣が国葬に予備費を支出したことに対し、翌1968年5月の衆院決算委員会で、「国葬儀につきましては、御承知のように法令の根拠はございません。(略)私はやはり何らかの基準というものをつくっておく必要があると考えています。(略)将来としてはそういうことが望ましいと考えています」と答弁している。つまり この時、水田大臣は「国葬儀については法令の根拠はない」「作ることが望ましい」と明確に答えている。しかしながら、その後60年以上も経過した今日に足るまで、国葬の法的根拠と挙行のための基準を作ったという話も、作ろうという論議もなかった。

1967年当時の国葬の決定者である佐藤栄作元首相の死去の際、国葬にすべきではという意見が起こったそうだ。しかし、この時は内閣法制局が「法的根拠がない」として待ったをかけている。今回、安倍元首相の国葬について、内閣法制局は岸田首相の決定に異論をはさんでいないことと対照的だ。

1967年当時の国会は自由民主党の安定過半数(486議席中277議席・1967年1月総選挙)に支えられて、佐藤栄作が長期政権を維持していた時だ。佐藤栄作が亡くなった1975年当時も1972年に行われた総選挙の結果、衆議院の議席数491議席に対して自民党は271議席を有していたものの、田中角栄首相のロッキード問題などで支持率が低迷し始めた時だ。現に三木首相に代わった第34回総選挙では総議席数511に対して249議席と過半数を割っている。2022年の現在、国会の勢力図は圧倒的に与党優位にある。

本来、内閣法制局は法の番人であり、その矜持を持っているべきである。誰のための番人かと言えば、それは国民のためであることは論を待たない。しかしながら、与野党の勢力が与党優位である場合と拮抗している場合とで、その肝心の番人が居眠りしていたり、はっきりと意見を言ったりするというのでは話にならない。もっとも、国会議員は誰が選んでいるかと言えば、我々国民なのだから、その当然の帰趨だと嘯かれれば何をか言いわんやということではあるが。

大体が国葬について考えようにも、法的根拠がない以上できようもない。戦前の明治憲法下における国葬令に基づいて論議することも時代錯誤も甚だしいということになろう。ただ、これだけは言えるのは、閣議決定しただけで果たして国の事業都言えるのかということである。内閣には執行権があるが、国家予算を伴う事務事業の全てが国会の承認がいるはずだろう。今の政権与党の数からすれば、国会審議をしてどんなごり押しも通るはずなのに、それすらせずに「国葬」ということにしてしまった。それが何を意味するのか、考えれば考えるほど空恐ろしい。

 国葬決定までのプロセスの不透明さについては、もともと法的根拠がないのであるから、あとは時の為政者の決断と後押しする勢力の圧力次第ということだろう。戦後の国葬の前例となる吉田茂の場合、10月20日に死去して、国葬は同じ月の31日に行われている。やるやらないの最終決断は佐藤栄作の日記によると22日だったようなので、事務事業としてのプロセスはなかったも同然だった。佐藤栄作は側近の幾人かに意向を確認していると書き留めているが、その通りだったとしても佐藤栄作が独断で決めたことに相違はあるまい。ただ、病死した吉田の場合、あらかじめ容態の進行について認識を共有する中で、国葬という儀式が浮上したことも否めないだろう。

 今回も色々取りざたされてはいるが、いろいろあったとしても岸田首相自身が決断したことに変わりはあるまい。閣議決定までに2週間を要しているが、それが長いか短いかはともかく、岸田首相の党内での位置関係と力の度合いを物語っているのかもしれないし、自民党内部が一枚岩ではないことを検証する際のエビデンスにもなるだろう。また、吉田茂の国葬の時は外国から特使の派遣はあったが、元首クラスの誰彼が来たという記事が見当たらない。少なくとも吉田茂の国葬を決定した佐藤栄作には、元首相の死を利用して弔問外交の成果を期待するというさもしい動機はなかったことになる。

 そもそも、葬儀を大々的にやろうというのは、送られる側ではなく、やる側、特に権力の継承者側の勢力誇示のためである。古くは織田信長の葬儀を取り仕切った羽柴秀吉の例もそうだし、近くは吉田茂の国葬を取り仕切った佐藤栄作もそうだった。岸田首相の場合、外国の元首クラスの要人との会見までもセットしなくては、その権力誇示すらおぼつかないというのだろうか。

 さらに言うなら、仮に安倍晋三という人物が今でなく、もっと先に彼の持病が悪化して亡くなっていたとしたら、彼は果たして国葬に付されていたであろうか。彼の遭難死が将来特筆される令和史のトピックであることは間違いはないだろう。しかしそれは政治家としての彼自身に対する評価、彼の政治実績に対する評価、そして彼を国葬に付すると決断した岸田首相の判断への評価の結果ではなく、ただ単に選挙遊説中に凶弾に倒れたというエキセントリックな事件として、歴史に残るだけではないだろうか。

 国葬に見合うだけの政治的実績をどう評価したのということについては、これから9月27日の当日に向けて、賛否双方の陣営から、あと付で出てくるだろうが、今のところ「8年8カ月の長期政権を担ったこと」「国内外から幅広い弔意が寄せられていること」という、いかにもとってつけたような理由付けだけが語られている。国際的な評価が高いというならノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作でさえ国葬にはなっていない。「東日本大震災からの復興」の功績も挙げられているが、こちらに至っては功罪、毀誉褒貶相半ばするどころか、批判されるべきことの方が多いのではないか。

 「初めから国民全員の賛意は求めない」という発言を聞いた時、わたしは耳を疑った。一見、「そりゃぁそうだろう」と頷きたくなるような言葉だが、事は国葬である。民主主義によって成り立っている国であれば、国民の総意によって葬送される人物のみが国葬に値するのではないか。もちろん、価値観の多様化している現代社会において、全員が賛意を示すというのも空恐ろしい話ではあるが、少なくとも時の権力者が口にしていい言葉ではない。「説明を尽くして理解を求めていく」と付け加えても許されることではない。つまり「国民が何と言おうと、わたしがやると言ったらやるんだ」と言っていることに代わらないのだ。

⑤ その国民の総意の一つの証左として、天皇陛下のご臨席がある。平和憲法によって天皇は国民統合の象徴ということになっている。天皇がご臨席されるかどうかは、つまり国民の総意がそこにあるかどうかということである。天皇がご臨席になるためには、国事行為としてそれなりのプロセスを踏んだものにならなくてはならないが、今回はどうなるのか。法的根拠が何もなく、時の内閣の閣議決定だけで、国会を開くこともなく予備費を使って行われる場所に、我々国民統合の象徴である天皇陛下はご臨席できようもあるまい。

 現に吉田茂の国葬の場合も、昭和天皇はお使いを派遣しただけでご臨席になっていない。当時の皇太子夫妻(現上皇陛下夫妻)はご出席になっているが、憲法上、天皇と天皇のお使い、皇太子では全く意味が違う。昭和天皇は太平洋戦争への深い悔悟のお気持ちから、憲法と法を守ることを非常に厳密に優先されていた。そのこともあって、昭和天皇は吉田茂の葬儀にご臨席ならなかったし、ついでに言うならばA級戦犯が合祀されて以降、それまで欠かさなかった靖国神社参拝に、ついにお亡くなりになるまで一度も行幸されなかった。(続く)

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歴史に特筆されることになった第26回参議院選挙

(1)事件は民主主義に対する挑戦だったのか。

 あまりにも強烈な事件であり、この手の事件は常にそうだが表に見える直接的な動機だけでないものや、場合によっては指嗾者の存在を疑わなくてはならないし、テロの実行者の動機や目的とはまったく無関係に、社会的な影響や結末があるかも知れない。発生して未だ時がたたない段階で何か言うのは、いろいろな意味で危なっかしい。しかし、逆に一凡人の直感的な思いを書き残しておくことも意味があることかもしれないと思い直して、パソコンに向かっている。

 事件発生までのこの国の社会的なひずみや病巣、事件発生直後のわたしたちの反応と政治的な動き、日本の近未来についての影響、謂わば安倍事件の「昨日・今日・明日」について、発生から2週間という今の段階のわたしの視点をまとめてみたい。

与党側の戦術が功を奏したのと、野党側のだらしなさのお陰で、さしたる争点もなく低調な選挙戦になるはずが、終盤にきて突然、政治史というよりは社会史として日本の歴史に残る選挙となった。選挙結果は大方の予想通りとは云え この国の近未来に暗雲の立ちのぼるのを見て懼れるのはわたしひとりだろうか。

 今日の日本を象徴するような政治家が突然の暴力によってその生命を奪われた。そのこと自体は理不尽で絶対に許されざる行為の結果ではあるが、ではこの事件が政治的な出来事だろうかと言えば、そうとは捉えにくいというのが衆目の一致するところであろう。むしろ、近年次々に起こった事件、大阪池田の小学校襲撃事件、東京秋葉原での無差別殺人をはじめ、神奈川の施設での障がい者大量殺人、京都でのアニメ会社放火事件、大阪の心療内科クリニック放火事件と続いた連鎖の果ての事件だとわたしは捉えている。これらの事件は全て単独犯の厭世的な衝動によるものだった。その背景に共通して存在する現代日本社会のひずみや病巣が伺い知れる事件だとわたしは感じている。

 事件翌日の新聞各社は口をそろえて「民主主義の破壊を許さない」と書き立てたが、少なくとも凶行に及んだ犯人は「民主主義を破壊する意図などない」と言う意味の言葉を書き残している。「安倍元首相に対する直接的な恨みすらない。宗教団体に関する恨みを晴らす相手として選んだだけだ」とさえ言っている。

 メディアは一体、誰から、あるいは何から民主主義を守るというのだろうか。この素朴な疑問には、今のところまだどこの新聞社からも答えはもたらされていない。良くも悪くも日本の政治権力の中枢にいる人物が、選挙活動として行っていた街頭演説中に襲撃され遭難死したのであるから、言論の封殺だと言い立てるのは分からないでもないが、犯人は安倍氏の言説や政策に怒りを感じて、それを封殺するために凶行に及んだわけではない。付け狙ってもっとも襲撃しやすい機会を得たために実行したに過ぎない。

 それでもわたしは今回の事件は民主主義の危機であると捉えるべきだと考えている。参議院選挙の結果は大方の事前予測通り、政権与党の圧勝に終わった。少なくとも安倍元首相のもっとも願った結果であろう。しかし、この選挙結果を彼のその先の野望である日本の軍事大国化と軍国主義の道に進み始める一歩にしてはならない。わたしがそう思うのは何より、テロリズムという手段は常に、その動機や直接的に目標にしたものとは全く次元の違う結果を生み出してきたからである。大正末期から昭和初年にかけて、ここ国に吹き荒れたテロリズムの先に何があったかを考えてしまうのである。血盟団事件から2.26事件までの一連のテロリズムを、それぞれの指嗾者の思惑と実行犯の動機や信念そのものと、当時、あのテロリズムの連鎖を生み出してしまった時代背景を見比べると、今日の日本や世界の社会情勢に共通するものがあるのではないかと、わたしはうすら寒いものを感じるのだ。

 森友・加計・さくら事件は誰にまつわるスキャンダルだったのか。特に森友学園への国有地払い下げに関しては財務省理財局による決裁文書改ざん問題が浮上した挙句、職員が自死しているという事実に対しても、自公の国会での圧倒的な議席数にあぐらをかいた安倍政権が真相を解明することはついになかった。

さらに言えば安倍晋三政権がメディアに対して言論封殺を図ってきたことは周知の事実である。1991年8月に「元慰安婦の証言」という記事を報じた朝日新聞大阪社会部の記者に対して、記事が捏造であるという執拗なバッシングキャンペーンが始まったのは、安倍晋三が政権に復帰した後の2014年からであるが、森友問題が浮上したのは2016年、加計学園問題は2017年、「桜を見る会」への政治資金規正法違反の疑いに関して、安倍晋三後援会の政治資金収支報告書を訂正したのが2020年で、その度にバッシングのボルテージは上がっている。

実は初めて元慰安婦の証言記事が掲載された1991年当時、元慰安婦の女性のインタビューを記事にしたのは、朝日新聞だけでもバッシングの対象となった植村隆記者だけでもなかった。それなのに記事掲載から10年以上もたってから、朝日新聞1社、記者一人だけをターゲットにしたのは何故なのか。中には少なくとも2016年までは朝日の記事を事実として、雑誌などで主張してきた櫻井よしこのように、2016年にバッシングが始まると同時に、180度論旨を転換させて、植村隆記者の記事や彼が取材した元慰安婦たちの証言を捏造と主張するようになった者もいる。

ひとつにはメディア全体への言論封殺のための恫喝であったことは明白であり、そのためのスケープゴート選びに適ったのが、たまたま植村隆氏だったということである。時の権力者が言論封殺しようとするのは、常に大きく根深い疑惑や知られては不都合な事実から、大衆の目を逸らすためではなかったか。

繰り返しになる。事件が発生した翌日の新聞各社が「民主主義」や「言論」について、異口同音に叫んでいたが、それを云うなら、民主主義の大前提である、情報公開、説明責任について権力者が犯してきた問題を、例え亡くなった直後であっても、いや直後だからこそ改めてきちんとした評価、少なくとも評価するための考察をするべきだと主張するべきではなかったか。亡くなった権力者は民主主義の大前提を冒涜してはいなかったかという、歴史に照らしての考察があるべきである。

 その考察の工程を何ら踏むことなく、岸田首相は秋に安倍晋三元首相の国葬を挙行すると国の内外に公表したのだから。(続く)

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今年も夏の交通安全運動が始まります。

 今年も7月15日(来週の金曜日)から「おおいた夏の事故ゼロ運動」が始まります。野津原中学校の生徒会長竹山弦伸君は6年前、弟を交通事故で亡くしています。その悲しい思い出を元に、交通安全を訴える作文を書いてくれました。どうか一人でも多くの方に読んで頂き、こんな悲しい兄弟、ご両親がこれ以上増えないよう祈りたいものです。

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いでぐち良一後援会「良友会」会報

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大分市議会令和4年第1回定例会 議会報告

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ネブリナ山の不思議の城第9話(最終回)結婚式はさようならの日

 春の雨が降る静かな朝ですね。いまも、ウクライナでは悪魔の所業で阿鼻叫喚が続いているのですが、わたしたちの目に見える身の回りは日々平安です。「ネブリナ山の不思議の城」最終回です。印刷所の都合で挿絵画家が交代しましたので、絵の雰囲気が変わりました。

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ネブリナ山の不思議の城第8話「サンドロの決意」

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ネブリナ山の不思議の城 第7話 「母の手紙」

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ネブリナ山の不思議の城 第6話 大嵐

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